命を守る防災教育, 未分類

命を守る防災の教科書

〜防災⽴国の基礎知識〜(全文ドラフト・図表なし) 2025.8.27現在(編集中)
著者 防災塾・だるま 塾長 鷲山龍太郎

はじめに

第1章 防災の国語

  • 第1節 小学校国語読本「稲むらの火」を読む
  • 第2節 古文書に記された災害を読む(白鳳地震・日本書紀 ほか)
  • 第3節 関東大震災・被服廠跡の悲劇から学ぶ
  • 第4節 語り部の話を聞く(阪神・淡路大震災)
  • 第5節 東日本大震災・語り部(佐藤敏郎さん)の話
  • 第6節 裁判の判決文主文から災害の根源をさぐる(大川小判決の読み方)
  • 第7節 語り部の声と裁判判決文からの学び ― 大川小学校津波事故と未来をひらく防災対策
  • コラム 法令文読解:「黄色信号の意味」

第2章 防災の算数

  • 第1節 ゆれはどれくらい?震度の意味は?
  • 第2節 地震の「パワー」をどう測る?(マグニチュード/Mw)
  • 第3節 プレートの動きは1年で5〜10cm。でも…?
  • 第4節 「最初の揺れ」で地震を先読み(P波とS波・緊急地震速報)
  • 第5節 津波は速い!そして、こわい!(v=√gh でわかる速さと高さ)
  • 第6節 風水害から命を守る1・2・3・4・5(警戒レベルと行動)
  • 第7節 土砂災害から身を守る(警戒区域・避難の目安)
  • 第8節 火山の数字を読み解く(噴火警戒レベルと行動)
  • コラム① 長周期・短周期地震動の読み方
  • コラム② 「真の敵」を数で読む(地震別:火災/倒壊/津波の死因構成)

第3章 防災の理科

  • 第1節 大地は動いている!(プレートテクトニクスの要点)
  • 第2節 濃尾地震と「活断層」の発見(1891)
  • 第3節 今村明恒と大森房吉 ― 関東地震をめぐる論争
  • 第4節 寺田寅彦 ― 科学の限界と防災へのまなざし
  • 第5節 丹沢の化石サンゴ礁発見物語(門田真人)
  • 第6節 解き明かされた日本のプレートテクトニクス(平朝彦)
  • 第7節 フィリピン海プレートの「拡大の辻褄合わせ」で見直す日本列島(高橋雅紀)
  • 第8節 日本海溝移動説 ― 「山国・日本列島」誕生のメカニズム(高橋雅紀)
  • 第9節 軟弱地盤はどうやってできたのか(沖積低地と被害の差)
  • 第10節 日本の火山の配列とプレートの沈み込み
    • (付表)VEIによる噴出規模/富士・宝永、箱根Hk-TP、阿蘇-4、ベスビオ、イエローストーン 等
  • 第11節 気象災害の理解(空気と水の対流・雲・風)
  • 第12節 台風 ― 地球の熱を運ぶ積乱雲の怪物(等級・タイムライン)
  • 第13節 線状降水帯とは何か(可視化と行動)
  • 第14節 竜巻と雷 ― 積乱雲の下で起こる激しい現象
  • コラムA 火山防災のお手本:有珠山2000年噴火「犠牲者ゼロ」
  • コラムB 富士山に噴火の前兆が観測されたら(行動指針)

第4章 防災の社会科

  • 第1節 世界地図から読み解く、地震と火山の大地のしくみ
  • 第2節 (地理)世界地図から読み解く地震・火山(再整理)
  • 第3節 「折れ曲がった日本列島」とフォッサマグナ・中央構造線
  • 第4節 災害の歴史(飛鳥〜令和:年表と要点)
  • 第5節 政治:防災体制(災対法/避難所課題/防災庁構想・防災地区)
  • 第6節 自治体と私たちの暮らしを守る防災(市町村・都道府県の役割/自助の責務)
  • 第7節 法律が命を守るしくみ(消防法・災対法・救助法)
  • 第8節 災害対策基本法(制度の要点・課題・年表)
  • 第9節 海外に学ぶ:イタリアの避難所(TKB/SUM)
  • 第10節 アメリカに学ぶ:カトリーナとタイムライン導入
  • 第11節 指定緊急避難場所と指定避難所の違い
  • 第12節 地域防災拠点運営委員会と三者連携(横浜モデル)
  • 第13節 防災単位としての町内会の歴史(近世〜戦後〜現在)
  • 第14節 マンションの防災(制度・地域連携・とどまる認定)
  • 第15節 事業所職員として災害に向き合う(自衛消防・BCP)
  • 第16節 災害と社会の責任(公共インフラ/駅滞留・TDLの教訓)
  • 第17節 災害と組織の責任(JAL516便:安全文化と訓練)
  • 第18節 職場で守れなかった命から学ぶ(地区防災計画の課題)
  • 第19節 災害時は「すぐ帰らない」が命を守る(帰宅抑制)
  • 第20節 防災と経済(被災者支援・産業とBCP・復興財政)
  • 第21節 防災庁の誕生と、わたしたちの声(市民提言)
    • 付録:防災塾・だるま 市民提言/法改正案(要旨)

第5章 保健体育編

  • 第1節 雷・竜巻から身を守る(学校・屋外活動の判断)
  • 第2節 もしもケガをしたら?(応急処置のキホン)
  • 第3節 避難中に気をつけたい「からだの危険」(熱中症・低体温・感染症)
  • 第4節 倒壊家屋からの救出活動(三種の神器と初動)
  • 第5節 地震火災に備える4つのポイント
  • 第6節 災害時の「市民トリアージ」とは?(START法)
  • 第7節 災害関連死と救命の課題(SUM構想と日本の教訓)
  • 第8節 亡くなった方の尊厳を守り、遺族の心のケアを行う

第6章 防災の家庭科

  • 第1節 自宅内での災害による死亡リスク
  • 第2節 わが家の安全を見直す(地盤・履歴とハザード)
  • 第3節 地震防災の基本は「耐震化」
  • 第4節 「第二の砦」は安全な部屋に(家具固定)
  • 第5節 風水害編「は・た・す」で備える
  • 第6節 食べながら備える!ローリングストック
  • 第7節 帰宅困難時の家族の連絡方法(171・三角連絡・SNS)
  • 第8節 あなたの家の「地籍」は大丈夫?(所有者不明土地と防災)
  • 第9節 地震後の建物の安全を見極める「応急危険度判定」
  • 第10節 家が壊れたとき、どうすれば?(被災証明〜再建・住み替え)
  • 第11節 生活再建のための専門家相談(弁護士・建築士・SW)

第7章 防災の図工

  • 第1節 災害の記憶や命を形にする(ポスター・記録画)
  • 第2節 モニュメントと震災記憶の可視化(鉄人28号ほか)
  • 第3節 関東大震災の記録画に学ぶ(二次災害としての大火)

第8章 防災の音楽

  • 第1節 国歌『君が代』 ― さざれ石と地学
  • 第2節 『花は咲く』 ― 復興の歌
  • 第3節 『あすという日が』 ― 明日への祈り

第9章 防災の外国語

  • 第1節 災害時に使える英語表現
  • 第2節 多言語支援と地域共助
  • 第3節 世界の災害を英語で学ぶ(比較と発信)

第10章 防災の特別活動

  • 第1節 「おかしも」だけでは防災力は育たない(自衛消防の視点)
  • 第2節 首都圏に求められる「現実に備えた引き取り訓練」

第11章 総合的な学習の時間

  • 第1節 「奇跡」は偶然ではない(釜石の実践)
  • 第2節 学年系統表:小・中・高のカリキュラム例

第12章 防災の道徳

  • 第1節 「自助・共助・公助」の心(上杉鷹山に学ぶ)
  • 第2節 二宮尊徳の生き方に学ぶ(積小為大・報徳)
  • 第3節 渋沢栄一の復興支援(論語と算盤)
  • 第4節 地震災害から命を守るために生きた人(今村明恒)
  • 第5節 被災地で問われる「人権」という道徳(誰一人取り残さない避難所)
  • 第6節 自然との共生・人との共生(道徳編の総括)
  • 第7節 「為せば成る」― 終章まとめ

あとがき


命を守る防災の教科書
〜防災⽴国の基礎知識〜

【書籍原稿案】2500826
命を守る防災の教科書
〜防災⽴国の基礎知識〜
著者  鷲⼭⿓太郎
(防災塾・だるま塾⻑)
はじめに
――防災立国をめざし、命を守るために、いま、何を伝えるか――
阪神・淡路大震災を知らない世代が、いまや社会の中核を担いつつあります。
2024年元日、能登半島を襲った地震では、耐震化の遅れ、情報伝達の不備、避難誘導の混乱など、過去の災害と同様の課題が再び浮き彫りとなりました。一方で、防災制度や技術は進展を続けており、2026年には国の防災行政の司令塔として「防災庁」が新設され、日本の災害対応の体制が大きく変わろうとしています。
しかし、NHKが阪神淡路大震災30年の特番で示したある調査には、衝撃的な一文がありました。神戸でも30歳以下の人は震災を体験しておらず、アンケート調査の結果
「震災の教訓とは、いったい何なのかがわからない」――と。
テレビやインターネットには、防災情報があふれています。にもかかわらず、「どの教訓を、どのように生かせばよいのか」「次世代に何を伝えるべきか」が、誰にとっても明瞭に整理されているとは言えない現状があります。
私がある日、宮城県石巻市を訪れたときのことです。
被災の語り部として案内してくださった方に、私は問いかけました。
「もし、あの日の前に時間を戻せたなら、何をしておきたかったですか?」
その方は、ためらうことなくこう答えました。
「それは防災教育です。誰も、あんな津波が来るとも、どうすればいいかも教えてくれなかったのです。」
その言葉は、今も私の胸に深く残っています。
私は横浜市の小学校教員として教育に携わってきました。
1995年の阪神・淡路大震災では、「地震はどこでも起こる」という現実に直面し、地学教育の重要性を痛感しました。
2011年、東日本大震災が発生したその年、私は校長として最後の年度を迎えていました。大川小学校での津波被災事故に衝撃を受け、地域・保護者と連携しながら、防災教育と防災まちづくりに本気で取り組みました。
退職後は「防災塾・だるま」に参加し、専門家、防災ボランティア、地域の仲間たちと学び合いながら、命を守る防災教育の普及に尽力してまいりました。その活動で得た知見が本書の柱となっております。
石破政権の樹立により、「防災立国」という理念のもとに令和8年防災庁が創設されることが確定したことには心震える共感を感じました。
「防災立国」の理念には「人命を守る国家体制の構築」、「災害に強いインフラ整備」、「地域防災力の強化」、とともに「知識基盤の構築」が欠かせないとされています。
学習指導要領でも、防災教育は、「命を守る教育」として、教科横断的かつ学校横断的に実施されるべき重要テーマとされています。しかし、学校現場で先生方を指導していた実感から、それを先生たちに実践できるようにするためにはかなりのハードルが高いと感じます。つまり、防災といっても何を教えたらよいかわからないのです。なぜなら、自分たちが子どものときに教えられてこなかったことを教えるのは誰にでも難しいことだからです。
この本は、自分を、家族を災害から守りたい人、地区などの防災に取り組んでいる人、防災関係の行政に取り組んでいる人、これから教師になることを目指す人、そして学校の先生達に、何を知り、自分が親として、リーダーとして、何を根拠に判断したり教えたりするべきかを学ぶ基礎知識となることをめざして作成しました。
防災は地球科学など自然理解から、社会の問題、家庭の問題、そして人の生き方など広範です。そこでこの本では、教職を目指す人や多くの人が馴染める小学校の教科にならって、国語、算数、理科、社会・・と章立てをし、各教科的な視点から学べる構成としました。
ぜひ、あなたの関心のある章から読み始めてください。そこから、ご自身やご家族、地域、そしてこの国の命と幸せを守るための一歩が始まると信じています。


  • 第1章 防災の国語
    国語科は、災害や防災を題材とした文章や物語を通して、言葉の意味を深く理解し、命の大切さや判断力を育む教科です。 防災教育を国語で学ぶ意義は、「情報を正確に読み取る力」「共感と表現の力」「歴史に学ぶ想像力」を養うことにあります。
    🔹 国語における防災教育の3つの目標
    1.防災に関する語彙や表現を正確に理解する力を養う
    防災に関する重要語句を正しく読み取り、使いこなす力を育てる。緊急時の情報伝達においても、意味を取り違えない言語理解が命を守る鍵となる。
    2.災害の教訓を物語や論説で読み取り、考えを深める
    国語教科書では、『稲むらの火』(1937年初出、津波避難の原点)
    『百年後のふるさとを守る』(現行・光村中学国語、河田惠昭博士の論説) など、災害をめぐる教訓が描かれた読み物が取り上げられている。これらを通じて、命を守る判断・行動・共助の価値を読み取り、表現する力を育てる。
    3.自らの思いや提案をことばで発信する力を育てる
    防災をテーマにした作文やスピーチ、防災新聞の作成など、考えたことを文章で表現する活動を通じて、主体的に命と地域を守る力へとつなげていく。
    防災を「知識として」ではなく、「心で読み、ことばでつなぐ」ことこそが、国語科における防災教育の本質です。
    過去の災害の事実は記録されたものを読むことによってわかる。過去の災害の記録は教訓の宝庫である。温故知新。まさに未来をひらくために過去の文書を紐解くことが大切。文書を読み、人物の行動と背景となる思いを読み取ること。読み慣れないかもしれませんが、防災用語の意味や法的判断の本質を読み取る力が必要です。

  • 第1節 小学校国語読本「稲むらの⽕」を読む
    『稲むらの火 -濱口梧陵の決断-』
    1854年(安政元年)11月5日(旧暦)、現在のグレゴリオ暦では12月24日午後4時頃、紀伊半島沖を震源とするマグニチュード8.4の安政南海地震が発生しました。この地震は、前日に発生した安政東海地震(12月23日午前9時頃)に続くもので、広範囲にわたり甚大な被害をもたらしました。広村でも強い揺れがあり、その直後に大津波が襲来しました。広村でも、強い揺れが大地を揺さぶった。家々は激しく軋み、井戸の水が吹き出し、村人たちは地鳴りに耳をふさぎながら、恐怖の中に立ちすくんだ。
    だが、濱口梧陵(1820–1885)は違いました。
    「あれに火をつけよ! ここから山へと村人を誘うのだ!」
    稲束は村のあちこちに積まれていた。それに火を放てば、あたり一面が明るくなり、混乱する村人たちにも高台への道がわかる。迷わず、梧陵は自ら火を点じました。
    (広川町公式サイト「濱口梧陵資料」より)
    燃え上がる炎は、冬空を赤々と染め、地震の混乱で呆然としていた村人たちを、次々と高台へと誘った。
    やがて、海から、黒く、巨大な波が迫ってきました。
    それは幾重にも押し寄せ、梧陵の家も、田畑も、村の財産も、すべてを呑み込んでいきました。
    しかし──高台へ逃げた村人たちは、命を繋いだのです。
    この出来事は、後に「稲むらの火」として伝えられ、11月5日は「津波防災の日」(旧暦の発生日にちなむ)に制定されることとなった。
    (文:鷲山 )

    「稲むらの火」は、1937年(昭和12年)刊行の尋常小学校5年生用の国語教科書「小学国語読本巻十」(第4期国定教科書、サクラ読本)

    濱口梧陵──。
    ヤマサ醤油の当主でありながら、故郷・広村の人々を命がけで守った男。
    津波という巨大な自然の力に対し、人間の勇気と知恵と愛情で立ち向かった一人の日本人の姿は、150年以上たった今も、世界に語り継がれています。
    梧陵は、そこで満足しませんでした。
    彼は、津波で破壊された村の復興に全力を尽くします。
    自らの私財を惜しまず投じ、村人たちを雇い上げ、堤防の建設に着手しました。
    それは長さ約600メートル、高さ約5メートルに及ぶものであり、村を津波から守るための巨大な防波堤だった。
    また、仮設住宅の建設、農具の提供、漁船の修復など、生活再建のための支援を惜しまなかった。
    【引用・参考文献一覧】
    内閣府防災情報「南海・東南海地震」
    https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyoiku/index.html
    和歌山県広川町公式サイト「濱口梧陵と稲むらの火」
    https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/
    百世安堵プロジェクト「広村堤防」
    https://hyakusei-no-ando.com/heritage/広村堤防防
    「稲むらの火」と防災教育への道
  1. 道徳教材としての執筆と「生ける神」
    「稲むらの火」のもとになった実話は、明治時代にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によって「A Living God(生ける神)」という英語の随筆にまとめられました(1897年)。
    この物語では、濱口梧陵の人命救助と地域復興への尽力が「生ける神」と称され、道徳的な英雄像として紹介されています。
    出典:Lafcadio Hearn, A Living God, in Gleanings in Buddha-Fields (1897)
  2. 今村明恒による防災教育への活用
    地震学者である今村明恒(1870–1948)は、「稲むらの火」に登場する濱口梧陵の行動を、津波からの避難行動の教訓として評価し、自らの地震・津波研究とともに紹介しました。
    特に彼の著書『地震と津波』の中で、過去の津波被害を記録・教訓化し、「逃げ地図」や高台避難の重要性を唱えています。
    出典:今村明恒『地震と津波』(岩波書店、1934年)
  3. 国語教科書への掲載
    「稲むらの火」は、戦前から現代にかけて複数の国語や教科書や道徳教材に掲載されてきました。
    近年では、光村図書の小学校教科書においても採用され、道徳教材としてだけでなく、防災・減災意識を育む題材として使われています。
    また、2021年度からの新学習指導要領でも、地域社会とのつながりを学ぶための国語教材として評価されています。
    出典:光村図書『小学校国語 教師用指導書 5年』2020年度版
    出典:文部科学省『小学校学習指導要領解説 国語編』(令和元年)
    伝えられる教訓
    「稲むらの火」は、単なる逸話ではありません。それは、とっさの判断力や、自らを犠牲にして他者を守る勇気、そして災害後にも人々の暮らしを支え続ける“真のリーダーシップ”について教えてくれる物語です。
    また、2015年12月4日には、国連総会第2委員会が日本を含む142か国の提案により、この逸話のもととなった11月5日を「世界津波の日」として制定することを全会一致で決定しました。

    第2節 古文書に記された災害を読む
    日本最古の地震記録についてご説明いたします。最も古い公的な地震記録は、『日本書紀』に記された白鳳地震(天武13年・684年)です。この地震については、「大地震。国挙げて男女が叫び、東西も分からぬほどであった。山が崩れ、川が氾濫し、寺院や神社が壊れ、人民および家畜に多くの死傷者が出た。田畑五十余万頃が海となった」と記されています。
    この記録は、山崩れや津波、地形変動、社会的な被害など、複合的な災害が初めて詳細に国家的に記された例であり、「新たな島の出現」までが記録されております。ただし、実際にはこの白鳳地震よりも古い地震の記録も存在します。最古の地震に関する記述は『日本書紀』允恭天皇5年(西暦416年)に見られますが、被害状況は不明です。また、推古天皇7年(599年)には「死者をともなう大地震」が記されています。
    416年:最古の地震の語句が登場しています(被害不明)
    599年:死者や倒壊の被害をともなう最古の地震が記録されております
    684年:白鳳地震。複合災害、津波、新島出現まで詳細な国家記録が残されております
    このように、古代の史料からも地震という自然現象が繰り返し日本列島に被害を与えてきたことが分かります。そして、それを記録し次代に伝えようとする意志が、1300年以上も前から続いていることがうかがえます。

    「未曾有」ではなかった東日本大震災―
    「未曾有」と「想定外」が語られた日
    2011年3月11日、東北地方を中心に日本列島をおそった大地震と巨大津波は、のちに「東日本大震災」と名づけられました。その被害はあまりにも大きく、政府関係者や報道のなかでは「未曾有(みぞう
    の災害」「想定外の津波」といった言葉がたびたび使われました。しかし、本当にそうだったのでしょうか。
    麻生太郎氏が首相在任中の2008年~2009年頃、国会答弁や記者会見などで厳しい経済情勢などについて「未曾有(みぞう)」「みぞーゆう」と「誤読」したとするエピソードが話題になりました。
    正読が前提となる語彙群、ということですが、中国語発音では、未曾有:wèi céng yǒu(ウェイ ツォン ヨウ)
    発音の構成:未(wèi):まだ~ない・曾(céng):かつて有(yǒu):ある、存在する。
    ということで、中国語では「ヨウ」なので中国語の発音に近いかもしれません。
    いずれにせよ、この言葉を印象付けてくださった点はありがたく感じます。その2年後に起きる大災害を予言していたかのようでもあります。
    「未曾有(みぞう)」という表現が記されている、貞観陸奥地震(869年)の史料として最も有名なのは、『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』です。この史書は、六国史の一つで、平安時代に編纂された正史です。そしてこの貞観陸奥地震は震源地、津波規模的にも、「平安時代の東日本大震災」ともいえるとされるからです。

    貞観地震──すでに記されていた大津波の記録
    今からおよそ1150年前の西暦869年、東北地方では「貞観(じょうがん)地震」と呼ばれる大地震と津波が発生しました。この災害は、古代の歴史書『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記されており、「未曾有の災い(かつてないほどの災害)」とまで表現されています。
    そこには、陸奥国(いまの宮城県周辺)で多くの人が亡くなり、建物が壊れ、海からの津波が深く内陸まで入り込んだ様子が記録されています。

    【原文】
    『日本三代実録』巻第十一、貞観十一年五月廿六日条に、以下のように記されています:
    陸奥国言、五月廿六日辰時、大地震動、城郭倉廩、并官私屋舎、破壊尤甚。鹽竈社神殿破壊、百姓死者數多。或云、大海嘯來、漂入郡城、溺死者千餘人、牛馬死者無數、田園荒蕪、尤為未曾有也。

    【現代語訳】
    陸奥国からの報告によると、5月26日の辰の刻、大地震が発生し、城郭や倉庫、官民の建物が甚だしく破壊された。塩竈神社の社殿も壊れ、多くの百姓が死亡した。あるいは言う、大きな津波が押し寄せ、郡の城内にまで浸水し、溺死者は千人余り、牛馬の死者は数知れず、田畑は荒れ果て、これまでにない未曾有の災害である。

    「知っていたのに備えなかった」ことへの反省
    東北大学の今村文彦博士をはじめとする研究者たちは、古文書の記録だけでなく、地層に残された「津波堆積物(つなみたいせきぶつ)」を調べ、貞観地震が実際にあったことを科学的に証明してきました。
    にもかかわらず、原子力発電所やまちづくりにその教訓が生かされず、東日本大震災でふたたび多くの命が失われたことに、今村博士は強い警鐘を鳴らしています。
    ことばと記録で、未来の命を守る
    災害は「想定外」ではなく、「歴史上すでに起きてきたこと」なのです。
    そのことを私たちは、古文書を通して知ることができます。
    地震、津波、洪水、火山噴火──こうした自然の力と人々のくらしを記録した文書は、言葉というかたちで「命の教訓」を今に伝えているのです。

    読みとく力が未来を守る
    国語を学ぶとは、「いまを読み解く力」を身につけることです。
    それはまた、「むかしを読みとき、未来に生かす力」でもあります。

    方丈記に記された地震と、忘れられた関西の活断層

    『方丈記』より(原文)
    また治承四年のころ、大地震ふるまひ侍りき。おびたゞしくふる事かぎりなし。山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて、水わき出で、巌割れて、谷にまろび入る。なぎさこほちて、舟たゞよひ、道たゞならず。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、一つとして全からず。あるはくづれ、あるはたふれぬ。塵灰たかくとびあがりて雲ゐにみち、あさぐもをあやまたしむ。家の中に居ながら、死にたる者は、数をしらず。牛馬のたぐひ、或はひざをくだき、或は脊をくだかれたるがごとし。
    あさましき事は、人の身のはかなさなり。鳥にあらざれば空をも飛ばず、龍にあらざれば雲に乗らず。ただ水と土とのまじはりて成れる、塊に過ぎず。されば、しばしの間に、千変万化するも理なり。

    其の中に或武者、ひとり子の六七ばかりに侍りしが、ついぢのおほいの下にこ屋をつくりて、はかなげなるあとなしごとをし事をしてあそび侍りが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二の目など一寸ばかりづゝ、うちいだされるを、父母かゝえて、こゑをおしまずかなしみあいて侍りしこそ、哀にかなしく見侍りしか。子のかなしみにはたけき物も恥をわすれけれとおぼえて、いとをしくことわりかなとぞ見侍りし。

    【現代語訳】
    また、治承四年(1180年)ごろ、大地震がありました。非常に激しく、限りがないほどの揺れでした。山が崩れて川を埋め、海が傾いて陸地を浸しました。地面が裂けて水が噴き出し、岩が割れて谷に転げ落ちました。海辺は崩れ、船は漂い、道は通れなくなりました。都の周辺では、あちこちで寺院や仏塔が、一つとして無事ではありませんでした。あるものは崩れ、あるものは倒れました。塵や灰が高く舞い上がり、空一面を覆って、朝の雲と見間違えるほどでした。家の中にいて命を落とした者は数知れず、牛や馬も膝を砕かれ、背骨を折られたような状態でした。

    恐ろしいことは、人間の身のはかなさです。鳥でなければ空を飛ぶこともできず、龍でなければ雲に乗ることもできません。ただ水と土とが交じり合ってできた一塊に過ぎない存在です。だから、ほんのわずかな時間のうちに、千の変化、万の変化が起こるのも道理なのです。

    その中に、ある武士がおりました。彼には六つか七つほどの一人息子がいましたが、その子が土塀の覆いの下に小さな小屋を作り、つたないながらも何かのまねごとをして遊んでおりました。
    ところが、にわかにその土塀が崩れ落ち、子はそのまま生き埋めになり、押しつぶされてしまいました。二つの目が一寸(約3cm)ほどずつ飛び出しており、父母は、子の亡骸を抱きかかえて、声を惜しまず大声で泣き悲しみ合っておりました。その姿が何とも言えず悲しみるしかありませんでした。
    子を失った悲しみの前では、勇ましい者でさえ恥を忘れてるほどだと感じ、まことに哀れな道理だと思いました。

    古文書の中でも、方丈記は歴史で学ぶし、高校古文でも学ぶでしょう。文庫本としても手にとって読める本ですが、この部分は、災害による凄惨な現実と、それに対する深い哲学的思索が一体となっており、日本文学史における無常観の代表的な描写です。現代においても、災害への向き合い方や人間の本質を考える際に多く引用されます。

    鴨長明が『方丈記』で描いた地震が「文治地震(文治元年=1185年)」か、「治承・養和地震(1185年以前)」かについては、学術的に見解が分かれています。ただし、現在主流となっている見解では、鴨長明が描いたのは以下のように「文治地震(1185年)」とする説が有力です。*
    文学が伝える「自然の記憶」

    『方丈記』は単なる随筆ではなく、災害の教訓を後世に伝える歴史の証言でもあります。
    「地震は記録に残らなければ忘れられる」という自然災害の特性をふまえると、鴨長明の記録は、現代に生きる私たちが過去の災害に学ぶための“命の記録”とも言えるでしょう。
    関西・中京圏の歴史地震を古文書から学ぶ 〜年表で見る地震と社会の記録〜
    関西地方とその周辺(中京圏を含む)には、古代から数多くの大地震が発生してきました。これらの地震は、宮廷や寺院、町などの生活の場に被害を与え、古文書や地層にその記録を残しています。ここでは、主な地震を「年」「地震名」「推定規模」「動いたと考えられる断層」「古文書や記録にみられる被害」として年表形式で学びましょう。

    学びのポイント
    地震は過去の文書や地層を読むことで、未来に備える知恵になります。
    古文書(こもんじょ)に記された被害から、地域の歴史と自然災害の関係を知ることができます。
    「地震は少ない地域」と思われている場所にも、歴史の中で何度も起きていることを学びましょう。
    地震は「想定外」ではなく、「記録に残っている」ものも多いことを知っておきましょう。
    この年表を使って、自分の住む地域ではどんな地震が起こりうるか、地図や古文書を使って調べてみましょう。

    「関西には地震が来ない」という誤解
    関西にも「くり返し」地震は来ています
    内陸活断層と南海トラフ、二つの顔

    「関西は安全だ」という思い込みは、単に近年の大地震を知らないだけに過ぎません。文献と地質記録を重ねていくと、関西は内陸活断層の直下型地震と南海トラフの巨大地震【という“二枚看板”のリスクに、長いあいだ晒されてきたことがわかります。
    1) 町のど真ん中を揺さぶった内陸地震
    天正地震(1586年)
    中部〜近畿の広い範囲を強く揺らし、富山から大坂に至る範囲で強震の記録が残ります。規模はM7.8前後と推定され、複数の活断層(養老—桑名—四日市断層帯、阿寺断層帯など)の連動可能性が指摘されています。近畿でも液状化の痕跡が伝えられ、都市機能に影響を与えました。
    慶長伏見地震(1596年)
    京都・伏見・大坂で甚大な被害が生じ、伏見城の天守や寺社も倒壊したと記録されています。起震断層は有馬—高槻断層帯と考えられ、数メートル規模の横ずれが推定されています。規模はM7.5前後とみられています。今日の阪神間を横切る一級の活断層が、歴史時代に実際に動いています。
    兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)はこの「割れ残り」ではないかという説もあります。
    寛文近江・若狭地震(1662年)
    近畿北部〜京都で大きな被害が報告され、死者700〜900人、倒壊家屋4,000〜4,800軒と伝えられています。内陸直下型で、地盤隆起・液状化・大規模崩壊が併発したとされています。
    これらの史実は、「関西にも活断層直下の大地震が繰り返し起きてきた」ことを示しています。とくに1596年は、有馬—高槻断層帯や六甲山地南縁など複数断層の連動が示唆され、帯域全体のリスクという視点が不可欠になります。
    2) 沿岸を襲う南海トラフの巨大地震
    南海トラフ沿いでは、684年(白鳳/天武)・887年(仁和)・1361年(正平/康安)・1498年(明応)・1605年(慶長:津波地震)・1707年(宝永)・1854年(安政東海・安政南海:連動)・1944年(昭和東南海)・1946年(昭和南海)など、M8級の地震が概ね100〜200年周期で繰り返しています。とくに1707年宝永地震(M8.6規模)は、紀伊・四国・近畿沿岸に壊滅的被害をもたらしました。次回の発生様式は一様ではなく、震源域の広がりや連動の仕方も複数のシナリオが想定されています。
    「関西には地震が来ない」という根拠はどこにもありません。内陸活断層の直下型地震(1586・1596・1662 ほか)と、南海トラフの巨大地震(684〜1946 ほか)という二系列のリスクが織り重なる地域——それが関西です。歴史記録と地質証拠は、“来ない”のではなく、“これまでも起き、今後も起こり得る”ことを示しています。

    コラム 21世紀の大阪で起きた悲劇
    【現代の事例】大阪北部地震(2018年)高槻市・寿栄小学校
    事故の概要についてご説明いたします。高槻市立寿栄小学校の登校通路に設けられていた高さ約3.5mのブロック塀が倒壊し、小学4年生の女児(9歳)が巻き込まれて亡くなりました。この塀は建築基準法に違反しており、安全点検も十分に行われていませんでした。
    その後の社会的影響についてご説明いたします。日本中の学校でブロック塀の緊急点検が実施されました。高槻市は遺族に謝罪し、全国的に安全基準の見直しが進められました。
    方丈記に記された、若武者の子が土壁に押しつぶされた悲劇と通じるものがあります。



    第3節 関東大震災・被服廠跡の悲劇から学ぶ
    日本の地震災害で最大の死者を出したのは関東大震災です。しかし、その死因は9割が火災によるものでした。また、死者10万5千人のなかで、その三分の一は本所被服廠の火災旋風によるものでした。今後首都直下地震が想定される中、この教訓を読み取り、誰もが大火災からの正しい避難場所、避難方法を知るように努める必要があります。
    物語調に書いた被服廠の悲劇
    一九二三年九月一日、土曜日。空は澄み、東京はまだ夏の残り香を感じていた。
    正午を少し過ぎたころ、東京の下町、本所の空が突然揺れた。地鳴りとともに、大地がうねり、家がきしみ、町が崩れた。関東大震災である。
    家を失った人々が次々に向かったのは、広大な空き地「旧陸軍被服廠跡(ひふくしょうあと)」だった。戦争のための軍服を保管していた倉庫跡は、今は草が生い茂る空き地になっており、避難には広くて安全と思われていた。
    その空き地に、四万人近い人々が押し寄せた。老いも若きも、赤ん坊を背負う母も、手を取り合う兄妹も、皆「ここなら助かる」と信じていた。
    だが、それは静かなる死の集積地だった。
    午後四時ごろ、突風のような風が吹き始めた。どこからか飛んできた火の粉が、空き地のあちこちに散らばっていた木造の廃材に燃え移る。瞬く間に火は回り、空を焦がした。
    そして、それはやってきた。
    「……ゴウッ!」
    地鳴りのような音とともに、火の竜のような火災旋風(かさいせんぷう)が渦を巻いて空き地の中央に現れた。炎が空から地を叩き、逃げる隙間もないまま、人々を飲み込んでいく。
    避難していた人々は、炎と熱風と煙に包まれ、次々に倒れていった。子どもをかばって覆いかぶさる母。防火用水に飛び込む若者。助けを叫ぶ声は、やがて風のうねりとともに消えた。
    その場にいた十代の青年、山岡清眞(やまおか・きよま)は後年、こう書き残した。
    「眞黒な雲か煙か押寄せて来て…瞬間身体が宙に浮き上り…ドスンと落ちました。…目を開けて見ますと、火の海の中に人々の黒い影が、何人も何人も見えました……」
    彼は奇跡的に命を取りとめたが、辺り一面には、炎に焼かれた人々が何千人と倒れていた。
    この場所で命を失った人は、実に三万八千人以上。地震によってではなく、避難先での「火災旋風」によって命を奪われたのである。 文:鷲山

    ■ 読者へ問いかける
    どこへ逃げるべきか、誰と行動すべきか、炎が見えた際にはどのように動くべきかを考える必要があります。「広ければ安全」とは限りません。「避難場所」も、事前の準備がなければ危険な場所となる場合があります。防災は、「災害について知ること」から始まります。そして、過去に命を落とされた方々の声に耳を傾けることが、今の命を守るための最初の一歩となります。

    第4節 語り部の話を聞く 阪神・淡路大震災
    震災の体験が防災への備えの大切さを教えてくれました。
    荻野 惠三さん、荻野 君子さん
    (人と防災未来センター・語り部)
    地震が起こった時に生き延びるためには事前の準備が重要
    私の体験
    私たちの声が外には伝わらない
    長年、神戸に住んでいますが、震災を体験するまでは神戸に大地震が起こるなど想像もしていませんでした。ですから震災が起こる前の3連休も、1階の和室で家族とコタツを囲んで夜遅くまで楽しく過ごし、そのままコタツの横に布団を敷いて夫婦で寝たのです。結果として助かったのは、そのコタツを出しっぱなしにしていたからでした。突然の振動に目が覚めると、間髪をおかずに2階が崩れ落ちてきて、布団に横たわったままの状態で、夫婦共に身動きが取れなくなってしまったのですが、コタツの掛け布団と寝ている布団がクッションになって瓦礫をかろうじて支えてくれたおかげで、かろうじて圧死を免れたのです。
    何事が起こったか分からないまま、当たりは真っ暗闇で身体もほとんど動かせない。おまけにガスの臭いも漂ってきて、いつガスが爆発するか分からない恐怖で身体が震えました。しかし、幸いにも2人とも無事でしたから、お互いに声をかけあって励まし合いながら、誰かが救助してくれるのを待ったのです。ところが、お互いに声の大きさには自身があったにも拘わらず、いくら呼んでも誰も応えてくれません。2階にいた息子が自力ではい出して、家の前で私たちのことを心配している話をしているのが聞こえてくるのに、呼んでも返事が無い。これを講演などでは“片道切符の現象”と言っていますが、不思議なことに、何故か声が外から内側への一方通行にしか通じないのだと悟るまでかなり時間がかかりました。
    数々の偶然が奇跡を呼んでくれた
    しかし、時間がたてばたつほど、崩れてきた瓦礫からホコリが落ちてきて、だんだんと呼吸するのも大変な状態になってきました。しかも、どんどん身体にのしかかっている瓦礫も重たくなってきます。『外にいるはずの息子に、何とかして私たちが生きていることを伝えたい。どうすればいいのか』と思った時に、かろうじて動く右足が、トゲだらけの廃材の中で1カ所だけツルツルのところを見つけました。後で分かったことですが、それはコタツの天板でした。『衝撃を与えて音を出せば、中に人がいることが伝わるかもしれない』と思い、わずかに動く足で一生懸命にそこを蹴り上げました。その衝撃は、思った通りに外に伝わり、「生きているぞ!」という息子の声がしました。そして、それを受けて近所の方たちが駆けつけてくれて、7時間後にやっと救い出されたのです。
    いつも奇跡が起こるわけではない
    私たちが助かったのは、隣に、この周囲の家を建ててくれた大工さんが住んでいて、しかも大工道具を取り出せることができたのをはじめ、息子が無事に脱出できていたり、少しでも身体を動かすことができていたりしたことなど、本当に偶然が重なり合ったおかげでした。まさに奇跡と言っても良かったでしょう。でも、いつでもそんな奇跡が起こるわけではありません。ですから、新しい家は地震への配慮をしていますが、それでも何が起こるか分かりませんから、今は、上の階の方が助かる確率が高いということでしたので、寝るのは2階にしていますし、家具は全てL字型金具でしっかり固定しています。
    (インタビュー 2010年3月16日)

    第5節 東日本大震災語り部の話
    東日本大震災の被災者からのメッセージです。 
    佐藤 敏郎さん 中学校教諭。大川小学校6年生(当時)の次女が犠牲になる。
    小さな命の意味を考える会代表

    平成23年3月11日の大震災で,石巻市立大川小学校では全校108名中,74名の児童が犠牲になりました。教師も10名が亡くなっています。108名と言っても欠席や帰った子もいるので,校庭にいた9割以上の児童が波に飲まれています。学校管理下で,このような犠牲を出したのは大川小学校以外にありません。大川小より海に近い学校はもちろん,もっと海から遠い,上流の学校や保育所も逃げています。
    震災1ヶ月後,ようやく最初の説明会が行われました。そこでは遺族に対し「バキバキと木が倒れてきて山へ避難しなかった」と説明がありましたが,倒木は一本もありませんでした。その2ヶ月後に行われた2回目の説明会は,質問が噴出しているにもかかわらず,時間だからと途中で打ち切られ,報道には「遺族は納得」「説明会はこれが最後」というコメントが発表されました。この6月までの市教委の対応の不誠実さが,今日までの状況を生み出したと言えます。
    その後,さまざまな事実や資料が明らかになり,24年1月に話し合いが再開しましたが,石巻市教委も,その後文科省が立ち上げた検証委員会も,説明を尽くしてくださったとは思えません。特に,もっとも知りたい「なぜ避難しなかったのか」については,踏み込んだ議論をせずに「忘れた」「今後検討」を繰り返し,ごく一般的な提言をまとめるにとどまっています。
    震度6というそれまで体験したことのない強い揺れが3分も続いた後,大津波警報が発令され,防災無線やラジオ,市の広報車がさかんに避難を呼びかけていました。その情報は,校庭にも伝わっていて,子どもたちも聞いていました。
    体育館裏の山は緩やかな傾斜で,椎茸栽培の体験学習も行われていた場所です。そこに逃げようと子どもたちも訴えていました。迎えに行った保護者も「ラジオで津波が来ると言っている。あの山に逃げて!」と,進言しています。スクールバスも待機していました。
    校庭で動かずにいる間に,津波は川を4km遡り,堤防を越えて大川小を襲いました。15時37分。地震発生から51分,警報発令からでも45分の時間がありました。
    子ども達が移動を開始したのはそのわずか1分前,移動した距離は先頭の子どもで180mほどです。なぜか山ではなく,川に向かっています。ルートも,狭い民家の裏を通っています。しかも,そのまま進めば行き止まりの道です。
    時間も情報も手段もあったのに救えなかった,それはなぜかを議論することが必要です。ところが,市教委の説明では,「時間が十分にあった」「子ども達が逃げたがっていた」「ラジオ,保護者の呼びかけなど,津波の情報を得ていた」「山に登るのが可能だった」「スクールバスが避難の準備をしていた」という明らかな事実を,曖昧なものにしています。助かった子ども達が,犠牲になった友だちのために,一生懸命話してくれた証言さえ,なかったことにされました。
    危機感がありながら「逃げろ」と強く言えなかったのはどうしてかを考察しなければなりません。守るべき命,しかも守ることが可能だった命を守れなかった事実から目を背けてはいけません。警報が鳴り響く寒空の下,校庭でじっと指示を待っていた子どもたちの姿に目を凝らし,耳を澄ませば,方向性は見えてくるはずです。正面から向き合おうとしない市の姿勢は残念でなりません。
    誰も悪意をもっていたわけではありません。先生方はみんな一生懸命だったはずです。でも,救えなかった。きっと先生方は,黒い波を見た瞬間「ああ〇〇すればよかった」と後悔したはずです。その後悔を無駄にしたくありません。個人の責任やミスを責めるのではなく,学校という組織が本来の目的に向かうための議論につなげていくつもりです。子ども達の命を真ん中にして,誠意をもって向き合えば,必ず方向性は見えてくると信じています。
    大川小学校の校歌には「未来をひらく」というタイトルがつけられています。大川小は,始まりの地です。命の大切さやよりよい学校のあり方を確かめる場所であるべきです。多くの人がそういう想いで大川小に向き合えるようにしたいです。小さな命たちが,未来のために大切な意味を持てたとき,私たちの向かう未来で,子ども達がニコニコして待っている気がします。

    第6節 裁判の判決文主文から災害の根源をさぐる
    東日本大震災石巻市立大川小学校で何が起きたことから未来の防災対策を考える
    石巻市立大川小学校の津波で、児童74名、教職員10名が犠牲になった事故には、当時小学校の校長に就任して1年目だった私は強い衝撃を受けました。
    なぜ、そのようなことが起きたのか?全国の他の学校では同じことは起きないのか?週刊誌の中吊り広告でも、様々な憶測が書かれていたのを覚えていますが、仙台高等裁判所の判決が出され、2019年には最高裁判決における判決が確定しました。
    私達は裁判の判決があると、新聞や、テレビや、今はネットニュースで知ることができますが、判決の主文はかなりの部分公的に公開されており、webから読むことができます。真相を理解するために裁判所の主文、また根拠となる法律も、六法全書を買ってこなくても、ネットで読むことができます。
     防災の国語力として、法律本文を読んで理解する。判決文から真相を読み取り、教訓を考える力が必要です。
    「裁判所」(検索)→「裁判例情報」→「下級裁判所」で検索キーワードを「大川小学校」と入れて検索すると、
    https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/735/087735_hanrei.pdf
    大川小学校津波事故裁判仙台高等裁判所判決主文
    P143〜
    サ 上記コの二次避難中,教職員は,児童を校庭から更に別の場所に三次避難させるべきかどうか,三次避難をさせるとしたらどの場所が適当かを協議,検討していた。とりわけ,E教務主任は,二次避難開始直後の早い段階から裏山への三次避難を提案していたが,強い余震が連続し,山鳴りがする中で,児童を裏山へ登らせるのは危険であるという意見を述べる教職員もあり,協議はまとまらなかった。もっとも,D教頭は,本件広報①②により宮城県に大津波警報が発令され,避難が呼び掛けられていたことや,児童を引き取りに来た保護者などからも,「津波が来るから裏山に逃げて。」などと助言されるなどしたことから,「裏の山は崩れるんですか。」,「子供達を登らせたいんだけど。」,「無理がありますか。」などと釜谷地区の住民の意見を聴いた上,釜谷地区の区長に対し,「山に上がらせてくれ。」と言って裏山に三次避難することを打診した。しかし,区長からは,「ここまで来るはずがないから大丈夫」,「三角地帯に行こう。」との発言があり,裏山に避難することを反対されたため,D教頭は,児童を裏山に三次避難させることを諦め,次善の策として,大川小の校庭よりも高台にある三角地帯への三次避難を決断した。
    シ 校庭に残っていた二次避難中の76名の児童は,午後3時30分過ぎまで校庭に留まった後,遅くとも午後3時35分頃までに,教職員11名の指示の下,列を作って交流会館の駐車場を通り,三角地帯の方向に徒歩で向かった。これに付き従う地域住民もいた。交流会館の敷地を列の最後尾が通り抜けた頃,北上川を遡上してきた本件津波が,新北上大橋付近の右岸堤防から越流して一帯に襲来し,教職員と児童は津波に呑まれた。本件津波から生き残ったのは,児童4名とE教務主任のみで,被災児童を含むその余の児童72名と教職員10名は全員死亡した(そのほか,当日欠席早退した児童のうち2名も本件津波に被災して死亡した。)
    ス 大川小には,午後3時37分頃に津波が到達し,周辺一帯が水没し,校舎内の複数の時計がその前後の時刻で停止した。本件津波の水面は,最終的には,大川小の校舎付近では2階建ての管理・教室棟の屋根まで達し,校舎2階の天井には,標高8.663mの位置に浸水の痕跡が残った。
    (中略)
    (判決の一部)
    慰謝料
    被災児童は,死亡当時,いずれも8歳から12歳の小学生であり,第1審原告らを含む両親や祖父母らの愛情を一身に受けて順調に成長し,将来についても限りない可能性を有していたにもかかわらず,本件津波
    によって,突然命を絶たれてしまったものである。また,被災児童は,本件地震発生直後は,大川小の教職員の指導に従って無事に校庭に二次避難し,その後も校庭において二次避難を継続しながら教職員の次の指示を大人しく待っていたものであり,その挙げ句,三次避難の開始が遅れて本件津波に呑まれ息を引き取ったものであって,死に至る態様も痛ましいものであり,被災児童の無念の心情と恐怖及び苦痛は筆舌に尽くし難いものと認められる。
    以上の事情に鑑みると,被災児童の死亡慰謝料としては,それぞれ2000万円を認めるのが相当である。
    P131

    大川小が立地する釜谷地区の住民と大川小との避難行動が整合的なものとなるよう地域住民等との間で連携が図られるべきことは当然であるところ(学校保健安全法30条),大川小において平成22年6月に実施が予定されていた地震を想定した避難訓練の準備又はその実施の機会等を捉え,地域住民等との間で意見交換を行い,釜谷地区には津波は来ないという釜谷地区の住民の認識が根拠を欠くものであることを伝えて説得し,その認識を改めさせた上で,大川小の在籍児童を避難させるべき第三次避難場所の位置,避難経路及び避難方法について調整を行うことは十分に可能であったと認められる。

    学校保健安全法30条とは
    後の裁判により明らかになった事実のひとつに、「教頭が近くの山への避難を打診したにもかかわらず、地域のリーダーである区長がこれを否定し、避難が遅れた」というやりとりがある。
    難計画や指揮命令系統の枠組みが存在していなかったことを示す、極めて深刻な構造的問題です。
    本来、学校と地域との連携体制は、学校保健安全法第30条および学校保健安全法施行規則第29条により、法的に義務づけられています。同条文では、「学校における安全管理に関し、当該学校の設置者は、関係機関との連携を図るものとする」と明記されており、自然災害等の緊急時における対応についても、地域の防災機関や自治会等との事前協議と役割分担が求められている。

    第7節 語り部の声と裁判判決文からの学び ― 大川小学校津波事故と未来をひらく防災対策
    語り部の声:佐藤敏郎さんの言葉

    2011年3月11日、石巻市立大川小学校では、児童74名、教職員10名が津波により犠牲となった。 その中で娘を亡くし、教員でもあった佐藤敏郎さんは、後に「小さな命の意味を考える会」を設立し、語り部としての活動を始めた。
    彼の言葉は私たちに問いかける。
    「時間も、情報も、手段も、すべてがそろっていた。それでも娘は救えなかった。」
    「命を救うのは“山”ではない。“山に登る”という“行動”なんです。」
    この言葉は、災害対応において、知識ではなく行動が命を左右するという防災の核心を突いている。
    また、佐藤氏が生徒たちとともに取り組んだ俳句の中には、震災を経て生きる子どもたちの言葉がある。
    「窓ぎわで 見えてくるのは 未来の町」
    「真っ暗闇 どれだけ明かりを 灯せるか」
    「将来は 幼い子供に 今を伝える」

    震災は、語られなければ「忘却」となり、また繰り返される。そのための語り部の存在は、命を守る学びの根源である。

    【考察】裁判からの考察:仙台高裁判決とその限界
    これらの文章を読み、考察に入ります。
    大川小学校事故を巡っては、仙台高裁(平成28年)および最高裁(令和元年)が、石巻市と宮城県に対し国家賠償法上の過失を認定しました。
    その意義は大きいです。予見可能性・回避可能性があったと明確に認定されたことは、学校や行政の責任を初めて法的に明示しました。
    しかしながら、この判決は「今後の防災体制をどう構築すべきか」という政策的・制度的課題には十分に踏み込んでいなません。
    特に注目すべき点として、
    消防法への言及の欠如
    消防法第8条には防火管理者や避難訓練、消防計画の作成が規定されている。 しかし判決は、避難判断や地震・津波対応に関し、消防法には触れず、代わりに学校保健安全法第30条を根拠としている。
    このことは、現在の法制度において、地震後の津波避難が消防計画の中で義務的に明記されていないことの限界を示している。

    自治会(区長)の責任と法的位置づけ
    判決では、地域住民の避難意識の低さが学校判断に影響したという経緯が述べられているが、区長が所属する自治会は地方自治法上の任意団体であり、災害対応に法的義務は課されていない。
    そのため、学校が区長の判断に従って裏山避難を断念したことに対し、行政判断としての正当性は薄いと考えられる。

    校長の「地域との合意形成責任」の限界
    判決は、校長が地域住民と協議し、誤った津波認識を改め、避難先を合意形成すべきだったとしているが、現実にはそのような制度的枠組みは存在しない。 学校運営協議会やPTAが防災避難の合意を担う設計にはなっておらず、地域との協議責任を学校側に一方的に課すのは非現実的である。

    教訓として私たちが学ぶべきこと
    判決が責任を明確にしたことは意義深いが、学校・地域・行政がどのように避難行動を合意形成し、制度として定着させるかは今後の課題です。
    学校保健安全法と消防法、災害対策基本法、地方自治法などの「法制度の乖離」が、現場で判断の迷いを生んでいる現実を直視すべきです。
    地域のリーダーが誰であるのか、またそれが法的にどう位置づけられているかを明確にすることなしに、「協議」「合意」「説得」などの理想を掲げても、制度の裏付けがなければ再発は防げません。
    命を守る行動は、「できるか」ではなく「するか」にかかっている。 その行動を支える制度を整備することが、これからの防災立国に求められているはずです。
    学校、住民、自治会、事業所など地区には様々な要素の個人や組織が存在する。それらが災害に対して事前から、発災直後、復旧・復興までを見通した適切な知識をもち、行動できる未来。
    それが、大川小学校で未来を絶たれた生命が希望する未来でなないかと考えます。

    第8節 洪水の歴史を伝承する
    風水害で大きな被害を受けると、「90年ここに住んでいるが、こんなことは経験したことがない・・。」などのインタビューを見聞きします。しかし、その地区には、洪水の記録を未来に伝えようとする石碑があったということが伝えれます。
    過去の災害の記憶と教訓を未来に伝承することは大切なことです。
    私が校長を務めた横浜市立北綱島小学校は、地震のリスクもありますが、鶴見川流域の低地にあり、過去の水害の歴史がありました。
    2019年の台風19号では、多摩川で洪水被害がありましたが、鶴見川は、日産スタジアムがある多目的遊水地が緩衝の働きをするほか、様々な対策により洪水被害を免れました。この歴史を地域で伝承するための、私が作成した資料です。現任校長の承諾をいただき、校長室前に掲示しています。

    綱島の洪水(こうずい)ものがたり 文:鷲山
    横浜市立北綱島小学校(きたつなしましょうがっこう)学区(がっく)(むかし)は、ほとんどが(た)んぼで、米作(こめづく)りができるとともに、鶴見川(つるみがわ)早渕川(はやふちがわ)洪水(こうずい)(くる)しんできました。桃畑(ももばたけ)などがふえた時代(じだい)住宅(じゅうたく)がふえる時代(じだい)となり、洪水(こうずい)をふせぐ人々(ひとびと)努力(どりょく)(つづ)きました。
    その努力(どりょく)結果(けっか)、1982年の洪水(こうずい)最後(さいご)に、洪水(こうずい)がない生活(せいかつ)ができるようになりました。
    北綱島小学校に学ぶみなさんが、(むかし)からの洪水(こうずい)をふせぐ人々(ひとびと)のものがたりを(し)り、生活科(せいかつか)総合的(そうごうてき)学習(がくしゅう)時間(じかん)道徳(どうとく)社会科(しゃかいか)理科(りか)などで(ふか)(ひろ)(まな)(て)がかりとなることを(ねが)って、このお(はなし)(みじか)くまとめました。

    (むかし)の綱島の洪水(こうずい)
    江戸時代(えどじだい)綱島(つなしま)は、鶴見川(つるみがわ)早渕川(はやぶちがわ)出会(であ)場所(ばしょ)で、(ゆた)かな(みず)(た)んぼになる(ひく)土地(とち)があり、お(こめ)づくりにはよい土地(とち)でした。
    しかし、「早渕川(はやぶちがわ)は、カエルがしょんべんしても洪水(こうずい)になる。」と(い)われ、(あめ)がふると洪水(こうずい)になりやすい場所(ばしょ)でした。
    そのため、「綱島(つなしま)新羽(にっぱ)には(よめ)にやるな。」という言葉(ことば)(のこ)っています。
    さむらいの時代(じだい)、ここは徳川将軍(とくがわしょうぐん)土地(とち)でしたが、洪水(こうずい)が多く、人々(ひとびと)(くる)しみました。綱島駅(つなしまえき)(ちか)くで(いま)でも(もも)づくりをされている池谷(いけのや)さんのご先祖(せんぞ)は、(くる)しむ綱島(つなしま)人々(ひとびと)代表(だいひょう)して、老中様(ろうじゅうさま)のかごに手紙(てがみ)をさしだし、洪水(こうずい)をしずめる工事(こうじ)のおねがいをしたと(つた)えられています。
    このような、うったえ(駕籠訴(かごそ))をすると死罪(しざい)などになることもあったのですが、ゆるされ、工事(こうじ)のための(すこ)しのお(かね)をいただくことができました。

    将軍(しょうぐん)からのお(かね)をもとにみんなで工事(こうじ)をすることはできましたが、洪水(こうずい)被害(ひがい)をへらすほどの大工事(だいこうじ)はできませんでした。

    (おお)きな洪水(こうずい)があると、綱島(つなしま)(みずうみ)のようになってしまい、何日(なんにち)(みず)がひくことがありませんでした。せっかく(みの)ったお(こめ)も、何日(なんにち)(みず)にひたったままだと、(め)(で)てしまうのです。
    飯田(いいだ)さんの長屋門(ながやもん)には、洪水(こうずい)のときに使(つか)ったとされる(ふね)があるので、みなさんも(み)せていただきましょう。
     
    (あたら)しい時代(じだい)工夫(くふう) 〜桃の里(もものさと)長屋門(ながやもん)(まえ)氷作(こおりづく)りの(いけ)のひみつ〜
    さむらいの時代(じだい)が終わり、(あたら)しい時代(じだい)になりましたが、洪水(こうずい)(つづ)きました。人々は、洪水(こうずい)(おお)綱島(つなしま)(つち)(あ)い、台風(たいふう)季節(きせつ)より(まえ)にとれる、「日月桃(じつげつとう)」と(い)品種(ひんしゅ)のおいしい(もも)(そだ)てるようになり、「(ひがし)神奈川(かながわ)西(にし)岡山(おかやま)」と(い)われるほどの(もも)名産地(めいさんち)になりました。また、(ふゆ)には飯田(いいだ)さんの長屋門(ながやもん)(まえ)(いけ)(こおり)(つく)られ、(なつ)には(まち)(う)れるものになりました。(むかし)(ふゆ)は、(いま)より(さむ)く、長屋門(ながやもん)(まえ)(いけ)(あつ)(こおり)(つく)ることができたのです。
    太平洋戦争(たいへいようせんそう)(まえ)(1938年)にも(おお)きな洪水(こうずい)があり、飯田助夫(いいだすけお)衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)は、横浜市長(よこはましちょう)(くに)大臣(だいじん)をよんで、綱島橋(つなしまばし)から(みずうみ)のようになった綱島(つなしま)(み)てもらいました。大臣(だいじん)たちも、(なん)とかしたいと(い)って(かえ)ったのですが、戦争(せんそう)(はじ)まり、それどころではなくなりました。戦争(せんそう)(あいだ)に、「ぜいたく(ひん)(もも)より(こめ)(むぎ)(つく)れ。」という(ぐん)命令(めいれい)もあり、戦後(せんご)は、温泉街(おんせんがい)住宅地(じゅうたくち)になって(もも)(ばたけ)(すく)なくなっていきました。
     
    鶴見川(つるみがわ)の「流域(りゅういき)」で協力(きょうりょく)して洪水(こうずい)をふせぐ【鶴見川総合治水対策(つるみがわそうごうちすいたいさく)
    戦争(せんそう)が終わり、鶴見川(つるみがわ)のまわりには、(いえ)工場(こうじょう)がふえ、(おお)くの(ひと)生活(せいかつ)するようになりました。このように(まち)(か)わったのに洪水(こうずい)がふせげなかったため、狩野川台風(かのがわたいふう)(1958年)では、何万(なんまん)(けん)もの(いえ)浸水(しんすい)しました。
    (ふ)った(あめ)(かわ)(あつ)まる地域(ちいき)を「流域(りゅういき)」といいます。鶴見川流域(つるみがわりゅういき)(けん)(し)(さかい)(こ)えて、鶴見川(つるみがわ)上流(じょうりゅう)から下流(かりゅう)まで(おお)くの役所(やくしょ)市民(しみん)学者(がくしゃ)知恵(ちえ)(こころ)(あわ)わせて大作戦(だいさくせん)を考え、1980年ごろから(はじ)めました。

    作戦(さくせん)1【河川対策(かせんたいさく)】 早渕川(はやふちがわ)鶴見川(つるみがわ)(まが)がっていた(かわ)をまっすぐにして、(ひろ)(ふか)(ほ)りました。その土砂(どしゃ)(う)(た)てられたのが大黒ふ頭(だいこくふとう)です。
    新横浜(しんよこはま)のスタジアムのあたりには、洪水(こうずい)をふせぐためにたくさんの(みず)をためる場所(ばしょ)多目的遊水地(たもくてきゆうすいち))ができました。

    作戦(さくせん)2【下水道対策(げすいどうたいさく)】 地下(ちか)巨大(きょだい)(かん)雨水(あまみず)大量(たいりょう)にため、(まち)(ふ)ってたまった雨水(あまみず)下水(げすい)からあふれる(みず)内水(ないすい))を(だ)すためにポンプ場(ぽんぷじょう)(はたら)くしくみも(つく)られています。

    作戦(さくせん)3【流域対策(りゅういきたいさく) 雨水(あまみず)一度(いちど)(かわ)(あつ)まらないように、鯛ヶ崎公園(たいがさきこうえん)広場(ひろば)には(みず)をためるしくみがありますので、(み)てみましょう。こうしたしくみは、学校(がっこう)校庭(こうてい)やマンションの地下(ちか)など、町田市(まちだし)から鶴見区(つるみく)まで、5000箇所(かしょ)(つく)られていて、雨水(あまみず)をためて洪水(こうずい)(ふせ)ぎます。

    綱島市民(つなしましみん)(もり)などは、(き)(ね)(つち)(みず)をため、雨水(あまみず)一度(いちど)(かわ)(あつ)まらないようにします。鶴見川流域(つるみかわりゅういき)には、水源(すいげん)町田市(まちだし)から横浜市(よこはまし)まで、たくさんの(もり)市民(しみん)努力(どりょく)により(まも)られているのです。
    こうして、「河川対策(かせんたいさく)」「下水道対策(げすいどうたいさく)」「流域対策(りゅういきたいさく)」を合体(がったい)させて、【鶴見川総合治水対策(つるみがわそうごうちすいたいさく)】が(おこな)われました。その結果(けっか)、1982年の洪水(こうずい)最後(さいご)に、(おお)きな洪水(こうずい)(お)きなくなりました。(2022年10月現在(げんざい)
     2019年の台風(たいふう)19号では、となりの多摩川(たまかわ)洪水(こうずい)がありましたが、鶴見川(つるみがわ)は、新横浜(しんよこはま)多目的遊水地(たもくてきゆうすいち)(みず)をたくわえ、(まち)への洪水(こうずい)(お)きませんでした。こうして、鶴見川総合治水対策(つるみがわそうごうちすいたいさく)は、全国(ぜんこく)手本(てほん)となったのです。
     
    ●これまでなかったような大洪水(だいこうずい)にそなえる
     今、地球温暖化(ちきゅうおんだんか)により、これまでになかったような大洪水(だいこうずい)世界中(せかいじゅう)(お)きるようになりました。
    港北区洪水(こうほくくこうずい)ハザードマップ」では、北綱島小(きたつなしましょう)学区(がっく)は、最大(さいだい)で3m、2(かい)までの浸水(しんすい)予想(よそう)されています。
    港北区洪水(こうほくくこうずい)ハザードマップ」や北綱島小学校地域防災拠点運営委員会(きたつなしましょうがっこうちいきぼうさいきょてんうんえいいい)の「水害・土砂災害(すいがい・どしゃさいがい)避難(ひなん)について」などをもとに、わが(や)(まも)りたいもののために、自分(じぶん)家族(かぞく)(はや)めに(うご)(はじ)める「マイ・タイムライン」などを(かんが)え、(いのち)大切(たいせつ)なものを(まも)るそなえをしていくことが必要(ひつよう)です。
     
    この文章は、2013年当時の校長鷲山が飯田助知先生にご監修いただいて書いた教材、「綱島洪水とのたたかい」がもとになります。(ホームページで検索できます) この教材をどの学年でも使えるように、短くまとめたいと思いました。

    資料データダウンロード 未来防災NET mirai-bousai.net  
    飯田助知先生からいただいた「鶴見川水害予防組合史増補復刻版 (2022年度版)」と、鶴見川流域ネットワーキング代表理事 岸 由二先生の本とお話をもとに、洪水の歴史と新たに「鶴見川相当治水対策」を紹介してまとめました。 鷲山
     
     
    参考文献 
     鶴見川水害予防組合史増補復刻版 飯田助知 岸 由二(2022年度版)  
    岸 由二「生きのびるための流域思考」ちくまプリマー新書
    港北区史 
    綱島小学校社会科資料「あばれ鶴見川にいどむ」  
    飯田助知様のお話   
    池谷様のお話   
     

    コラム 黄色信号のほんとうの意味
    ―「まだ行ける?」それとも「もう止まれ!」?―
    信号が青から黄色に変わるとき、あなたはどうしますか?
    「急げば渡れるかも」「スレスレで止まれるかな」—はたまた「止まらなきゃ危ない」と判断する人もいるでしょう。
    実は日本人の多くが「常識」と思い込んでいる信号の意味には、重大な誤解が含まれているのです。
    黄色は「注意して進め」ではなく「止まれ」
    私の調査では、黄色信号について約3分の1の大人が「注意して進め」と答えています。
    でも、道路交通法施行令には明確にこうあります:
    (黄の灯火の意味)
    車両等は、停止位置を越えて進行してはならない。
    ただし、停止位置に接近していて、安全に停止することができない場合を除く。
    — 道路交通法施行令 第2条
    つまり… 黄色信号は「止まれ」が原則
    “まだ間に合うかも”という感覚は、法律上は認められません。
    青の点滅も要注意
    歩行者信号の“青点滅”も、同じように誤解されがちです。
    多くの人が「急げば渡れる」と考えますが、法令上はこう書かれています:
    (青色の灯火の点滅)
    歩行者は、横断を開始してはならない。
    — 道路交通法施行令 第2条 第2項
    つまり、“点滅中は新たに渡ってはいけない”、という意味です。
    すでに渡っている人は渡りきって構いません。
    なぜ誤解が広がるのか?
    答えは「原文に触れないから」です。
    「聞いた話」「習った気がする」で記憶し、「なんとなく“黄色=注意”“点滅=急げ”」と覚える習慣が、いつの間にか“当たり前”になってしまうのです。
    でも、法律とは 「過去の失敗から導き出された、命を守るための言葉」
    その意味と背景を読み取れる国語力は、防災の基本です。

    第2章 防災の算数
    数字から読み解く防災の知恵 〜数量・図形・データで命を守る〜
    算数科では、数値や図形、データの読み取りを通じて、現実の課題を数量的に捉える力を育てます。防災においても、災害リスクや避難行動を数的に把握する力は命を守るために重要です。
    (表 防災用語一覧)
    🔹 算数における防災教育の3つの目標
    1.被害予測や避難計画を数量的に考える力を養う
    地震のマグニチュードや津波の高さ、火災延焼の時間、避難にかかる距離や時間など、数量で捉える力が状況判断を支えます。単位換算や概算力も、災害時の即時判断に役立ちます。
    2.データを使って防災意識を深める
    統計資料やグラフを読み取る学習を通じて、災害の発生頻度、被害の傾向、地域差などを見える化する力を育てます。被害件数の推移や避難所利用者数を棒グラフ・円グラフ・折れ線グラフで比較する活動も効果的です。
    3.図形や空間認識を通じて避難経路を考える力を養う
    学校や家庭の間取り、防災マップなどをもとにした避難経路の把握や安全な場所の確認は、図形・面積・位置関係の理解と直結します。縮尺を使った地図や時間と距離感の読み取りも、防災算数の重要な要素です。

    第1節 ゆれはどれくらい?震度の意味は?
    (目標)災害や防災における数値の意味を知り、災害の大きさや警報のレベル、物理的な運動やエネルギーやその社会的被害や影響を理解することができる。
    ~震度を数字で読みとく地震のものさし~

    ◆ 地震の「大きさ」ってどうやって決めるの?
    ニュースで「震度6弱の地震が発生しました」なんて聞いたことありますね。
    でも「震度6弱」って、いったい何を表しているのでしょう?
    「震度」は、地震の揺れの強さを表すための日本独自の「ものさし」です。
    これは、ただの数字ではなくて、どのくらい人が感じるか/物が動くか/建物に影響が出るかという体感+観察の指標なのです。

    ◆ 震度って何段階あるの?
    現在、日本では気象庁震度階級というルールが使われていて、震度は0〜7の10段階に分かれています。
    (※5と6には「弱」と「強」があるので、細かくは10種類!)
    【震度階級の表(標)

◆ 震度とマグニチュードのちがい
「マグニチュード6.8の地震が、震度5強を記録」なんて言い方もしますが、
このマグニチュード(M)は、地震そのものの「エネルギーの大きさ」を表します。
それに対して震度は「揺れの強さ」=人や建物がどれくらい影響を受けたかを表します。
たとえば:
遠くで起きた大きな地震 → M7.5だけど、震度は2(揺れは小さい)
近くで起きた小さめの地震 → M5.0でも、震度5強(かなり揺れる)
第2節 地震の「パワー」はどう測る?
~マグニチュードとモーメントマグニチュードのしくみ~

◆ 地震の「エネルギー」って、どれくらい?
地震には、「震度」と「マグニチュード」という、ふたつの“ものさし”があります。
前の章で学んだ震度は“その場所での揺れの強さ”。
それに対して、マグニチュード(M)は“地震そのもののエネルギー”の大きさを表します。

たとえばこんなイメージです:
震度:手のひらで感じた“パンチの衝撃”
マグニチュード:パンチした人の“パワーそのもの”
震源が近ければ小さなマグニチュードでも大きな揺れ(=震度)になるし、
遠ければ大きな地震でも揺れは小さく感じます。
だから、「マグニチュードと震度は別もの」と覚えておきましょう。
◆ マグニチュードってどんな数字?
マグニチュードの基本的なルールはこうです:
1大きくなると、エネルギーは約32倍!
2大きくなると、約1,000倍!
例:(表)

つまり、M8の地震はM6の地震の1,000倍のエネルギーなのです!
「数字がちょっと違うだけ」に見えても、その威力はケタ違いなのですね。
◆ でも、マグニチュードには“いくつかの種類”がある?
実はひとくちにマグニチュードといっても、使われる計算方法はいくつかあります。
リヒター・マグニチュード(局地マグニチュード:ML):昔から使われている、地震計の振れ幅から出す方法。
気象庁マグニチュード(Mj):日本で使われてきた独自の計算式。地震波の大きさと伝わり方を使う。
モーメントマグニチュード(Mw):いま世界標準となっている、地震の“本当のパワー”を物理的に計算する方法。
では、今の主役、モーメントマグニチュード(Mw)をもう少し詳しく見てみましょう!
◆ モーメントマグニチュードってなに?
モーメントマグニチュードは、地震がどれくらいの力で、どれくらいの面積を動かしたかをもとに計算されます。
モーメントマグニチュード(Mw)の考え方:
地震の「断層の動いた面積」×「ずれた距離」×「岩の硬さ」= 地震モーメント
それを対数で換算 → モーメントマグニチュード(Mw)
つまり、Mwは「どれくらいの地面が、どれくらい強く、どれくらい大きく動いたか」を表す数値なのです。
たとえば:
ここで使われる「面積」「ずれ」「岩の硬さ」は、人工地震やGPS観測、地殻変動データなどから推定されます。
◆ なぜモーメントマグニチュードが使われるの?
昔のマグニチュード(MjやML)は、震源が遠くなると正しく測れない、非常に大きな地震だと過小評価になるという問題がありました。
でも、モーメントマグニチュードは世界中どこで起きた地震でも、統一した基準で“本当の規模”がわかるという大きなメリットがあります。
だから現在では、
国際地震センター(ISC)
米国地質調査所(USGS)
気象庁(大地震において)
など、多くの機関がモーメントマグニチュード(Mw)を標準として使っています。
◆ 算数と科学は、災害の未来を読む力になる
数字の裏には、地球の動きの真実が隠れています。
その数字を読み解く力は、命を守る判断や、備える力につながります。
算数や数学は、「役に立つ」の先に、「生きのびる知恵」に変わるのです。

第3節 プレートの動きは1年でたった5〜10cm。でも…?
~地震を起こす“地球の動き”を計算してみよう~
◆ どうして地震は起きるの?
地球の表面は「地殻(ちかく)」と呼ばれる岩盤でできています。この地殻はいくつかの“プレート”という岩の板に分かれていて、いつも少しずつ動いています。
このプレートの動きが、地震や火山、津波のもとになります。
海底でプレートが生まれる(海嶺)
冷えて重くなったプレートが、海溝に沈み込む
ときにはぶつかり合って、島や山ができる(ヒマラヤ山脈など)
日本列島は、4つのプレートが集まってぶつかり合う場所にあるため、地震がとても多いのです。
◆ プレートは1年でたったの「5cm」?
フィリピン海プレートは、日本列島に向かって毎年およそ5cm動いています。
太平洋プレートは約10cmです。
これって、1年間で指1本分の動き。
…でも、それが100年、1000年とたまっていくと?
地震とは、そうしてたまった“ひずみ”が一気に解放されて、岩盤が「バキッ」とずれる現象です。だから「たった5cm」でも、長い時間をかければ、ものすごいエネルギーになるのです。
◆ どれだけ動く? プレートの移動を計算しよう!
では実際に、プレートがどれくらい動くのか計算してみましょう。
計算式:
移動距離(cm)= 年数 × 1年あたりの移動量(5cm)
そのあと、cm → m → km に単位を変換していきます。
◆ プレートの移動距離(5cm/年として)
◆ プレートの移動距離(5cm/年として)

◆ えっ、100万年で50kmも動く!?
たった5cm/年でも、100万年たてば50kmも動く。
それは東京から小田原までの距離に相当します。
プレートは“超スローな巨大ベルトコンベア”のように、地球の地形を変えてきたのです。
そしてその動きの途中で、
プレートが割れて「断層」になったり
ぶつかって「山」ができたり
ひずんで「地震」が起きたり
…と、私たちが住む大地は、まさに“動く大地”なのですね。
◆ プレートの“重さ”と“体積”はどれくらい?
プレートはただの板ではなく、厚さ数十km、幅数百km以上の“巨大な岩の層”です。
たとえば:
フィリピン海プレートの厚さ:約50km
面積:約数百万km²
密度:約3トン/m³とすると…
もし10m動いたら、長大で思いが一斉に動くことになります。
まさに、地震は“大地のエネルギー爆発”なのです。
◆ まとめ:算数で、地球の動きを見える化しよう!
プレートは1年で5cm。でも100年で5m、1000年で50m動く!
地震は、この「たまりにたまったエネルギーの一気放出」
プレートの動きは、私たちの大地・山・海・災害までもつくっている
そしてこの「5cmからはじまる計算」が、
“今、私たちがどこにいるのか”を知る手がかりになるのです。
第4節 「最初の揺れ」で地震を予知する?
~P波とS波が教えてくれる命のタイミング~
◆ 地震の「揺れ」には、2種類ある!?
地震が起きると、まず「カタカタ」と軽い揺れ、そして「ドーン」「ユッサユッサ」と大きな揺れが来る。
体験したことのある人なら、この「二段階の揺れ」を覚えているかもしれません。
実はこれ、地震の波が2種類あるからなのです。
それが、P波(Primary wave)とS波(Secondary wave)。
地震はこの2つの波が時間差でやってくることで、さまざまな情報が得られます。
◆ P波とS波ってなに?
◆ P波とS波ってなに?

◆ 最初に気づいたのは誰?
P波とS波の性質を最初に理論化したのは、イギリスの地球物理学者リチャード・ディクソン・オールドハム(R.D. Oldham)です。
1906年、彼は世界中の地震計の記録を比較し、「最初の小さな揺れ(P波)」と「大きな揺れ(S波)」の間に時間差があることに気づきました。
この発見によって、地震の内部構造や震源までの距離を“時間”で逆算できるようになったのです。
◆ 揺れの「時間差」を使って、震源地を測る!
たとえば、ある場所で地震のP波が最初に届き、
その後S波が5秒遅れて届いたとします。
P波が時速約6km/s、S波が4km/sだとすると…
この「5秒の時間差」=震源までの距離が数十kmというふうに計算できます。
日本ではこれを使って、3点以上の地震計の観測から「震源の位置」や「深さ」を測定するのが基本となっています。
◆ 緊急地震速報はP波のおかげ!
いまやスマホでも流れる「緊急地震速報」。
これがなぜ可能かというと──P波とS波の時間差のおかげなのです!
地震の波は秒速で伝わりますが、P波の方が速い。
つまり、震源に近い地震計がP波をキャッチした瞬間、
「これからS波が数秒〜十数秒後にこの地域に来る!」
と予測できるのです。
この情報をすばやくコンピューターが分析し、電車を止めたり、スマホに警報を送ったりできる。
それが「S波が来る前に知らせる」緊急地震速報システムなのです。
◆ 数字で見る、警報までの時間
たとえ10秒でも、命を守る行動ができるのが、P波のすごさなのです。
◆ まとめ:最初の「カタ・カタ」が教えてくれること
地震には速いP波と遅いS波がある
揺れの「時間差」を使って、震源やエネルギーを計算できる
P波を先にキャッチすることで、地震の速報や予知ができる
いまや私たちがスマホで受け取る警報は、算数と地球科学が生んだ“命のアラーム”。
この「数秒」を大切にすることが、命を守る第一歩になります。

長周期地震動と短周期地震動 ― 揺れのリズムを数字で読む
• 短周期(0.1〜0.5秒程度) … ガツンと速い揺れ。木造や2階建てなど低層建物や家具に効く。
• 中周期(1〜2秒程度) … 中層ビルに影響しやすい。
• 長周期(3〜10秒程度) … ユラユラと大きな揺れ。超高層ビル・大規模構造物に効く。
• 長周期パルス(1〜数秒の速度パルス) … 断層直近で一撃のような大きな揺れ。熊本地震などで観測。

1) 身近なたとえと数字
• 短周期の揺れ(0.1〜0.5秒)
太鼓の早打ち「ドンドンドン」。
→ 2階建て木造(固有周期およそ0.2秒)とテンポが合い、家具転倒・瓦落下が起こりやすい。
例:阪神・淡路大震災(1995年)
• 中周期の揺れ(1〜2秒)
普通のブランコの揺れに近いテンポ。
→ 10階前後のビル(固有周期およそ1秒)で共振。梁や内装の破損が起きやすい。
• 長周期の揺れ(3〜10秒)
大きなブランコをゆったり押すような「ユ〜ラ、ユ〜ラ」。
→ 30階超の高層ビル(固有周期およそ3秒)で共振。
例:東日本大震災(2011年)では東京都心の高層ビルで長時間の揺れ。
• 長周期パルス(1〜5秒の速度パルス)
断層が地表に現れる地震で「ドンッ」と一撃のように揺れる。
→ 熊本地震(2016年)で断層近くに強烈な速度パルスが観測。橋梁や長スパンの床が大きく変位。

2) 算数でイメージする
• 周期 TT が短い(0.1秒)ほど、同じ振幅でも加速度(揺さぶる力)が大きい。
• 周期 TT が長い(3〜10秒)ほど、同じ速度でも変位(ゆれ幅)が大きい。
建物の「固有周期」の目安:
• 2階建て木造 … 約0.2秒
• 10階ビル … 約1秒
• 30階ビル … 約3秒
• 50階超 … 約5秒前後

3) チェックリスト
• 自宅や学校の階数から固有周期を概算(0.1秒×階数が目安)。
• 短周期対策(0.1〜0.5秒揺れ):家具固定、食器棚ラッチ。
• 長周期対策(3秒以上揺れ):天井・配管のゆとり確保、エレベーター停止への備え。
• 断層近接対策:橋や長スパンの可動域・落橋防止を確認。

まとめ
• 短周期=0.1〜0.5秒 → ガツン(低層に効く)
• 中周期=1〜2秒 → ドシンドシン(中層に効く)
• 長周期=3〜10秒 → ユラユラ(高層に効く)
• 長周期パルス=1〜5秒の一撃(断層直上に効く)
表1 建物の高さと固有周期(目安)

建物の種類 階数・高さの目安 固有周期 TbTb(秒) 備考
木造住宅 2階(約6〜8m) 約0.2秒 家具転倒や瓦落下が主リスク
中層ビル 10階(約30m) 約1秒 サッシュ・内装の破損リスク
高層ビル 30階(約100m) 約3秒 長周期地震動で大きく揺れる
超高層ビル 50階以上(150〜200m超) 約5秒前後 東日本大震災で東京都心が長時間揺れた事例
※簡易式:
• Tb≈0.1×階数Tb≈0.1×階数 秒
• Tb≈0.02×高さ(m)Tb≈0.02×高さ(m) 秒

表2 過去の地震と揺れの特徴
地震名 発生年 主な被害地域 揺れの周期の特徴 被害の傾向
阪神・淡路大震災 1995年 神戸市など 短周期(0.1〜0.5秒)主体 木造2階建の倒壊、家具転倒、低層建物の被害集中
東日本大震災 2011年 東北地方〜首都圏 長周期(3〜10秒)が遠方まで伝播 首都圏の高層ビルで長時間の大きな揺れ、エレベーター停止、天井落下
熊本地震 2016年 熊本市・益城町など 長周期パルス(1〜数秒の速度パルス) 断層直上の建物・橋梁に大きな変位、強烈な一撃の揺れ

第5節 津波は、速い!そして、こわい!
~“速さ”と“高さ”で見る津波の正体~
◆ 津波って、どんな波?
津波(つなみ)は、地震や火山の噴火、海底の地すべりなどで海の底が大きく動いたときに発生する波です。
ふだんの海の波とはちがい、海の全体が「かたまりのように動く」のが津波の特徴です。
そして津波のこわさは、
「とてつもない速さでやってくる」
「浅い海で急に高くなる」
という2つの性質にあります。
◆ 津波は、深い海では“ジェット機並み”の速さ!
津波の速さは、海の深さが深いほど速くなるという特徴があります。
これは重力波の性質によるもので、以下のような数式で表されます:
【津波の速度(m/s)】
v = √(g × h)
(g=重力加速度9.8m/s²、h=海の深さ)
たとえば、
深さ4,000mの太平洋 → √(9.8×4000) ≒ 198m/s(時速約710km)!
これはジェット機と同じくらいのスピードです!
遠くの海底地震で津波が発生しても、数分〜数十分で日本の沿岸に到達するのはこのためです。
◆ 浅い海では、速度が落ちるけど高さが増す!
ところが、津波が陸に近づいて海が浅くなるとどうなるでしょう?
速さは落ちる(例:水深10mだと約10m/s=時速36km)
そのかわり、海水が後ろから押し寄せて“盛り上がり”始める!
これが「津波の遡上(そじょう)」と呼ばれる現象です。
海水はブレーキがかかったようにゆっくりになるが、高くなる。
つまり──
深い海:速いけど低い
浅い海:遅いけど高くなる!
この性質が、港や平野部で大きな被害を生む理由なのです。
◆ 数字で見る津波の速さと高さの変化(表 )

◆ 津波が見えたら、逃げられない!
津波は、見えてから逃げてももう間に合いません。
だからこそ、津波は「音より速く、見た目よりもこわい」ということを知っておく必要があります。
P波で揺れを感じたら、すぐに避難!
沿岸部では、津波警報が出たら高台や3階以上の建物へ
これは算数と科学が教えてくれる「命を守る行動」です。
◆ 津波の速さは、知識で逃げる時間をつくる
津波は、深い海ではジェット機並みに速く
浅くなるとブレーキがかかり、高さが増す
見た目にだまされず、揺れを感じたら“即避難”
そして私たちが「何秒で来るか」「どの高さになるか」を数字で知ることは、命を守る武器になります。
津波は止められない。でも、知っていれば避けられる。
データから読み解く 地震災害の“真の敵”
地震が起きると、「揺れが怖い」と感じる人が多いでしょう。しかし、地震によって人の命が失われるとき、その原因は「揺れ」そのものではありません。どのような要因が人の命を奪っているのか――その“真の敵”を知るためには、「数」で考えることが大切です。
たとえば、関東大震災では10万人を超える命が失われましたが、その約9割以上は「火災」が原因でした。阪神・淡路大震災では約6,400人の死者のうち、約75%が「家屋の倒壊」による圧死・窒息でした。そして東日本大震災では、およそ1万6千人の死者のうち8割近くが「津波」によって命を落としたのです。
このように、同じ「地震」でも、命を奪う原因はまったく異なります。
地震別 死者数(表:主な原因別)

この数字から何が見えてくるでしょうか?
「地震=揺れが危険」ではなく、「地震の後に何が起きるか」が命に関わることが分かります。つまり、火災、家屋倒壊、津波――それぞれの地域ごとに、異なる“真の敵”があるのです。
算数で学んだ「割合」や「グラフ」「表」を使えば、命を守るために何を準備すべきかが見えてきます。
あなたの地域は海の近くですか? → 津波が来るまでの時間と高さを調べましょう。
古い建物が多い地域ですか? → 家の耐震性を確認しましょう。
密集した住宅街ですか? → 火災が広がる危険があります。消火器や避難路を確認しましょう。
算数は、命を守る“武器”になります。数字の力で災害の正体を見抜き、正しい準備をしましょう。

引用:平成24年8月21日 復 興 庁 「東日本大震災における震災関連死に関する原因等(基礎的数値)」について

平成28年熊本地震による人的被害の特徴 牛山 素行 他2(表)

第6節 風水害から命を守る1・2・3・4・5
~警戒レベルの数字にひそむ「行動のサイン」~
◆ 警戒レベルとは?
風水害が近づいたとき、ニュースやスマホに「警戒レベル3」「警戒レベル4」などの数字が出てきたことはありませんか?
これは、「いつ・だれが・どう行動すべきか」を知らせる、防災行動のための“数字の言葉”です。
数字が大きいほど、命にかかわる危険が迫っています。
◆ 警戒レベルと行動の意味(2024年度最新版)

◆ ポイント
レベル3が出たら、高齢者や体の不自由な人は避難開始!
レベル4が出たら、すべての人が避難行動!
レベル5はすでに災害が起きている可能性がある「最後の警告」!
◆ 算数の力で防災を読む!
警戒レベルの「1→5」という数字の並びは、何を意味する?
「あと何時間でレベル3になる」と言われたら、どの時点で荷物をまとめる?
警戒レベルの変化を時間のグラフや表で読み取ってみよう!
◆ まとめ
警戒レベルは、数字の大小だけでなく、「いつ、どんな行動をとるか」を示す大切な合図です。
数字を正しく読み取る力は、算数の応用力でもあり、命を守る防災リテラシーです。
【出典・参考資料】
気象庁「警戒レベルによる避難情報等に関するガイドライン(2024年版)」
内閣府防災「避難情報に関するポータルサイト」
横浜市防災情報マニュアル

第6節 土砂災害から身を守る
ー 警戒エリア・警戒レベルを正しく知ろう ー

  1. 土砂災害ってなに?
    山や斜面の近くで、大雨などが原因で起きる災害です。大きく分けて、次の3つのタイプがあります。
  2. 土砂災害の起きやすい場所とは?
    ■ 土砂災害警戒区域(イエローゾーン)
    土砂災害が起こるおそれがある地域として都道府県が指定。
    市区町村がハザードマップで示しています。
    学校や家庭で確認しておきましょう。
    ■ 土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)
    土砂災害により命にかかわる危険がある区域。
    建物の建築制限や、特別な安全対策が必要とされます。
    🧭【学びのポイント】
    自分の家・学校が、どちらの区域にあるかを確認してみよう。自治体のハザードマップや国土交通省の「重ねるハザードマップ」サイトを使って調べることができます。
  3. 土砂災害と気象の関係
    大雨が降ると、土の中に水がしみ込み、土がゆるくなります。
    一気に水がたまったり、長時間降り続くと危険度が高くなります。
    気象庁は、以下の情報を使って「土砂災害警戒情報」を出します。
  4. 警戒レベルと避難の目安
    ⚠【重要】

⚠【重要】
レベル5になる前に、レベル3〜4で安全な場所に避難することが命を守る行動です。

  1. 土砂災害から命を守るには
    雨が降っているときは、近くの崖や川の様子を見に行かない
    家の周囲の地形を知っておく(ハザードマップを確認)
    避難場所までの安全なルートを事前に確認しておく
    地域の防災訓練に参加して、避難のタイミングを体で覚える
    ✍ 理科と防災のつながり
    土の性質や水のしみこみ方など、理科で学ぶ内容が災害時の判断に役立ちます。
    例えば「地層が傾いている」「砂と粘土が交互に重なっている」などは、地すべりが起きやすいサイン。
    ふだんの授業でも「これは災害とどう関係するかな?」と考える習慣が大切です。

    火山噴火の数字をよみとく
    ~噴火警戒レベルと命を守る行動~
    ◆ 火山にも「数字のサイン」がある!
    地震や台風と同じように、火山にも「危ないよ」という数字のサイン=警戒レベルがあります。
    これは、火山の噴火の危険度と、人がどこまで近づけるかを表す「命の数字」です。
    ◆ 噴火警戒レベル(2024年度・気象庁最新)
    ◆ レベル3以上で「人は山に入れない」!
    レベル1・2:登山道が開いていても、「火口」には近づかない
    レベル3:山に入ること自体が危険
    レベル4・5:人が住んでいる場所にも大きな影響が出るレベルです
    ◆ 算数で考える火山の危険距離
    火山が噴火したとき、噴石が飛ぶ距離は最大で3〜4km以上と言われています。
    火山の中心を「0km」として、地図で自分のいる位置との距離を測る練習をしてみましょう。
    「もしレベル3が出たら、自分のいる場所は火口から何km?」「避難が必要になるのはどの距離から?」
    こうしたことも、数字を使って考える「防災の算数」です。
    ◆ まとめ
    噴火警戒レベルの数字は、火山が出す「今、どう行動すべきか?」というメッセージです。
    「数字を知って、行動につなげる力」こそが、算数で学んだ知識を「命を守る知恵」にするカギです。
    【出典・参考資料】
    気象庁「噴火警戒レベルに関する情報提供ガイドライン(2023年改訂版)」
    気象庁防災情報ページ:https://www.data.jma.go.jp/vois/
    内閣府「火山防災マニュアル整備指針」

第3章 防災の理科
自然を科学する防災力 〜災害の仕組みを知り、備える〜
理科では、自然現象を科学的に探究する力を育てます。防災教育においても、地震・津波・火山・気象などの理解を深めることで、「予測し、判断し、行動する力」が身につきます。
🔹 理科における防災教育の3つの目標
1.自然災害の仕組みを科学的に理解する力を育てる
プレートの動きによる地震、気圧や温度の変化による台風の発生、火山の噴火メカニズムなど、自然災害の背後にある科学的法則を理解することは、防災行動の土台になります。
2.災害予測と情報活用への関心を高める
気象庁が発表する地震速報や津波警報、台風の進路予想、火山活動レベルなど、科学に基づいた防災情報の読み取りを通じて、情報を活用する力を育てます。
3.実験・観察・探究を通じて「備える力」を身につける
過去の災害データや地層観察、防災マップ作成などを通じて、自分たちの地域で起こりうる災害に科学的視点から向き合い、備える力を身につけます。
自然を学ぶことは、災害から命を守る第一歩です。理科で学ぶ知識は、日常に潜む危険を「見える化」し、判断力と実践力を養う礎になります。
第1節 大地は動いている!
~プレートテクトニクスと日本列島のヒミツ~

◆ 昔の大陸は、くっついていた?
今の世界地図を見ると、大陸と大陸はバラバラに散らばっています。
でも…よく見てみると、アフリカと南アメリカの形、なんとなくパズルみたいに合いそうじゃないですか?
その“ピタリ”に最初に気づいたのが、ドイツの気象学者アルフレッド・ウェゲナーでした。
1912年、彼は「昔の大陸はひとつだった!」という「大陸移動説」を発表。
生物の化石や地層の分布が、世界中でつながっていることを証明しようとしました。
けれど当時の学界は、「大陸が動くなんてバカげている」と大笑い。
ウェゲナーは失意の中、グリーンランドの探検で命を落としてしまいました。
その理論が正しかったと証明されるのは、彼の死後、何十年も経ってからのことです。
小松左京『日本沈没』が問いかけたもの
1973年に発表された小松左京のSF小説『日本沈没』は、当時まだプレートテクトニクス理論が広く理解されていなかった時代に、「もし日本列島がプレートの動きで沈んでしまったら?」という衝撃的な問いを投げかけました。小説やその後の映画化は、大規模な地殻変動と社会崩壊のリアリズムを通じて、「科学が自然の脅威にどう立ち向かうか」「国家と個人はどのように行動するか」という問題を提起しました。
この作品はフィクションでありながら、日本列島がプレート境界に位置するという地質的リスクを一般の人々に強く印象づけるきっかけとなりました。プレートテクトニクスが受け入れられていない時代にも、文学や映画が「災害への想像力」を刺激し、やがてプレートテクトニクスの科学的実証とつながっていく流れを生み出したといえます。
第2節 濃尾地震と活断層の発見
1891年(明治24年)10月28日に発生した濃尾地震(マグニチュード8.0)は、岐阜県・愛知県・三重県を中心に甚大な被害をもたらしました。この地震は山間部を震源としながらも、広範囲にわたる建物倒壊と地盤の変動を引き起こし、7,000人以上が命を失いました。
特に重要なのは、この地震で「根尾谷断層」と呼ばれる地表地震断層が明瞭に出現したことです。これにより、日本で初めて「地震は地下の活断層のずれによって起こる」という科学的理解が広まりました。それまで地震の正体はあいまいでしたが、濃尾地震を契機として地質学や地震学の発展が進み、災害の予測や備えに科学的視点が加わるようになったのです。
このように、被害の大きさだけでなく、災害の原因を明らかにした意味でも、濃尾地震は日本の防災史における大きな転機といえます。

第3節 今村明恒と大森房吉――関東大震災をめぐる論争
関東地震(1923年)の発生以前、地震学者・今村明恒は「東京に大地震が迫っている」と予測し、警鐘を鳴らしました。彼は過去の地震記録と地殻変動の周期性に注目し、地震の繰り返し性から大震災の到来を予見していました。
一方で、当時の地震学の権威であり中央気象台技師長であった大森房吉は、このような予測に対して懐疑的でした。大森は地震予知に対する科学的な限界を強調し、いたずらに不安をあおるとして今村の主張に否定的でした。両者の間には、地震予知と科学の限界、社会的責任に関する大きな議論が生じました。
この論争は、後の大正関東地震の発生によって今村の警告の正当性が一部認められる形となり、「科学が災害を予測できるのか」「警告はどのように伝えるべきか」といった防災の根本的な課題を浮かび上がらせました。
当時はプレートテクトニクス理論が未発達であり、地震の物理的な原動力を解明するには至っていませんでしたが、この論争は科学的思考と社会的対応のあり方を考える重要な歴史的事例となっています。

第4節 大正関東地震の原動力を解明できなかった寺田寅彦
物理学者・随筆家として知られる寺田寅彦は、大正関東地震(1923年)を体験し、科学者としての視点から多くの地震・災害研究を残しました。彼は『天災と国防』や『地震雑感』などの著作において、地震の周期性や被害の拡大要因、社会の備えのあり方について鋭く指摘しています。
大正関東地震についても、寺田は地殻変動の観測や地震波の分析を通して、地震の物理的な性質を追究しましたが、当時はまだプレートテクトニクスの理論が存在せず、大規模な地殻変動を引き起こす原動力を説明するには限界がありました。彼の観測はきわめて正確でしたが、なぜ地面が動くのかという根本的な問いには、地球科学の発展を待たねばなりませんでした。
寺田の問いはその後、プレートテクトニクスの理論により解き明かされました。現在では、関東地震の原因はフィリピン海プレートの沈み込みによるものであるとされています。科学の進歩は、かつての知の探求者たちの努力を礎に築かれているのです。

第5節 丹沢の化石サンゴ礁発見物語
〜日本列島のプレートテクトニクスを解き明かしたサンゴ化石と高校教師〜
    門田真人先生を偲んで  文:鷲山龍太郎
1970年代のある日、神奈川県の高校教師・は、丹沢山地の奥深くを歩いていた。彼は登山部の顧問として、八ヶ岳や丹沢の山々を生徒たちとともに駆け巡りながら、独自に地質の調査を続けていた。自然と向き合い、足元の岩石に語りかけるような日々だった。
山北町のある川沿いでは、緑がかった凝灰岩や、白くごま塩状のトーナル岩が、悠久の地球の歴史を静かに物語っていた。だがある日、門田の目に飛び込んできたのは、それらとは異なる、白っぽく奇妙な岩だった。表面をじっと観察すると、そこには規則的な模様が刻まれていた。
──これは、サンゴの化石ではないか?疑問に導かれるように沢をたどると、やがて彼は巨大な白い岩塊と出会う。おそらく5トンを超える、圧倒的な存在感を放つ石灰岩だった。
「なぜ、こんな山奥に石灰岩があるのか?」
石灰岩とは、サンゴや石灰質の微生物の骨格が海底に堆積してできた岩石である。日本各地に分布し、セメントの原料として都市建設にも用いられている。だが、その岩の表面に波打つような模様は、門田の見慣れた石灰岩とは明らかに異なっていた。
「本州沿岸では見たことがない……南方系のサンゴだろうか?」門田は登山だけでなく、スキューバダイビングの技術も持っていた。真実を確かめるため、彼は沖縄・石垣島の海へと飛んだ。石垣の海に潜ると、キクメイシ、ミドリイシ、ショウガサンゴなど、美しいサンゴが広がっていた。その中に、ひときわ異彩を放つ群体があった。靴べらのように細長く伸びた枝が海底から密集して立ち上がっている。
門田はそのサンゴを真上から見つめ、息をのんだ。 「これだ……!」
その波打つようなヘラ状の形は、丹沢の谷底で見た化石の模様にそっくりだった。ルーペで表面を観察すると、小さな穴がびっしりと並んでいる。サンゴのポリプ、小さな生き物たちの共同住宅だった。
まさに、それは「アオサンゴ」だった。アオサンゴは、現在の日本では沖縄以南、海水温の高い地域にしか生息しない。なのに、なぜそれが富士山にもほど近い丹沢の山中にあるのか?門田は悩んだ。地学の文献をいくら読み漁っても、その謎に答える記述は見つからなかった。
「真実に至るまでの学問の壁は、あまりにも高く、そして厚かった……」
そう感じた門田の脳裏に、ある人物の名が浮かんだ。──東京大学の地質学者・濱田隆士博士である。
当時の日本では、「大陸移動説」や「プレートテクトニクス」といった新しい地球観が海外で注目され始めていたが、国内の学界ではなお「地向斜理論」が主流だった。濱田博士もまた、慎重に新しい説と向き合う立場にあった。門田は意を決して、東京大学を訪ねた。
「濱田先生、私はこの化石が石垣島の現生アオサンゴとまったく同じものであると確信しています。ですが……なぜこんな場所にあるのか、私にはどうしても理解できません」
濱田博士は黙ってルーペを手に取り、化石をじっと見つめた。そして、ある瞬間──その目が大きく見開かれた。
門田はそのときの様子をこう語っている。
「ただでさえ大きな濱田先生の目が、まるで雷に打たれたようにカッと見開かれたんです。あの瞬間を、私は今も忘れられません」
「これは……!」
「丹沢などにあるはずのないものが、ここにある……!」
濱田博士の頭の中で、長年信じられてきた地向斜理論が音を立てて崩れはじめていた。沖縄以南にしか生息しないアオサンゴが、丹沢の山奥に存在する。その事実は、海底火山がプレートに乗って移動し、本州に衝突したというプレートテクトニクスの新たな地球観でなければ説明がつかなかった。かつて南の海で育まれたサンゴ礁が、プレートの運動によって北上し、やがて本州に衝突して隆起し、山となった──それはまさに、地球の鼓動を物語る「動いた証拠」だった。その後、門田と濱田博士は仲間たちとともに現地調査を重ね、年代を示す1500万年前の有孔虫やオウムガイ、その他のサンゴ礁生物の化石を次々と発見した。
「ここは丹沢の谷底だが、まるで、太古の南の海の “化石サンゴ礁”だ……!」
丹沢の化石サンゴ礁は、日本列島の誕生を説明するプレートテクトニクス理論を裏付ける、極めて貴重な手がかりとなっていった。

第6節 解き明かされた日本のプレートテクトニクス
● プレートの境界にある日本列島
日本列島は、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北米プレート、ユーラシアプレートという4つのプレートがぶつかり合う場所に位置しています。そのため、日本は世界でも有数の地震・火山・津波の多発地帯です。
● 平朝彦博士とプレートテクトニクスの実証
地球科学者・平朝彦博士は、深海調査船などを用いて、日本列島の成り立ちとプレート運動の実証研究を行ってきました。著書『日本列島の誕生』では、日本列島の複雑な地質構造を明らかにし、プレート境界での地殻変動が、どのようにして地震や津波を引き起こすかを科学的に解説しています。

● 太平洋プレートの年代測定
平博士の研究により、太平洋プレートが日本の東方沖から年に約10cmずつ沈み込んでいることがわかりました。深海底から採取された岩石の年代を調べることで、プレートの移動速度や年代分布が地質学的に確認されています。

● 南海トラフと巨大地震の謎
南海トラフでは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでおり、巨大地震(南海地震、東南海地震)の震源域として知られています。平博士はこの領域の海底地形を詳細に調査し、過去の地震堆積物や地層の変形から、巨大地震の繰り返しとプレート運動の関係を実証しました。

● チャートとメランジュの解明
四国などで見られる「チャート」という岩石は、遠洋の深海で放散虫(プランクトンの一種)の死骸が長い年月をかけて堆積してできた堆積岩です。これが海溝で沈み込み、複雑に圧縮・変形された岩体(メランジュ)として日本列島の一部を構成していることも、平博士らの研究により明らかになっています。

● 科学の進歩が命を守る防災に
これらの研究は、単なる学問ではなく、「どこで地震が起こるか」「なぜ津波が発生するか」を知るための重要な手がかりとなり、防災の科学的根拠を築いています。科学の力で命を守る時代に、プレートの動きと日本列島の成り立ちを理解することは、防災の第一歩です。
引用・参考文献
平朝彦『日本列島の誕生』岩波新書、2017年。
平朝彦『プレートテクトニクスとは何か』岩波ジュニア新書、2003年。
JAMSTEC(海洋研究開発機構)深海調査船「ちきゅう」「しんかい6500」公開資料。
文部科学省「地震調査研究推進本部」報告資料。
日本地質学会 地質調査所「メランジュ地帯の解説資料」

第7節 フィリピン海プレートの「拡大の辻褄合わせ」で見直す日本列島
――高橋雅紀博士のモデルをやさしく読み解く――
1 日本列島が誕生する
ブラタモリにも多数回登場されている地質学者、高橋雅紀博士は、日本列島に近年(第四紀)あらわれた東西方向の圧縮・隆起の主因は、太平洋プレートではなく、北西へ動くフィリピン海プレート(PHS)の運動にあると説明しています。とくに、PHS の動きに引きずられるかたちで日本海溝そのものが南西へ「移動」し、東北日本が“万力”で挟まれるように短縮したという見方です。これは、アクリル板などを用いた三次元的なアナログ実験(紙模型に近い発想)で示されました。
2 模型が教える「海溝が動く」という発想
博士の実験では、日本列島のまわりにある
陸側プレート、その下へ沈み込むフィリピン海プレート、
さらに深く沈み込む太平洋プレート、
の三者関係(いわゆる TTT(三重)境界)を“動く板”で再現しました。PHS が北西へ進むと、伊豆・小笠原海溝が西へ寄り、その辻褄を合わせるように日本海溝が南西方向へずれていく——この「海溝の移動」によって、東北日本は東西に押し縮められ、内陸地震が多い現在の応力場が自然に説明できる、と結論づけています。
3 「拡大の辻褄合わせ」とは何か
フィリピン海プレートは、過去に背弧海盆の拡大(拡大=“新しい海の底が生まれる”こと)を経験してきました。高橋博士は、PHS の北西進が続くと、その運動の“辻褄合わせ(ストレス解消)”として、伊豆・小笠原弧の背弧で再び拡大(リフティング〜拡大)が進みうると予測します。そうなれば、日本列島の東西圧縮は弱まり、現在のような内陸の押し縮めはやがて緩む、というテクトニクス上の見通しです。この「拡大による辻褄合わせ」という考え方は、PHS 運動が日本列島の変形様式を長期的に制御してきた、という同博士の総説的議論に位置づけられます。
4「日本列島ができた」の正しい受け止め方
「日本列島ができた」という表現は二層に分けて理解すると誤解がありません。
第1層(基礎づくり):中新世の日本海拡大で、本州弧が大陸縁から離れて「列島」になりました。
第2層(現在の姿づくり):その後、とくに約300万年前以降、PHS の北西進と海溝の移動に伴って、東北日本の短縮・山地の隆起、関東〜中部の折れ曲がり(フォッサマグナ周辺)、西日本の横ずれ成分を含む変形など、“今の日本列島らしさ”が強まった——という整理です。本節で扱う高橋モデルは、この第2層(作り替え)を説明する理論です。
5 防災への含意(なにがわかると役に立つか)
内陸地震の背景:東北日本の浅い地震が多い理由を、PHS 主導の東西圧縮という大きな力学から理解できます。将来の歪み集中域の推定にも役立ちます。
地形とリスク:短縮・隆起が進んだ地域(急峻な山地・断層密集帯)では、地震動・地すべり・土砂災害の複合リスクを想定した備えが必要です。
長期像:「拡大の辻褄合わせ」が進む局面では、応力場や火山活動の分布が変わる可能性があります。“列島は今も作り替えられている”という視点で、最新の地殻変動・火山情報を学び続けることが重要です。

参考
高橋雅紀(2017)「東北日本の東西圧縮の原因」GSJ Bulletin:アナログ実験に基づき、PHS の北西移動と日本海溝の南西移動が東北日本の短縮を生むことを示した研究。
高橋雅紀(2006)「フィリピン海プレートが支配する日本列島のテクトニクス」地理学評論:PHS 運動が列島の第四紀テクトニクスを制御し、背弧拡大が“辻褄合わせ”として働きうるという総説的議論。
AIST/GSJ(2017)プレス要約:上記 2017 論文の平易な英語サマリー。GSJ

第8節 日本海溝移動説 ― 高橋雅紀博士が示す「山国・日本列島」誕生のメカニズム

  1. 背景
    従来、本州の地殻変動――とくに東西方向の圧縮・短縮――は、太平洋プレート(PAC)の沈み込みで説明されてきました。ところが、ハワイ‐天皇海山列などの解析から、太平洋プレートの運動方向と速度は約4,000万年以上のスケールで大きくは変化していないと考えられています。にもかかわらず、約300万年前(第四紀初頭)から東西圧縮が顕著化し、内陸地震の活発化や山地の急速な隆起が進んだのはなぜか――これが長く残ってきた大きな謎でした。
  2. 模型からの発想の転換
    高橋雅紀博士は、日本列島周辺の三重会合点(日本海溝・伊豆‐小笠原海溝・南海トラフが交わる幾何)と、
    陸側のプレート(東北日本などの上盤)
    その下に沈み込むフィリピン海プレート(PHS)
    さらに深部に沈み込む太平洋プレート(PAC)
    という「三層」の力学関係をアナログ模型で検討しました。
    この検討から、会合点の幾何を保ちながらプレートが運動すると、太平洋プレートがそこで“切断”されるのではなく、幾何全体が整合的に位置を変える必要があることが見えてきました。実際、太平洋プレートは冷たく厚く硬いため、会合点付近で容易に切断されにくく、深発地震面も連続しています。こうした観察は、「プレートの切断」の代わりに別の機構を考える必然性を示します。
  3. 「日本海溝が西へ移動する」という視点
    高橋博士が導いた核心は、「太平洋プレートの挙動だけに原因を求めるのではなく、日本海溝そのものが西へ移動する」という視点です。
    フィリピン海プレート(PHS)の運動に伴って、伊豆‐小笠原海溝‐南海トラフ系の幾何が変化します。
    これに整合するように、日本海溝が全体として西向きに移動します。
    その結果、東北日本はオイラー極のまわりに“時計回り”に回転しつつ、西方へ移動します。
    この幾何学的制約により、本州は東西に短縮を強いられ、隆起の加速や内陸活断層の活動が説明できます。
    この枠組みにより、約300万年前からの東西圧縮応力場の起源が、フィリピン海プレートの運動と三重会合点の幾何を通じて整合的に説明できるようになります。
  4. 防災・地形への示唆
    内陸地震の背景
    日本海溝の西方移動がもたらす地殻短縮は、内陸の活断層を動かす応力場の形成に寄与している可能性があります。これにより、内陸地震の頻度や分布を大局的なプレート幾何から位置づける視点が得られます。
    山地と平野の形成史
    東西短縮による隆起の加速と、それに伴う沈降域の配置は、盆地・平野の形成や河川の縦断形にも影響します。地形発達史を、第四紀の応力場の転換とリンクさせて理解できます。
    将来予測・ハザード評価
    列島の変形は、単純な「プレートが一方向から押す」図式だけではなく、海溝自体の位置変化(移動)も関与する可能性があります。長期的な地震・火山ハザード評価では、こうした幾何学的制約を踏まえた地殻変動シナリオが重要になります。
    日本海溝移動説は、第四紀に顕在化した東西圧縮・隆起・内陸地震の活発化を、フィリピン海プレートの運動と三重会合点の幾何から説明する枠組みです。要点は、日本海溝の西方移動、東北日本の時計回り回転と西方移動、それに伴う本州の東西短縮(隆起・活断層活動の活発化)、
    の三点に整理できます。
    防災教育の観点では、「地震の原因を太平洋プレートの力だけに求める」のではなく、“海溝そのものが動く”という視点を加えることで、なぜ日本に内陸地震が多いのか、なぜ山地の隆起が加速したのかを、より立体的に理解できるようになります。今後の長期地震リスク評価や地域防災計画にとっても、有効な理論的手がかりとなります。

コラム 「イザナミプレート」と呼ぶ提案
――フィリピン海プレートを“心で覚える”愛称として――
日本列島の足元で北西へ押し寄せ、山を持ち上げ、火山を育て、巨大地震の舞台をつくる――それがフィリピン海プレートです。ところが、この重要な名前は、防災立国であるはずの私たちのあいだで十分に浸透していません。
一方で、日本神話のイザナミは「国生みの母」。島々を生み、火の神を産んで命を落とし、黄泉(よみ)へ下るという物語が語り継がれています。イザナミは創造と破壊、恵みと厳しさという二つの顔を持つ存在として描かれます。この二面性は、まさにフィリピン海プレートに重なって見えます。列島を形づくる“母なる力”でありながら、関東大震災を起こした相模トラフの地震、南海トラフ巨大地震、九州のカルデラ噴火など、数多くの災害の背景にも深く関わっているからです。
そこで本書では、教育的な愛称として、フィリピン海プレートを「イザナミプレート」と呼ぶことを提案します。
「産みの親」であり「災いももたらす」――イザナミの物語を手がかりに、プレートの働きを自分ごととして理解する入口**にしたいのです。
※補足:地球科学の専門用語としては「フィリピン海プレート(PHS)」が正式名称です。なお、古太平洋側の過去のプレート名としてはイザナギプレートという歴史的用語が広く用いられてきました。本コラムの「イザナミプレート」は、あくまで学習を助ける愛称としての提案です(混同にご注意ください)。
なぜ「愛称」が防災理解を助けるのか
心で覚えられます。 神話に結びつけることで、「プレート=抽象」ではなく「生み/厳しさを併せ持つ力」という質感を伴って記憶できます。
地図が立体になります。 「この海はフィリピン海、ここで沈み込む“イザナミ”が山を押し上げる」といった因果の筋道が、地名・地形とセットで頭に入ります。
行動につながります。 相模トラフ・南海トラフ・火山前線など、自分の暮らしと“イザナミ”の境界を意識できると、ハザードマップの読み方や備え方が具体化します。
使い方のイメージ
授業・講座・地域学習では、「フィリピン海プレート(愛称:イザナミ)」と併記します。
図版では PHS/Izanami と記し、相模・南海トラフや伊豆・小笠原弧の衝突域に色を付けて、「どこで、どんな影響が出やすいか」を視覚化します。
事例学習では、関東大震災や南海地震、阿蘇・姶良などの大噴火を「イザナミの厳しさ」と位置づけ、対策・教訓を「人が学んだ智恵」として対にして語ります。
言葉が行動を変えます。
黄泉へ下ったイザナミが「一日に千人を殺す」と言い、イザナギが「ならば一日に千五百人を生む」と返す場面は、喪失に対して“生きる力で応える”という誓いとして読めます。災害という現実の前で、私たちも備え・学び・支え合いという行動で応えたいのです。
「イザナミプレート」という愛称は、ただのネーミングではありません。
地図を“命の地図”に読み替え、地域のリスクを自分の言葉で語り、自分の行動に落とし込むための合言葉です。正式名称は尊重しつつ、日常の学びと対話の中で、この愛称を使ってみませんか。きっと、プレートも地震も火山も、いまより近く、具体的に感じられるはずです。

第9節 軟弱地盤はどうやってできたのか
―― 気候変動がつくった「低くて平らな土地」の危うさ ――
地震が起きたとき、同じ地域でも「大きな被害が出る場所」と「ほとんど被害のない場所」があるのを不思議に思ったことはありませんか?
たとえば、関東大震災(1923年)のとき、私の2人の祖母が経験した地震の様子はまったく違っていました。
母方の祖母は、本所(現在の墨田区)で大きな揺れに遭い、多くの家が倒れ、火災に巻き込まれそうになりました。隅田川を行く船に飛び乗って、命からがら逃げ延びたそうです。
一方、父方の祖母は、品川の台地の上にある屋敷で奉公していましたが、家は倒れず、大きな被害もなかったといいます。
この違いは「地盤」にあります。地震の揺れは、やわらかい地盤(軟弱地盤)では大きく増幅され、木造の建物が壊れやすい周期の揺れが強くなるのです。
■ 被害の出やすい場所の共通点
阪神・淡路大震災(1995年)では、海沿いにベルト状に広がる地域で多くの家が倒壊しました。能登半島地震(2024年)でも、輪島などの海岸近くにある平らな土地では建物の倒壊や液状化による沈下、電柱の傾き、マンホールや地下タンクの浮上などが見られました。
一方で、能登の「岬」のような地盤のかたい場所では、被害が軽微だったところもあります。
この違いの根本には、「その土地がどのようにできたか」という地形の成り立ちが関わっているのです。
気候変動がつくった低地のしくみ
よく「このあたりは昔、田んぼだったから地盤が弱い」と言われることがありますが、実はもっと長い時間スケールで考える必要があります。
地球は過去に氷河期と温暖期を何度も繰り返してきました。直近の大きな氷河期は約2万年前の「ウルム氷期」。このとき、大量の水が氷となって大陸を覆い、海水面は最大で約130メートルも低下していたと考えられています。
東京湾もそのときは浦賀水道まで干上がり、海沿いの土地は標高130mの高台のようになっていたのです。その期間、川は深く谷を刻みながら海へと流れ、現在の新横浜や大船も川の谷底のような地形でした。
表層地質と災害 ― 砂か、どろか
沖積層の成り立ちと都市の低地
縄文時代中期(約6,000年前)、海面は現在より数メートル高く、海は奥地まで入り込みました。谷には川や海が運んだ砂やどろ(粘土・シルト)が堆積し、これが「沖積層」と呼ばれる新しい地層です。
東京湾岸・大阪湾・名古屋港周辺など、現代の大都市の臨海部は、このわずか数千年前に形成されたばかりの柔らかい沖積層の上に発展しました。交通や物流に便利で開発が進みましたが、その地盤の性質により地震時の被害は大きく異なります。

「どろ」地盤の特徴と被害
• 性質:柔らかく、プリンのように揺れやすい。
• 影響:地震動を増幅し、震度が1段階強く感じられることもある。
• 被害傾向:耐震性の低い木造住宅が倒壊しやすい。
• 事例:阪神・淡路大震災(1995年)では、沖積低地に沿ってベルト状の激甚被害帯が現れました。

「砂」地盤の特徴と液状化
• 性質:地下水位が高い砂層では、粒同士の摩擦が失われやすい。
• 影響:地震で砂と水が流動化し、液状化現象が発生。
• 被害傾向:建物の不同沈下、上下水道管の損傷、マンホールや地下タンクの浮き上がり。
• 事例1:東日本大震災(2011年)では浦安市など埋立地で大規模液状化が発生。住宅や道路が大きく傾きました。
• 事例2:能登半島地震(2024年)でも広範囲で液状化が発生し、震度5弱でも側方流動や地盤噴砂が確認されました。道路沈下、建物傾斜、マンホール浮上といった典型的な液状化被害が見られています。

抱えるリスク
• 地震動の増幅(どろ地盤)
• 液状化による沈下やライフライン破断(砂地盤)
• 洪水・高潮の浸水リスク(低地全般)

防災の第一歩は「土地の歴史」を知ること
日本の都市の多くは、数千年という短いスパンで堆積した砂やどろの沖積層の上にあります。
「自分が住んでいるのは砂の地盤か、どろの地盤か」を知ることが、地震・水害への備えの出発点です。
• どろ地盤に住む場合 → 建物の耐震補強と家具固定を優先。
• 砂地盤に住む場合 → 液状化対策(地盤改良、地下水管理)、インフラ被害を想定した地域防災計画。
そして洪水や高潮に備えた避難計画とあわせ、土地の過去を知り、未来の災害に備えることが、命を守る行動へとつながります。

第10節 日本の火山の配列とプレートの沈み込みとの関係
火山の分布の特徴
日本列島には約110の活火山があり、世界全体の約7%を占めています。これらの火山は、ある一定の帯状のライン(火山フロント)に沿って配列していることが大きな特徴です。火山フロントとは、プレートが沈み込む海溝やトラフの内陸側に並んで形成される、火山の連続帯のことです。
プレート沈み込みとの関係
火山の位置や配列は、プレートの沈み込みと密接に関係しています。
日本海溝や千島海溝からは太平洋プレートが西向きに沈み込んでおり、その内陸側に東北日本の火山帯が南北に並んでいます。
南海トラフや琉球海溝からはフィリピン海プレートが北西向きに沈み込んでおり、その内陸側に西日本から九州にかけての火山帯が形成されています。
沈み込むプレートがマントル深部に達する際に水を放出し、これがマントルを部分融解させることでマグマが発生し、地表に火山をつくります。したがって火山の分布は、沈み込み帯の位置や走向(向き)を反映しているのです。
火山の並びの方向
火山帯の「方向性」は、プレートの進行方向そのものではなく、沈み込み境界の形(走向)に規定されています。
東北日本では海溝が南北に伸びているため、火山も南北方向に並びます。
九州南部では琉球海溝が北東-南西方向に走っているため、火山帯も同じ方向に配列します。
つまり、火山の配列方向は「沈み込むプレートの向き」ではなく、「沈み込み境界の形状」に従っているのです。
防災との関わり
火山の配列はプレート運動の証拠であると同時に、地域ごとの火山災害のリスクを示すものでもあります。火山帯の分布を理解することは、噴火災害の予測や避難計画の立案に欠かせません。学校で学ぶ際には、火山フロント=沈み込み帯の内陸側に沿ったラインと理解することで、日本列島の地質的特徴と防災の関わりを結びつけることができます。
日本の主な大規模噴火(死者数つき)
1792年 雲仙岳(長崎)—「島原大変・肥後迷惑」
山体崩壊(眉山崩壊)と津波により約1万5千人が死亡・行方不明。日本の火山災害で最大規模。
1741年 渡島大島(北海道)
海底地すべり/山体崩壊に伴う津波で1,467人が死亡と推定。
1783年 浅間山(群馬・長野)—天明噴火
火砕流・泥流・降灰による1,151人の直接死(飢饉による間接被害は別)。
1888年 磐梯山(福島)
水蒸気爆発と山体崩壊。約460~500人の死亡(資料により461~518など幅あり)。
1902年 伊豆・鳥島(東京)
噴火により島民ほぼ全滅、125人死亡。
1914年 桜島(鹿児島)—大正噴火
大規模溶岩流などで58人死亡。
1926年 十勝岳(北海道)
泥流災害が広域に発生し144人死亡。
1900年 安達太良山(福島)
水蒸気爆発。72人前後(即死64+後日死亡10などの内訳記載あり)。
1991年 雲仙岳(長崎)
火砕流で43人死亡・不明。
2014年 御嶽山(長野・岐阜)
突発的な水蒸気噴火で登山者が多数被災、63人死亡・行方不明。
補足(古い時代の主な事例)
1640年 北海道駒ヶ岳:山体崩壊・津波で約700人溺死(津軽海峡沿岸)。
1410年 那須岳(栃木):記録上の大規模災害の一つ。約180人死亡(各種災害史表に記載)。
1779年 桜島(鹿児島):噴火・津波等で153人死亡。
1822年 有珠山(北海道):泥流・洪水による死者(資料により数値差。行政資料では50人の記載あり)。
巨大噴火というと、江戸時代の富士宝永噴火が記録にもあり、イメージできますが、噴火の規模としては、まだまだ上があります。
神奈川〜東京を軽石で覆い尽くした6.6万年前の箱根巨大噴火。
ほぼ日本全土を火山灰で覆い尽くした鬼界カルデラ噴火、阿蘇、姶良(桜島)噴火などは桁がちがいます。
国際的に用いられるVEI(Volcanic Explosivity Index:噴火爆発度*にもとづく「火山噴出物(テフラ)の規模」を段階的に示した表です。
注(表)
VEI は噴火の“規模感”を示す目安で、噴出量の見積もり方法(バルク体積/DRE など)や研究により値が変わることがあります。
年代はおおよその代表値です。詳細は最新の火山学資料に従ってください。

コラム:火山が秘めた巨大噴火の過去と未来
――『死都日本』が警告する“その日”は来るのか?――

火山がつくりだす風景は、私たちに美しい観光地や豊かな土壌を与えてくれます。箱根や霧島、阿蘇など、日本にはそうした火山の恵みに支えられた地域が数多くあります。しかし、火山はその静けさの裏に、破局的なエネルギーを秘めています。
2002年に発表された小説『死都日本』は、鹿児島県の霧島火山を舞台に、ある日突然起こる「巨大カルデラ噴火」を描き、多くの読者に衝撃を与えました。作者は実際に医師として働く石黒耀(いしぐろ・よう)氏。作中では霧島連山の加久藤(かくとう)カルデラが大噴火を起こし、火砕流が高速で広がり、数千万人規模の被害が出るという壮絶な未来がシミュレーションされます。
「これはただの空想ではない」――そう評価したのは、当時の火山学者たちでした。日本列島には、阿蘇(熊本)、姶良(鹿児島)、鬼界(屋久島南方海域)など、過去に“ウルトラ級”の噴火を起こした巨大カルデラ火山が存在しています。それぞれの火山が残した地層は、今も日本列島に刻まれており、「次」がないとは誰にも言えないのです。
たとえば、関東地方にある箱根も巨大カルデラ火山です。観光地として知られるこの山は、約6万6千年前に大噴火を起こし、神奈川県から東京西部にかけて厚い火山灰と火砕流で覆いました。横浜市西部まで火砕流が達したという研究結果もあります。近年では、箱根火山の噴火警戒レベルが「2」に引き上げられたこともあり、活火山である現実を私たちに突きつけています。
火山は「豊かさ」と「危険」の両方をもたらします。だからこそ、私たちは火山の歴史を知り、その過去を“未来への警告”として受け止める必要があります。科学が教えてくれる「いつかまた起こる噴火」に備え、正しく恐れ、行動できる力を身につける――それが、命を守る理科の学びなのです。

火山防災のお手本 有珠山2000年噴火――「犠牲者ゼロ」を実現した理由
2000年3月31日、北海道・有珠山が23年ぶりに噴火しました。最大で6,874世帯・15,815人が避難指示・勧告の対象となり、約1.6万人が避難しましたが、人的犠牲は出ませんでした。事前の避難判断と周到な体制が功を奏した、教科書的な成功例です。洞爺湖有珠山ジオパーク
成功のカギ
予兆の監視と即時共有
 噴火前に群発地震が活発化。気象庁は「臨時火山情報」を発表し、自治体と専門家が危険度評価と対応を素早く共有しました。観測データ→情報→判断の連携が早かったことが、住民の行動開始を後押ししました。
“噴火前”に避難を決断
 自治体(当時・虻田町〔現洞爺湖町〕、伊達市など)は、噴火開始前から段階的に避難指示等を発令。事前避難を徹底したことが、「犠牲者ゼロ」につながりました。内閣府の事例集でも、事前避難が決定的だったと整理されています。
住民の学習とハザードの“見える化”
 1977年噴火の経験を踏まえ、火山防災マップや説明会などの広報・啓発が継続され、住民に「どこが危ないか」「どこへ逃げるか」が浸透していました。平時の共有が、非常時の迅速な行動につながりました。防災ポータル
警戒区域の明確化と現場オペレーション
 噴石・火砕流・泥流などの想定区域を踏まえた立入規制、交通規制、避難所の早期開設、災害救助法の適用など、現場での運用が整理されていました。「誰が・いつ・何をするか」が具体化されていた点が強みでした。防災ポータル
“記憶を資源化”する仕組み
 噴火後も教訓の継承が続き、洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークとして、防災教育と観光を両立。「2000年噴火は住民の事前避難に成功し、犠牲者なし」という事実が地域の学びとして保存・発信されています。洞爺湖有珠山ジオパーク
現場に生かすチェックリスト
予兆→判断→避難のタイムラインを、自治体・専門家・住民で事前合意しておく。
火山防災マップや危険区域を平時から説明・訓練で共有する。防災ポータル
避難対象(高齢者・要配慮者、観光客、病院・施設入所者)ごとの搬送計画と受け入れ先を決めておく。防災ポータル
事前避難の基準を明文化し、迷いなく発令・行動できる体制を整える。
教訓を地域の資産(教育・観光・記録)として残し、次世代へ継承する。洞爺湖有珠山ジオパーク

富士山に噴火の前兆が観測されたら――「今すぐ」「発災前」「発災中」の行動指針
富士山で群発地震や山体膨張、噴気増加などの前兆が観測されたら、私たちは「何を・いつ・誰が」行うかを、迷わず実行できるようにしておくことが大切です。最終判断は必ず自治体の避難情報・気象庁の警報に従います。そのうえで、以下の行動を目安にしてください。

まず知っておく基礎(平時から)
公式情報の窓口を家族で共有します:自治体防災メール、気象庁火山情報、防災アプリ、FM/AMラジオ。
噴火警戒レベルの一般的な意味を押さえます:
レベル3(入山規制)=登山中止・山麓での活動制限の準備/レベル4(避難準備)=高齢者等は先行避難/レベル5(避難)=指定避難先へ。
自宅・職場のリスクを確認します:降灰想定、火山泥流(ラハール)想定区域、谷沿い・河川沿いの危険、交通のボトルネックなど。

今すぐ(前兆が公表された直後)
家族会議を開き、安否確認手段(SNS・災害伝言・固定電話)と集合方針(原則:むやみに動かない)を決めます。
マイ・タイムライン(時系列の行動計画)を作り、要配慮者・乳幼児・ペットの先行避難基準を明文化します。
備蓄の最終確認をします(少なくとも3日、可能なら1週間):水・食料・処方薬・モバイルバッテリー・簡易トイレ。
降灰対策の資材を手元に置きます:
N95等の微粒子対応マスク/ゴーグル/帽子・レインウェア/養生テープ・目張り資材/ブルーシート/ほうき・ちりとり・厚手ゴミ袋。
車の使用は最小限にします(渋滞・灰詰まりのリスク)。やむを得ず使う場合は燃料確保、エア吸気口の養生を検討します。
職場・学校と連絡し、在宅勤務・分散登校等の方針確認をします。事業所はBCP(事業継続計画)を起動し、非必須業務の一時停止を検討します。

発表レベルが上がったら(噴火の切迫段階)
要配慮者・遠距離通勤者・観光客は先行避難を検討します。迷ったら早めに動きます。
風下へ行かない、谷・河川沿いに近づかないを徹底します(火砕流・泥流は谷を高速で流下します)。
屋内退避の準備をします:外気導入の停止(換気扇・エアコンの外気モードOFF)、給気口・窓の目張り、洗濯物の取り込み。
在宅勤務・休校・イベント中止など、混雑を生む活動を控えます。事業所は従業員の滞留受け入れと物資の配布体制を整えます。

噴火開始・降灰時(指示が出たら即実行)
基本は屋内退避です。外出が必要な場合はN95等マスク+ゴーグル、肌の露出を避けて短時間で行動します。
避難指示・避難命令が出たら、指定ルートで移動します。谷・河川沿い・橋梁の下流側は避け、風下を回避します。
車は極力使わないのが原則です(視界不良・スリップ・エンジンの吸気詰まり)。やむを得ず使用する場合は低速走行・車間確保・ライト点灯を徹底します。
ライフライン停止(停電・断水・通信障害)を前提に、安全な場所で省エネ・節水モードに切り替えます。

噴火後・清掃(自治体の指示に従って)
乾いた灰は舞いやすいので、軽く湿らせてから掃き集めます。屋根作業は落下の危険があるため控えます。
雨樋・側溝・排水口の詰まりに注意します。水で流さない(下水を詰まらせます)。
回収方法・分別は自治体の案内に従います。車はエアフィルター・ワイパーの点検交換を検討します。目・喉に異常があれば受診します。

よくある誤解と注意
不織布マスクだけでは微細な火山灰を十分に防げないことがあります。微粒子対応を用意します。
火山灰はガラス質の微粒子を含み、目・肺・機器にダメージを与えます。「少しなら大丈夫」と過小評価しないでください。
デマに注意し、公式情報に一本化します(出所不明の画像・チェーンメッセージは拡散しません)。

家庭と職場のミニ・チェックリスト
公式情報の受け取り先(アプリ・メール・ラジオ)を家族で共有したか。
マイ・タイムライン(先行避難の基準と順番)を作ったか。
N95等マスク・ゴーグル・目張り資材を確保したか。
水・食料・薬・簡易トイレ・モバイル電源を3日分以上備えたか。
自治体の避難所と指定緊急避難場所、避難経路の風下回避を把握したか。
事業所はBCP起動・在宅勤務切替・滞留受け入れの体制を準備したか。
火災保険の「噴火」補償の有無を確認したか(契約により異なります)。

ひとこと
迷ったら、早め・風下回避・谷沿い回避。そして公式情報に従う。これを家族・職場・地域で共通言語にしておくことが、富士山の前兆期に命を守るいちばんの近道です。

第11節 気象災害の理解 ― 空気と水の対流がもたらすもの
太陽と地球、月の比較
太陽からの距離は同じでも、月の表面は極端な環境にさらされています。昼側(太陽に照らされる面)はおよそ120度℃にもなり、まさにフライパンの上のような灼熱です。一方、夜側(太陽の光が当たらない面)は170℃もの極寒に冷え込みます。
これに対して地球は、生物が生きられる「適温」を保っています。その理由は、大気と海水が熱を赤道から極地方へと運ぶ「対流」が常に働いているからです。これは人類にとっての恵みですが、対流が急激に起きると、嵐や豪雨といった気象災害につながります。
雲とは何か
私が特に好きな理科実験に「ペットボトルで雲をつくろう」があります。
炭酸飲料のペットボトルに、ボール用の針を差したゴム栓をし、自転車の空気入れで圧縮空気を注入します。空気が圧縮されると温度が上がります。その後、ゴム栓を一気に抜くと「ポン」という音とともに白い雲が現れ、ペットボトルが冷たくなります。
この簡単な実験が教えてくれるのは次のことです。
空気は圧縮すると温度が上がる。水蒸気は気体として保たれる(高気圧や地表に近い状態)。
逆に気圧が下がると温度も下がり、水蒸気は凝結して液体のつぶ=雲となる(低気圧や上空で起きる現象)。
雲ができる場所では必ず上昇気流があり、気圧低下によって水蒸気が凝結している。
つまり、雲とは「空気の温度変化と気圧変化によって、気体の水が液体のつぶになったもの」なのです。
身近な応用
私たちが日常使うエアコンも、同じ原理を利用しています。気体の圧縮・膨張による温度変化をコントロールし、冷暖房を実現しているのです。
このように、身近な実験や機械の仕組みからも、大気の動きと気象災害の理解へつなげることができます。

風が吹く基本のしくみ
風とは、空気の流れです。空気は目に見えませんが、大気の一部が高いところから低いところへ移動することで「風」として感じられます。では、なぜ空気は動くのでしょうか?

  1. 気圧差による空気の移動
    地球上では、太陽の光が場所によって強く当たったり弱く当たったりします。
    赤道付近は太陽光が強く、空気が暖められて膨張し、上昇して気圧が低くなります。
    極地方では太陽光が弱く、空気は冷やされて収縮し、重く沈み込み、気圧が高くなります。
    ➡ この気圧の差を埋めるために、空気は高気圧から低気圧へと移動し、風となります。
  2. 地球の自転(コリオリの力)
    空気は単純にまっすぐ流れるのではなく、地球が自転しているため、進行方向が曲げられます。
    北半球では右に曲がる
    南半球では左に曲がる
    この力をコリオリの力と呼びます。これによって、貿易風や偏西風などの大規模な風の帯が生まれます。
  3. 水や地形の影響
    海と陸の温まり方の違いから「海風」「陸風」が発生します。
    山と谷の気温差から「谷風」「山風」が生じます。

風と防災
台風:巨大な低気圧に空気が集中し、強烈な風を伴う。
竜巻・ダウンバースト:局地的な急激な気流が、突風による被害を生む。
フェーン現象:山を越えた風が乾燥して熱風となり、火災や熱中症のリスクを高める。
1ヘクトパスカルとは何か?
圧力の単位「パスカル」
圧力とは、ある面積にかかる力の大きさを示すものです。
単位の「パスカル(Pa)」は、1㎡の面に1ニュートンの力がかかるときの圧力と定義されています。
1ニュートンは「100 g程度の物体が地球で受ける重さ」に相当します。

ヘクトパスカルの意味
「ヘクト」は100倍を表す接頭語です。
1ヘクトパスカル(hPa) = 100 Pa = 1㎡の面に100 N(およそ10 kgf)の力。
たとえば、1㎡の枠に水を1 cm張ったときの重さがちょうど1 hPaに相当します。
しかし、その体積は100cm✕ 100cm✕1cm=10000cm3 つまり10リットル 
その重さは10kgです。

標準気圧と天気の変化
海面での標準気圧は 1013 hPa。
これは「1㎡の枠に約10 mもの高さの水を張った重さ」に匹敵します。
気圧が高いと空気は下に押さえつけられ、晴れやすくなります。
気圧が低いと空気が上昇しやすくなり、雲や雨を生じやすくなります。

台風と気圧
台風の中心はしばしば 950〜900 hPa まで低下します。
周囲の平均(1013 hPa)との差が50〜100 hPaあると、1㎡あたり500〜1000 kgfに相当する気圧差が生じます。
ただし、これは「掃除機のように吸い込む力」ではなく、気圧差に応じて空気が強烈に流れ込む力として現れ、暴風を生み出します。

身近な理解へのまとめ
1 hPa = 水1 cmの重さ(1㎡あたり)と考えるとわかりやすい。
標準気圧 = 水10 m分の重さ。
台風はこの重さの差が風となって現れる現象。

第4節 台風 ー 地球の熱を運ぶ積乱雲の怪物
1 台風はなぜ起こる?

私たちが暮らす地球は丸い球体で、太陽から降り注ぐエネルギーは場所によって差があります。特に赤道付近では一年中強い日射を受け、地表や海水は大きく加熱されます。赤道の気温は常に高く、もし熱がそこにとどまり続ければ、地球の熱バランスは崩れ、生物が生きにくい惑星になっていたかもしれません。
しかし、地球にはその熱をうまく移動させる「仕組み」があります。それが、大気と海の「対流」です。熱を北や南へ運ぶために、風が吹き、海流が流れます。この大規模な熱移動の一環として生まれるのが、「台風」なのです。
台風は赤道付近の海で温められた湿った空気が上昇し、渦を巻きながら発達した巨大な熱帯低気圧です。この渦運動は、地球の自転による「コリオリ力」によって反時計回り(北半球)に回り、大量の水蒸気を含む積乱雲をともなって移動します。台風はまさに、「熱を運ぶ大気のエンジン」なのです【※1】。
台風と熱帯低気圧の区別・等級表

2 予測できる災害 ー 台風は「準備」できる災害
台風は自然の力によって発生するものですが、地震と違って「予測できる」という点が大きな特徴です。現代では気象衛星、気象レーダー、スーパーコンピュータを活用した数値予報モデルによって、台風の進路や発達状況が高精度で予想されるようになっています【※2】。
たとえば、2019年の「台風19号(ハギビス)」では、発生の段階から数日以上前に日本列島への上陸が予測され、多くのメディアが警戒情報を伝えました。これにより、自治体や企業、住民が事前に避難や準備行動を取ることができ、一定の減災につながったと評価されています。
3 学んだ教訓 ー 「タイムライン」という防災の知恵
台風に対する備えで世界が学んだ大きな教訓があります。それは、2005年のアメリカ・ハリケーン「カトリーナ」の被害です。このとき、予測はできていたにも関わらず、行政の対応や避難が遅れ、多くの命が失われました。この反省から、アメリカでは災害に対する「時系列行動計画」=タイムライン(Time Line)という概念が広まりました【※3】。
日本でもこの知見が導入され、特に2012年のハリケーン・サンディの現地調査を行った日本の災害調査チームが、アメリカのタイムライン型の防災体制を学びました。以降、日本の災害対策にも「行政・企業・住民の行動を段階ごとに整理する」方法として、タイムラインの概念が取り入れられています。
2022年には、国の防災基本計画にもタイムラインが明記され、各地方自治体が地域防災計画に取り込むようになりました。また、個人や家族のレベルでも、「マイ・タイムライン」を考えようという啓発が進んでいます【※4】。
4 これからの課題 ー 地区タイムラインの必要性
「マイ・タイムライン」が普及しつつある今、次に必要なのは「地区タイムライン」の構築です。
なぜなら、地域ごとに災害リスクが異なるからです。洪水リスクの高い低地帯、土砂災害が起きやすい斜面沿い、高潮被害の恐れのある海岸線沿いでは、避難行動やタイミングは異なって当然です。
地区タイムラインとは、学校、公共施設、交通機関、事業所、商業施設、そして住民が、地域ごとの災害リスクをふまえ、段階的な避難や対応を協力して計画するものです。具体的には:
指定緊急避難場所や避難所の場所の明示
台風接近時の対応(何日前に何をするか)
浸水リスクへの対応手順(ポンプの運用、交通規制、福祉避難の手配など)

このような地区タイムラインを、児童生徒・保護者にもわかる形で「見える化」し、日常的な学びの中で共有していくことが重要です。防災基本計画だけでなく、災害対策基本法や教育計画の中にも盛り込む制度改革が求められています。

5 命を守る科学としての台風防災
台風は地球の熱を運ぶ自然の現象です。しかし、その科学的な理解と、予測技術の進歩、そしてそれをもとにした地域の防災力向上によって、私たちはその被害を最小限に抑えることができます。
だからこそ、「科学を学ぶこと」と「行動を備えること」が、防災の理科の目的なのです。
引用・参考文献
※1:気象庁「台風とは」https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/typhoon1.html
※2:気象庁「数値予報の仕組み」https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/nwp/index.html
※3:米国連邦緊急事態管理庁(FEMA)「Hurricane Preparedness and Response」
※4:内閣府「防災基本計画(令和4年版)」https://www.bousai.go.jp/keikaku/kihon.html


第5節 災害をもたらす積乱雲の列 ― 線状降水帯とは何か
雲が列をなして降り続ける
2021年、気象庁は新たに「線状降水帯(せんじょうこうすいたい)」という言葉を公式に使用するようになりました。それ以前も、ニュースなどでは「南からの暖かく湿った空気が梅雨前線を刺激し…」という説明で、豪雨の原因が語られてきましたが、近年の気象衛星やレーダー観測の進化により、同じ地域に長時間にわたって次々と発生・流入する積乱雲の列の存在が明らかになったのです。
この雲の列こそが、線状降水帯です。まるで線のように連なって形成され、狭い範囲に激しい雨を長時間降らせ続けるため、大雨による洪水や土砂災害の原因となります。
台風とは違う「予測のむずかしさ」
台風はその規模と進路の予測が数日前から比較的可能ですが、線状降水帯は突然、限られた地域に発生するため、長期的な予測が難しいという特性があります。発生の兆しが見え始めるのは、数時間~数日前と非常に短く、地域住民は日々の天気情報を注意深く見守る必要があります。
2021年からは、気象庁が「顕著な大雨に関する情報」として、線状降水帯の発生をリアルタイムで伝えるようになり、早めの避難の判断材料として活用されています【気象庁, 2021】。
ハザードマップ通りに起きた洪水 ― 西日本豪雨の教訓
2018年7月、西日本一帯を襲った西日本豪雨(平成30年7月豪雨)では、線状降水帯が繰り返し形成され、広島・岡山・愛媛などを中心に263名が亡くなる甚大な災害となりました【国土交通省, 2019】。
特に岡山県倉敷市真備町では、小田川が決壊し、大規模な浸水が発生しました。驚くべきことに、この被害は国土交通省のハザードマップとほぼ一致する形で発生し、「地図通りに水が来た」と地元住民の間で話題となりました。
この事実は、ハザードマップの有用性とともに、事前にその情報を理解し、行動につなげる重要性を浮き彫りにしました。
防ぐためには ― 見える化と行動の連鎖
線状降水帯は「見えない災害」から「可視化された災害」になりつつあります。気象庁の情報、自治体のハザードマップ、テレビ・ネットの天気予報など、さまざまな手段でそのリスクを事前に把握できるようになりました。
しかし、避難情報をどう判断し、どう行動に移すかは、家庭や地域の取り組みにかかっています。
西日本豪雨でも、声を掛け合って避難した地区と、孤立してしまった地区で被害に大きな差が生じました。
線状降水帯による災害から命を守るには、
普段からハザードマップを家族で確認すること
地域の避難経路や避難所を把握しておくこと
「あれ?いつもと違う」と思ったら、ためらわずに行動すること
が求められます。
補足:被害が大きかった線状降水帯災害(主な例)
【引用・参考文献】
気象庁『顕著な大雨に関する情報の運用について』2021年
国土交通省『平成30年7月豪雨に関する報告書』2019年
内閣府 防災担当『災害の教訓シリーズ(西日本豪雨編)』2021年
国土地理院『災害時空間データライブラリ』
NHKスペシャル「西日本豪雨〜その時 何が〜」2020年放送

竜巻と雷 ― 積乱雲の下で起こる激しい現象

  1. 竜巻とは何か
    現象のしくみ
    積乱雲の下で、強い上昇気流と下降気流がぶつかり合うことで、空気の渦(回転流)が発生します。
    この渦が地面にまで達すると、竜巻となり、強烈な突風で建物を壊したり、車を飛ばしたりすることがあります。
    日本でも毎年数十件の竜巻や突風被害が報告されています。特に台風や前線が活発な時期に多発します。
    防災対策
    空が急に暗くなる・雷鳴・ひょう・急な冷たい風などは竜巻の前兆です。
    気象庁の「竜巻注意情報」が発表されたら、屋外での活動を控え、頑丈な建物の中へ避難します。
    学校や家庭では「窓から離れ、できるだけ低い姿勢をとる」ことを徹底します。
    車や屋外での避難は危険なので、必ず建物の中に入るようにします。
  2. 雷とは何か
    現象のしくみ
    積乱雲の内部では、氷の粒が激しくぶつかり合い、電気が分離します。
    雲の上部は正電荷、下部は負電荷に帯電し、電位差が限界を超えると放電現象=雷が発生します。
    雷は「対地雷(雲から地面へ)」「雲間雷(雲と雲の間)」「雲内雷(雲の中)」などの種類があります。
    防災対策
    「ゴロゴロ」と雷鳴が聞こえたら、雷雲が近づいているサインです。
    屋外にいる場合は、高い木や電柱の下は避け、鉄筋コンクリートの建物や自動車の中に避難します。
    グラウンドや河川敷など、開けた場所での活動は直ちに中止します。
    家の中では、落雷による感電を避けるため、電気機器や電話の使用を控えることが望ましいです。

第4章 防災の社会科
(目標)
歴史と地域に学ぶ防災の知恵 〜人と社会をつなぐ力を育てる〜
社会科では、私たちの暮らしを支える仕組みや、地域の歴史・自然環境について学びます。防災はまさに「社会の課題」であり、災害の記録や地域の取組を通して命を守る判断力と公共心を育てることができます。
🔹 社会科における防災教育の3つの目標
1.災害の歴史を通して命の教訓を学ぶ力を育てる
地震や津波、火災、噴火などの災害が地域や国に与えてきた影響を、歴史的資料や古文書から読み解くことで、「過去から学び、未来に備える力」を養います。
2.地域の防災と共助の取組を理解する力を育てる
防災訓練、ハザードマップ、地区防災計画などを調べ、地域の人々や行政がどのように命を守ろうとしているかを学びます。防災は“人ごと”ではなく、“自分ごと”であるという意識を育てます。
3.防災を通じて公共心と持続可能な社会の意識を育てる
災害時の助け合いや、福祉・情報・都市計画といった制度の学習を通して、「社会を支え合う力」「持続可能な社会を築く力」を身につけていきます。これにより、防災を通じて公共の一員としての自覚と行動力が育まれます。
第1節 世界地図から読み解く、地震と火山の大地のしくみ
わたしたちがふだん目にする世界地図は、国の位置や大陸の形を示すだけでなく、地震や火山のしくみを理解する大きなヒントを与えてくれます。
そのことに初めて気づいたのは、ドイツの気象学者アルフレッド・ウェゲナー(Alfred Wegener)です。彼は1912年、ある仮説を唱えました。
「大陸は昔ひとつの大きな陸地だったが、それが割れて、ゆっくり動いて今のような形になった」
これがいわゆる大陸移動説(現在のプレートテクトニクス理論の原点)です。
■ 南アメリカとアフリカ ― 破れた新聞紙のように
ウェゲナーが大陸移動を考えたきっかけは、南アメリカとアフリカの海岸線が見事にぴったり合うことに気づいたからです。まるで破れた新聞紙を合わせるように、両大陸を並べると形が一致します。
彼はそれだけでなく、両大陸の地層や古い生物の化石、気候の痕跡が同じであることを証明し、両大陸が昔はつながっていたことを主張しました。
しかし当時の学会では、「大陸が動くはずがない」と彼の説は受け入れられず、彼はグリーンランド探検の途中で命を落とします。それから50年以上たって、プレートテクトニクス理論が確立されて初めて、彼の仮説は正しかったと評価されるようになったのです。
第2節 地理:世界地図から読み解く、地震と火山の大地のしくみ
はじめに ~地図を見る目を変えよう~
ふだん私たちが見ている世界地図。
国の位置や大陸の形を示すだけのものだと思っていませんか?
実は、地図をよく見ると、地球上で「地震が多い場所」「火山が多い場所」「山が高く連なる場所」には、ある共通のパターンがあることに気づきます。
それは、地球の表面がいくつものプレート(岩盤)でできていて、そのプレートがぶつかり合ったり、沈み込んだりしている場所に集中しているのです。
この章では、地図を通して地震と火山の本当の顔を見ていきます。

  1. 世界の山脈と地震地帯は「2つの大きな帯」に集中している
    地図上で山の高い地域を線で結んでみましょう。すると、次の2つの大きな山脈帯(造山帯)が浮かび上がります。
    (1) 環太平洋造山帯(Ring of Fire)
    太平洋をぐるりと取り囲むように、山脈と火山が連なっています。
    アメリカ西海岸(ロッキー山脈)、南米(アンデス山脈)、アリューシャン列島、日本列島、フィリピン、ニュージーランドなど。
    この一帯は、
    地震・火山活動が世界で最も活発な地域であり、
    「リング・オブ・ファイア(火の輪)」とも呼ばれています。
    (2) ヒマラヤ・アルプス造山帯
    インドからネパール、チベット、中国南部を通り、
     さらに中東(トルコ)からヨーロッパのアルプス山脈まで続く帯です。
    この帯では、
    大陸同士が衝突して生まれた巨大な山脈(ヒマラヤ山脈など)が連なっています。
    もちろんここも、地震の多発地帯です。
  2. なぜこの2つの帯に地震・火山が集中するのか
    それは、地球の表面を覆うプレートが動いているからです。
    プレート同士がぶつかる場所では、地面が盛り上がって山脈ができ、
     押し合いによるひずみが限界に達すると地震が発生します。
    一方のプレートが沈み込む場所では、
     沈み込んだプレートが溶けてマグマになり、火山が生まれます。
    つまり、山脈・地震・火山はすべて、
    プレートの運動によって密接につながっているのです。
  3. 地図からわかる地震・火山の「危ない場所」
    もし世界地図を地震や火山の発生地点で塗り分けたら、
    この2つの造山帯にびっしりとマークが集まっていることが一目でわかります。
    たとえば:
    チリ・ペルー・エクアドル(南米アンデス山脈沿い)→巨大地震多発
    アメリカ・カリフォルニア州 → サンアンドレアス断層による地震リスク
    日本 → プレートの交差点。地震・火山大国
    ネパール → ヒマラヤ山脈地震(2015年ネパール大地震など)
    トルコ・シリア → アナトリアプレート周辺で巨大地震多発(2023年トルコ・シリア地震)
  4. 日本列島の特別な位置
    日本列島は、この世界地図の中でも特別に危険な場所にあります。
    太平洋プレート
    フィリピン海プレート
    北米プレート
    ユーラシアプレート
    これら4つものプレートが集まり、押し合い・沈み込み・ひずみが集中している場所だからです。
    そのため、
    巨大地震(南海トラフ地震、首都直下地震)
    大規模火山噴火(富士山、阿蘇カルデラなど)
    津波災害(東日本大震災級)
    が、常に潜在リスクとして存在しているのです。
  5. 地図から「災害リスクの目」を持とう
    世界地図、そして日本列島の地形を、
    ただの絵ではなく「動き続ける地球の記録」として見る目を持つこと。
    それが、これからの防災を考えるための第一歩です。
    そして、地図を正しく読めるようになることは、
    自分や家族の命を守るための「知恵」となります。

    第3節 「地理」折れ曲がった⽇本列島
    ~折れ曲がった島とプレートたちのドラマ~
    ◆ 島国ニッポン、その形にはワケがある
    私たちが暮らす日本列島。
    地図をよーく見ると、実は関東あたりでグイッと120度に折れ曲がっているのです。
    この“急カーブ”が、日本の地理のナゾを解く重要なカギなのです。
    さらに日本海は、まるでひし形のような形。これもただの偶然ではありません。
    この「折れ」と「ひし形」が、プレートのぶつかり合いや地球の力の“しわざ”によるものだとわかったのは、近年の地球科学の進歩によるものです。
    ◆ ナウマンが見つけた「大きな裂け目」=フォッサマグナ
    この120度の折れ曲がりのところを、フォッサマグナ(Fossa Magna)=大きな裂け目と呼びます。
    この言葉をつくったのは、ドイツ人地質学者 ハインリッヒ・エドムンド・ナウマン。明治時代、日本列島を歩きながら地質を調べた彼は、「ここはまるで地球が割れたような場所だ!」と気づきました。
    この裂け目には、なんといろんな“火山のかけら”がどんどん入り込んできているのです。
    富士山がある御坂山地
    秦野や大山などの丹沢山地
    海から飛び出してきた伊豆半島
    さらに遠く、伊豆・小笠原諸島の島々
    これらはみんな、太平洋プレートに乗って運ばれてきた「火山の連なり」です。
    フォッサマグナのすき間に“ぶつかり”“乗り上げ”“入り込んだ”ことで、今の関東や中部地方の姿ができたのです。
    ◆ プレートの押し合いがつくる「日本の形」
    ◉ 東北地方は、まっすぐに“押し上げられた”

    東北地方の山々は、日本海溝に平行にズラリと並んでいます。
    これは、太平洋プレートが沈み込み、陸側が押し上げられてできた山地たちです。
    高橋雅紀博士によれば、これが「新しい日本列島の骨格」ともいえるダイナミックな変化の象徴なのです。
    ◉ 西日本は、横にずれながら持ち上がっている
    西日本はちょっと変わっていて、フィリピン海プレートが西へとグイグイ押してくる影響で、
    中央構造線(日本最長の活断層!)が少しずつ横にずれつつ、土地が持ち上がったり沈んだりしています。
    瀬戸内海や紀伊半島、四国がなだらかで複雑な地形になっているのも、こうしたプレートの“せめぎあい”の結果なのです。

    ◆ 北の大地、北海道のヒミツ
    北海道を上から見ると、なんとなくひし形に見えませんか?
    それもそのはず。北海道の真ん中を走る日高山脈は、北からのオホーツクプレートと、南からの北アメリカプレートの“せめぎあい”でできた“地質の戦場”とも言える場所。
    巽好幸博士の研究によると、ここはまるで大陸同士が“衝突”してできたヒマラヤのようなもの。
    北海道の“ひし形”は、まさに地球のパワーがぶつかってできた形なのです。

    ◆ 中央構造線がつくる地形と災害
    日本列島の衛星画像を見ると、四国の伊予半島から吉野川流域を通り、
    淡路島をかすめて近畿地方にわたり、伊勢志摩・名古屋湾を横断し、浜名湖から天竜川沿いに北上して諏訪湖に至る一本の線状地形が見えます。これが、中央構造線です。

    中央構造線の延長上には、九州の大分・阿蘇・雲仙地域も並んでいますが、九州部分は「中央構造線」とは呼ばず、別の地質帯として分類されます。
    中央構造線とは何か
    中央構造線は、日本列島最大の活断層帯です。
    大昔、日本列島がユーラシア大陸の一部だったころから、ズルズルとずれ動き続けてきた”裂け目”であり、
    地質学的には日本列島の背骨のような存在です。
    中央構造線を挟んで、北と南では地質が大きく異なります。
    北側は古い大陸地殻、南側は比較的新しい海洋地殻が主となっています。
    中央構造線と地殻変動
    この活断層は、長い間、北から東方向への横ずれ運動をしていましたが、
    約300万年前、フィリピン海プレートの沈み込み方向が変わったことで、
    中央構造線の運動方向も西向きへと変化しました。
    これにより、約300万年の間に18キロメートルもずれ動いたと推定されています。
    この運動によって、
    鈴鹿山脈から始まる斜めの山脈群
    斜めに走る瀬戸内海の島々の配置
    淡路島から神戸に至る断層群(六甲山地・布引断層帯)
    などが形成されました(参考:巽好幸『日本列島の動く大地』NHK出版新書)。
    巽博士は、こうした斜めに走る地形の連なりを
    「プレート運動と断層活動が生み出した、列島のしなり」と表現しています。
    まとめ:中央構造線を知ることは、災害リスクを読むこと

    ◆ 日本列島は動きつづける「生きている大地」
    日本列島は、地球のプレートのぶつかり合いで折れ曲がり、裂け、動いてきた島。
    フォッサマグナは、地球の「裂け目」であり、さまざまな地質の寄せ集め。
    東北・西日本・北海道、それぞれの地形に、異なる地球のドラマがある。
    そしてこの「大地の物語」を知ることは、ただの地理の知識ではありません。
    中央構造線は、ただの地学上の知識ではありません。
    これに沿う地域では、今なお地震リスクが高く、
    阪神・淡路大震災(1995年)も、中央構造線延長上の活断層帯で起きました。
    私たちは、地図を「命を守る地図」として読み直し、
    地形の意味を知ることによって、未来への備えを強めなければなりません。
    災害のしくみを理解し、どこにリスクがあるかを知るためにも、とても大切なことなのです。

    第5節 災害の歴史
    日本の歴史を変えた大地の動き
    日本の歴史災害年表(飛鳥〜令和・重要災害網羅版)

■ 飛鳥〜平安時代:国家を揺るがす大災害
国語の章で紹介した貞観(じょうがん)陸奥地震(869年)は東北地方を襲い、津波で広大な仙台平野が水没した。878年の相模・武蔵地震は関東に大被害を与え、864年には富士山が大噴火。溶岩が湖を分断し、精進湖が誕生した。古代の災害は、神話や歴史の中で語られ、日本列島が常に動く大地であることを示していた。
■ 鎌倉〜戦国時代:武士の世も地震に揺れる
1293年の鎌倉大地震は鎌倉の町を壊滅させ、多数の死者を出した。戦国時代にも地震はたびたび発生し、城や街を襲って戦局を左右した。地震の記録は少ないが、確実に人々の暮らしや権力構造に影響を与えていた。災害は戦乱と並ぶ“時代を動かす力”でもあった。
■ 安土桃山時代:天下人を揺るがす地震
1596年、京都を中心に慶長伏見地震(M7.5〜7.9)が発生し、伏見城が大きく破壊された。同年には慶長豊後地震・慶長伊予地震など連鎖的に発生している。これらの災害は豊臣政権を大きく揺るがし、やがて徳川家康が台頭する政治的転機となった。歴史の流れを左右するほどの大地震であった。
■ 江戸時代:災害とともに生きる知恵の時代
1703年の元禄地震は関東南部を大きく揺らし、津波と火災で多数が犠牲に。1707年には宝永地震が発生し、その直後に富士山が大噴火。火山灰は京都や大阪にも降り注いだ。江戸時代の人々は、災害に耐えながらも、堤防や避難の知恵を地域ごとに積み重ねていった。
■ 幕末〜明治:文明の夜明けと連続地震
1854年には安政東海地震(M8.4)と安政南海地震(M8.4)がほぼ連続して発生し、東海から四国・近畿を襲った。大津波が沿岸を壊滅させ、安政江戸地震(1855年)も加わって、日本中が大地震に揺さぶられた。黒船来航と開国の時代に起きたこれらの災害は、列島が動くことの警告であり、日本の近代化の裏に「地震列島の宿命」が刻まれていた。
■ 関東大震災(1923年):都市壊滅の記憶
1923年9月1日、マグニチュード7.9の地震が関東を直撃。家屋倒壊、火災旋風、大津波と三重の災害が発生し、死者・行方不明者は10万人以上に。大都市・東京を襲った災害としては最大規模で、日本の災害対策の出発点となった。9月1日は「防災の日」として今も記憶されている。
■ 昭和東南海地震(1944年)・昭和南海地震(1946年):南海トラフの連鎖
1944年 昭和東南海地震(M7.9)は東海から紀伊半島沿岸を中心に甚大な被害を出した。
続く1946年 昭和南海地震(M8.0)は四国・近畿・中国地方の広い範囲に被害を及ぼし、両者は南海トラフ巨大地震が数十年周期で連鎖することを示した。これらの記録は、今後想定される「南海トラフ地震」への警鐘となっている。
■ 伊勢湾台風(1959年):災害対策基本法の契機
1959年9月、伊勢湾を直撃した台風は、潮位の急激な上昇による高潮と暴風で5,000人以上の死者・行方不明者を出した。高度経済成長期の都市部を直撃したこの災害は、戦後最大の風水害として社会に深刻な衝撃を与えた。
この教訓から、国と自治体の責任を明確化し、計画的な防災体制を整えるために災害対策基本法(1961年)が制定された。今日の日本の防災制度の基盤は、この伊勢湾台風が契機となって形づくられたのである。
■ 新潟地震(1964年):液状化が街を襲う
新潟で起きた地震では、地盤が泥のようになって建物が傾き、道路や橋が波のように変形する「液状化現象」が注目された。都市の地盤にひそむ危険が初めて明らかになった地震であり、高度経済成長期のインフラ整備にも影響を与えた。地震の学びは、都市計画にも欠かせない。
■ 阪神・淡路大震災(1995年):都市型災害の衝撃
1995年、兵庫県南部をマグニチュード7.3の地震が襲い、神戸を中心に6,000人以上が犠牲に。高速道路やビルの倒壊、住宅密集地での火災が都市災害の脆さを浮き彫りにした。この震災は災害ボランティア元年とも呼ばれ、人と人との「共助」が改めて注目されるきっかけとなった。
■ 東日本大震災(2011年):想定外の津波と教訓
2011年、東北地方の太平洋沿岸を巨大地震と津波が襲い、2万人近くが犠牲となった。想定外とされた津波は、実は千年以上前にも起きていた。教訓は「災害は忘れたころに来る」のではなく、「忘れられていた教訓が、再び人々を襲う」ことの恐ろしさを教えている。
■ 西日本豪雨(2018年):ハザードマップが示していた危険
梅雨前線による記録的な豪雨で、広島・岡山・愛媛など西日本を中心に甚大な被害が出た。浸水や土砂災害は、あらかじめ作られていたハザードマップの通りに発生。被害の多くが「想定されていた」ものであり、災害情報を日ごろから知っておくことの重要性が強く意識された。
■ 熊本地震(2016年):火山と断層に囲まれた地
九州中部を襲った2度の大きな直下型地震。活火山・阿蘇山の近くにあるこの地域は、地盤の複雑さからも被害が拡大した。建物倒壊、避難所不足、避難生活の長期化など、複合災害の課題が浮き彫りになった。南海トラフ地震への警戒とも重なり、防災意識を大きく高める契機となった。
■ 能登半島地震(2024年):地域社会の脆弱さが露呈
正月に発生した大地震は、少子高齢化・過疎化が進む地域を直撃。軟弱な地盤、旧耐震基準の建物、孤立集落などが重なり、被害が深刻化した。災害は都市だけでなく、地方にある“社会のほころび”にも直撃する。「支援が届かない場所」が日本中にあることを突きつけた震災だった。

第6節 防災に取り組む政治のしくみ
● 災害対策基本法に基づく防災体制
日本の防災体制は、1961年に制定された「災害対策基本法」に基づいて構築されています。この法律は、災害の予防、応急対策、復旧・復興に至るまで、国・地方公共団体・国民がどのように役割を担うべきかを定めた基本法です。
● 内閣府(防災担当)
内閣府には「防災担当大臣」が置かれ、災害対策基本法を中心とした総合調整の役割を担います。災害時には「非常災害対策本部」や「緊急災害対策本部」を設置し、関係省庁や自治体、民間団体と連携して対応にあたります。
● 国土交通省
国土交通省は、河川・ダム・道路・港湾などのインフラ管理と災害復旧の中核を担います。気象庁や国土地理院もその下にあり、気象警報や地震・津波の情報発信を行います。
● 総務省・消防庁
総務省消防庁は、消防機関の指導や緊急消防援助隊の派遣調整などを担います。また、防災無線・Jアラート(全国瞬時警報システム)の運用も行っています。
● 警察庁・防衛省
警察庁は治安確保や行方不明者捜索を担当し、防衛省は自衛隊による救助・輸送・医療活動を実施します。これらは、自治体からの要請や国の判断により動員されます。
防災庁の創設と新しい防災体制へ
● 防災庁創設の構想
2024年から議論が進む「防災庁」の創設は、災害対策の司令塔機能を明確にする試みです。現行制度では、内閣府が総合調整機能を担っている一方で、省庁ごとの縦割りや連携の遅れが課題とされてきました。
● 期待される変化
平時から災害時まで一貫した体制整備
省庁間のデータ・物資・人材の統一調整
統一規格の支援物資調達・配布
国と自治体の「地区防災会議」支援体制
防災庁の創設により、国のトップダウンで災害対応力を強化し、住民主体の防災活動との橋渡しを担うことが期待されています。

第7節 自治体と私たちの暮らしを守る防災
● 災害対策基本法により、市区町村の防災責任災害対応の最前線に立つのは、市区町村です。市町村長は、地域防災計画を策定し、災害時に「災害対策本部」を設置し、避難所の開設、避難指示の発令、物資の配布、住民の安否確認などを行います。これらはすべて、地域の命を守るための最重要業務です。
● 都道府県の支援と調整
都道府県は、市町村の広域的支援を担います。複数の市町村にまたがる被害への対応、消防・医療体制の整備、国との連携など、広域災害への備えと応援体制の確保が役割です。
● 災害対策基本法に基づく市民の責務
災害対策基本法第8条は、すべての国民に対し「災害の発生の防止、被害の軽減、避難その他の災害の防除に関し、必要な自助努力を行うように努めなければならない」と定めています。さらに同条では、災害に関する知識の習得、過去の災害の教訓の継承、訓練などへの積極的参加も努力義務として明記されています。
つまり、国や自治体に任せきりにするのではなく、私たち一人ひとりが「自分や家族を守る行動をとる責任」があり、それに加えて「地域の知恵や教訓を次世代につなぎ、訓練などの機会に関わっていくこと」も求められているのです。
「自助」から「共助」へ、そして「公助」とつながるためには、私たち自身が防災の第一歩を踏み出すことが大切です。
● 私たちにできること
家庭で非常持出袋や備蓄品を準備する
避難所や避難経路を家族で確認する
地域の訓練や防災講座に参加する
災害時に助け合うために、ご近所との交流を深めておく
防災は「自分ごと」として日常から取り組むことが大切です。私たち一人ひとりが、暮らしの中でできる備えを積み重ねることで、災害に強い社会がつくられていきます。

第8節 法律が命を守るしくみ
~消防法・災害対策基本法・災害救助法~
法律が防災?ちょっと難しそう…?
「法律」と聞くと、なんだか難しそうだと思うかもしれません。
でも実は、わたしたちの命を守る防災の仕組みには、法律が大きく関わっているのです。
火事のときに消防車が来てくれるのも、地震のあとに避難所が開設されるのも、必要な物資が届けられるのも、自衛隊が災害派遣されるのも、すべて法律によって「やるべきこと」が決まっているからです。
その中でもとくに大切な3つの法律を紹介します。

消防法:火事・地震から命を守るために
火事が起きたとき、消防車が駆けつけてくれる。
それが「当たり前」なのは、この消防法という法律があるからです。
この法律は、1948年に制定されました。
戦争中や戦後の大火災で多くの命が失われた経験から、
もう二度と、大きな火災で命を失わないようにという願いをこめてつくられました。
消防法は、次のようなことを決めています。
消防署や消防団を各地に置くこと
消防設備(スプリンクラーや火災報知器)の設置義務
火災や災害への訓練や教育の実施
救急活動の仕組み(救急車も消防の一部です)
事業所等での防災
この法律によって、わたしたちは日々の暮らしの中で火の用心をし、もしものときには速やかに助けてもらえるのです。
ただし課題もあります。
【実例】ホテルニュージャパン火災――命よりも壺を守ろうとした組織
◆ 1982年2月8日、永田町で起きた大惨事
1982年、東京都千代田区永田町。
「ホテルニュージャパン」(旧赤坂プリンスホテル)で起きた火災は、33人の命を奪う惨事となりました。
火災の発端は、宿泊客の寝たばこによる失火でした。
しかし、火そのものよりも、組織の初動対応の失敗と防災意識の欠如が、この大惨事を招いたのです。
◆ 消防法が求める「自衛消防組織」の役割とは
消防法では、ホテルのような不特定多数が集まる施設には、自衛消防組織を設置することが義務づけられています。
自衛消防組織には、次の役割が求められます。
初期消火:火災を初期段階で消し止める
通報:速やかに119番消防へ連絡する
避難誘導:宿泊客や利用者を安全に避難させる。逃げ遅れた人がいないか確認する。
これらは、「命を守るための最小限の行動」です。
しかし、ホテルニュージャパンでは、この基本的な任務がまったく機能していませんでした。
◆ 初期消火も通報も、避難誘導もできなかった
火災発生時、ホテルの内部では何が起きていたのでしょうか。
初期消火は行われず、火は瞬く間に広がった
119番通報までに、20分近い時間が空費された
従業員たちには、防火訓練や初動マニュアルが共有されていなかった
宿泊客への避難誘導も行われず、客たちは煙の中で道に迷った
つまり、ホテル側は、法が求めた最低限の備えすら怠っていたのです。
◆ 社長が指示したのは「壺の搬送」だった
この火災を象徴する、痛ましいエピソードがあります。
火災発生後、ホテルの社長は従業員に対して、
「客の避難誘導よりも、館内にある高価な美術品(壺)を運び出すように指示」しました。
人命より物品を優先、利益・資産防衛が、命の保護より優先された
この指示により、避難誘導は後手に回り、逃げ遅れた宿泊客たちは、炎と煙に巻かれて命を落としました。
この行動は、単なるミスではありません。組織全体の安全哲学の欠如を象徴していたのです。
◆ この火災が日本の消防法を変えた
ホテルニュージャパン火災の教訓から、消防法が大きく改正されました。
これらの改正は、「安全はコストではなく、命の基盤である」という考え方を社会に根づかせるために行われたのです。
◆ まとめ:命を守るために、組織が持つべき信念
火災は突発的に起きます。
しかし、「命を守る準備ができていたかどうか」は、事前に決まっているのです。
自衛消防組織の機能不全
防災訓練と教育の欠如
経営層の命への無関心
これらが積み重なったとき、悲劇は避けられません。
「命を第一に考える」こと。それが組織にとっての最大の防災対策なのです。
この痛ましい教訓を、絶対に風化させてはなりません。

最近の実例 アスクル倉庫火災が問いかける――「消防法を守る」とは命と財産を守ること
◆ 物流の最前線で、なぜ火災は拡大したのか?
2017年2月、埼玉県三芳町にある大手通販会社アスクルの物流倉庫で発生した火災は、鎮火まで12日間を要し、周囲に多大な影響を与えました。
火災が拡大した背景には、次のような要因が重なっていました:
初期消火に失敗(消火器21本使用も鎮火できず)
屋内・屋外消火栓の操作に不備(ポンプ作動せず。使用できず。)
防火シャッターの作動不良(下に荷物が置かれ降下妨害)
119番通報の遅れ(自動火災報知器作動から7分後)
これらはすべて、事前の訓練・管理・理解によって防げた可能性があったのです。
◆ 消防法は、実行してこそ意味がある
消防法では、一定規模以上の施設には自衛消防組織の設置が義務付けられています。
この自衛消防組織は、以下の3つの基本的機能を果たさなければなりません。
アスクル火災の現場では、いずれの機能も形式的には存在していたが、実際には機能していなかったようです。
消火栓を使った訓練が一度も行われていなかった
防火シャッターの作動状況を定期点検しておらず、シャッターの下に荷物が積んであった。
消火器訓練はあっても、屋内消火栓を使った、実火災想定の複合訓練がなかった
このような「形式的遵守」は、災害時に無力です。
法律は、実行されてはじめて“命を守る力”になります。
なぜ荷物が防火シャッターの下に?――日常の油断が命を危険にする
火災現場では、防火シャッターの直下に大量の商品在庫が置かれていたため、本来火の拡大を防ぐべきシャッターが正常に降下できませんでした。
「効率優先で通路や機器周辺に物を置く」
「“まさか火災なんて起こるはずがない”という気の緩み」
「点検結果が現場に周知されていない」
【参考資料】
総務省消防庁「アスクル火災の教訓に関する調査報告」
埼玉県三芳町・所沢東消防署火災報告
アスクル社公開説明資料(2017年3月・4月)

🔍 主な法制度・義務の変化ポイント
第8節 災害対策基本法:すべての災害への「国と自治体のルール」
大きな台風が来るとき、「警戒レベル4・避難指示です」と言われたり、
ハザードマップが配られたりするのを見たことがあるでしょう。
それらはすべて、災害対策基本法という法律に基づいて行われています。
この法律ができたのは1961年。きっかけは、1959年に日本を襲った伊勢湾台風です。
死者5,000人以上という被害を出し、「国と自治体がもっと災害対策をきちんと行わなければならない」として作られました。この法律には次のような内容が含まれています。
国・都道府県・市町村に「防災会議」や「防災計画」の作成を義務付け
避難情報や警戒レベルの発表ルール
防災訓練や啓発活動、ハザードマップの整備
つまり、災害が来る前の備え、来たときの対応、来た後の復旧までをカバーする「総合防災法」なのです。
しかし、計画が形だけになってしまう自治体や、住民への情報伝達・教育が十分でない地域もあり、実効性に差があるのが現状です。
■ 災害救助法:被災者を支える“命綱”
災害が起きて、避難所が開設される。食料が配られ、仮設住宅が建てられる。
こうした被災者支援の基本となるのが、災害救助法です。
この法律は、なんと1947年という、戦後すぐの時期に作られました。
まだ日本が貧しかった時代でも、「被災者の命を守ることは国の責任だ」と定めた、とても大切な法律です。
内容は次のようなものです。
避難所の設置と生活支援
食料、衣類、医療の提供
応急仮設住宅の建設
火葬や埋葬など、最終的な救助の提供
この法律により、災害時には国や自治体が連携し、すばやく生活支援に動ける仕組みが整いました。
ただし、「〇棟以上が半壊」という適用基準のため、小規模な被害地域には救助が届かないことも。
また、仮設住宅での長期生活がもたらす孤立や心の問題、
高齢者や障害者などの要配慮者支援にも、地域差や制度の限界が見られます。
◆ 法律とわたしたちの暮らし
防災には、ハザードマップや避難訓練だけでなく、法律という「見えないしくみ」が支えになっています。
消防法は「火災から命を守る」
災害対策基本法は「災害全体国・自治体で備える」
災害救助法は「被災した人を支える」
しかしどんなに制度が整っていても、それを知っている人、使える人がいなければ意味がありません。
防災を学ぶということは、制度を学ぶことでもあり、わたしたち自身が“命を守る制度の一部”になれる、ということでもあります。
法制度と大災害の教訓・年表(1959〜2024)
引用・参考文献一覧
📘 1. 法令・制度関連資料(一次資料)
内閣府 防災情報のページ
 https://www.bousai.go.jp
 (災害対策基本法、災害救助法、災害基本計画の原文・改正経緯)
消防庁「災害対応年表」
 https://www.fdma.go.jp/publication/rescue/
 (災害救助法適用事例、自衛隊災害派遣の概要も掲載)
自衛隊法(e-Gov法令検索)
 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=329AC0000000165
 (災害派遣に関する第83条の規定と改正履歴)
「災害対策基本法の一部を改正する法律案要綱」内閣府(逐年発表)
中央防災会議『災害基本計画』(最新版)
 https://www.bousai.go.jp/taisaku/keikaku/index.html

第9節 海外の避難所支援に学ぶー イタリアの災害対応に注目して
2025年、防災塾・だるま主催の「防災まちづくり談義の会」において、避難所・避難生活学会の水谷嘉浩氏は、「海外の避難所環境改善に学ぶ」と題した講演を行いました。氏は国内外の避難所支援を続ける中で、「災害関連死を防ぐには何が必要か?」という問いに向き合い、日本とイタリアの災害対応の違いに注目してきました。
■ イタリアの避難所運営 ― 明確な理念と事前準備
イタリアは、火山・地震・洪水など多様な自然災害のリスクを抱える国です。水谷氏は、そんな災害大国であるイタリアの避難所のしくみについて、次のように紹介しました。
TKBユニットの備え:イタリアでは、災害発生後すぐに避難生活が開始できるよう、トイレ(Toilet)、キッチン(Kitchen)、ベッド(Bed)を一体化した移動可能な「TKBユニット」が事前に準備されています。これにより、被災者の健康と尊厳を守る快適な避難所生活が即座に始められます。
地域外からの専門支援チーム:被災直後、避難所運営の担い手は被災地の市町村職員ではなく、被害を受けていない地域から駆けつける専門チームです。これにより、疲弊した被災自治体を支え、迅速な支援が可能となっています。
理念の共有:イタリアでは、「誰一人として犠牲を出さない」という強い共通意識が行政にも住民にも根づいており、その理念が平時の備えにも表れています。
■ 日本における導入の動き
このイタリア型の避難所システムに注目した横浜市では、日本で初めてTKBユニットの実用化に向けた取り組みを開始しました。行政や支援団体、企業の連携による試行が進められています。これは今後の日本の避難所のあり方を大きく変える可能性を秘めた動きです。
■ 日本の現状と課題
一方で、日本では以下のような避難所の課題が未解決のまま残っています。
雑魚寝が基本で健康を損ねやすい
トイレや食事環境が整っていない
必要な人に物資が届かない
災害関連死が避けられずに続いている
これらは「被災者中心」ではなく、「行政や支援者の都合」が優先される構造によるものと水谷氏は指摘します。
■ 制度・支援体制の改革へ
日本においても以下のような改革が必要です。
災害救助法や支援制度の明確化・簡素化
災害関連死の定義統一と補償制度の見直し
民間・専門人材との連携による設備の標準化
防災庁の創設とともに災害支援体制の構造改革
水谷氏は、「避難所は日本でも必ずよくできる」と結び、イタリアのように理念を持った運営と、事前の準備、支援の仕組みの標準化が急務であることを強調しました。
参考文献・出典
水谷嘉浩(2025)『第203回 防災まちづくり談義の会』講演資料、防災塾・だるま
避難所・避難生活学会公式サイト
横浜市の災害対策事例集(TKBユニット導入事業)

第10節 アメリカに学ぶ災害への備え ― ハリケーン・カトリーナの教訓と「タイムライン」導入の歩み
アメリカ合衆国は、ハリケーン、竜巻、森林火災、地震など、あらゆる自然災害の脅威にさらされている「災害大国」です。そんな国で、近年大きな災害への対応力を劇的に高めたきっかけとなったのが、2005年のハリケーン・カトリーナでした。
■ ハリケーン・カトリーナの衝撃 ― 統治不全が招いた悲劇
カトリーナでは約1800人が死亡し、特にルイジアナ州ニューオーリンズ市では堤防決壊により都市の8割が水没。避難が遅れ、支援体制が混乱し、アメリカ史上最大級の人道危機といわれる事態となりました。被害の拡大要因として明らかになったのは、「事前に誰が何をするかが決まっていなかったこと」でした。
この災害の反省からアメリカは、「タイムライン型の災害対応計画」の導入を進めていきます。
■ タイムライン ― 災害への行動を「時系列」で決めておく
タイムラインとは、災害が発生するまでの時間を逆算し、いつ誰がどんな行動をとるのかを時系列で事前に計画しておく仕組みです。
このタイムラインが有効に機能したのが、2012年のハリケーン・サンディのときでした。
避難命令は72時間前に発令
ニューヨーク証券取引所は閉鎖を決断
鉄道は水没の危険を予測し、切替装置のモーターだけをあらかじめ取り外して保管
公共機関・企業・住民が一体となって早期準備に動いた
この成果に注目したのが、日本の国土交通省です。2013年には、国交省主導の「ハリケーン・サンディ災害対応調査団」がアメリカを訪問。現地で「タイムライン型対応」の詳細を調査し、日本への導入を検討する動きが始まりました【国土交通省, 2014】。
■ 日本での展開と課題 ― タイムラインの制度化と「地区タイムライン」への期待
2019年の台風19号では、進路が数日前から予測され、国・自治体・鉄道会社などがタイムライン的な動きを実践。一定の減災効果が確認されました。
その後、2022年の防災基本計画の改定により、国としても正式に「タイムライン」の導入を位置づけました。これにより、各都道府県や市町村の地域防災計画に、行政による時系列型の対応(避難指示、交通機関の制限等)を記載することが広がっています。
さらに近年では、住民一人ひとりが作成する「マイ・タイムライン」の啓発も進んでいます。しかし、現場の実感として、行政による地域タイムラインがまだ十分に周知されていないという課題があります。
■ 「地区タイムライン」の必要性 ― 学校や自治体が連携してつくる防災計画
筆者がかつて校長を務めていた横浜市立北綱島小学校では、地域防災拠点運営委員会が、風水害の際に学校・家庭・地域がとるべき行動を時系列にまとめたタイムラインを作成し、保護者や児童に配布しています。
このように、「小学校区」などの生活圏単位で、災害に対応した避難場所、家に住めなくなった場合の生活施設である避難所を明確に教育する。警戒レベルのどの段階でどう行動するかを明記した「地区タイムライン」を策定することが、今後の全国的な課題です。
それを実現するには、防災庁の創設とともに、防災地区の指定と地区防災計画策定を義務化する災害対策基本法の改正による制度化が必要でしょう。
■ おわりに
「災害は、備えで被害を減らすことができる」。アメリカの反省と挑戦、イタリアの先進事例、そして日本の取り組みの積み重ねが、命を守る道を切り開いています。タイムラインを「自己責任の防災」にとどめず、「地区の仕組み」として構築していくことが、これからの防災立国にとって不可欠です。
参考文献・出典
国土交通省(2014)「ハリケーン・サンディに関する米国視察報告」
内閣府(2022)「防災基本計画の改定概要」
横浜市教育委員会(2020)「北綱島小学校地域防災拠点の運営マニュアル」
FEMA(米連邦緊急事態管理庁)災害対応計画文書、2020
田中淳「防災タイムラインの理論と実践」日本災害情報学会誌, 2019年

第11節 指定緊急避難場所と指定避難所の違い

  1. 指定緊急避難場所とは何か
    指定緊急避難場所とは、災害が起こったときに、生命を守るために一時的に避難する場所です。
    特に、津波、洪水、土砂災害、火災など、命に関わる危険からすぐに逃れるために設けられます。
    この指定緊急避難場所も、災害対策基本法に基づいて市町村があらかじめ指定することが義務づけられています。
  2. 災害対策基本法における位置づけ
    災害対策基本法では、住民の安全を確保するため、市町村が次の二つを定めることとしています。
    指定緊急避難場所(いのちを守るために避難する場所)
    指定避難所(避難生活を送るための場所)
    【条文要旨】
    第49条第1項・第2項
     市町村長は、災害の危険から住民等の生命を保護するために必要があると認めるときは、
     避難場所(緊急避難場所)および避難所を指定しなければならない。
    ここでいう「避難場所」とは、特に「指定緊急避難場所」を指します。
    指定緊急避難場所は、直ちに生命を守るために避難する場所。
    指定の際には、災害種別(津波、洪水、土砂災害、火災など)ごとに指定することが求められています。
    つまり、すべての災害に対して共通の避難場所があるわけではなく、
    災害の種類によって逃げる場所が違う場合があるのです。
  3. 指定避難所との違い
    最初に逃げ込むのが「指定緊急避難場所」。
    生活のために滞在するのが「指定避難所」。
    この違いをしっかり理解しておくことが、正しい避難行動につながります。
    法的背景と注意点
    災害対策基本法により、両方の場所はあらかじめ市町村が指定し、地域住民に周知することが義務づけられています。
    また、2021年の法改正により、避難情報も「避難指示」に一本化され、
    「緊急避難場所への避難」と「避難所での生活」の役割区分がさらに重視されるようになりました。
    さらに、

    【参考例】横浜市地域防災拠点運営の仕組み
    第12節 地域防災拠点運営委員会と三者連携による避難所運営
    横浜市では、横浜市震災対策条例(平成8年条例第16号)により、大規模災害時の住民支援を行うため、地域ごとに地域防災拠点運営委員会が組織されています。
    地域防災拠点とは、主に市立学校施設を活用した避難所機能を持つ場所であり、災害時には地域住民が主体となって開設・運営します。
    この拠点の運営は、地域防災拠点運営委員会を中心に行われ、行政(区役所)、学校(教職員)などがこれを支援する仕組みとなっています。
    つまり、避難所運営の主役はあくまで地域住民であり、学校職員は支援役に位置づけられています。
    (1)運営主体は地域防災拠点運営委員会
    地域防災拠点運営委員会は、地域の町内会・自治会、自主防災組織、民生委員、福祉関係団体などによって構成され、
    災害発生時には拠点の開設、避難者の受け入れ、生活環境の整備などの中心的役割を担います。
    日頃から避難所運営訓練や備蓄品の管理、運営マニュアルの点検・改善活動を行っています。
    (2)三者連携の体制
    避難所運営は、次のような三者の連携によって進められます。
    特に学校職員は、まず児童・生徒の安全を最優先に確保し、組織的に同時並行して施設の安全確認や避難スペースの開設支援を行います。
    運営委員会からの要請に応じ、学校施設を使った避難スペース確保や設備管理の支援などにあたります。
    (3)条例が求める「共助」の理念
    横浜市震災対策条例は、次のような基本理念を掲げています。
    自助(自らの命を守る)
    共助(地域で助け合う)
    公助(行政が支援する)
    このうち、地域防災拠点の運営は「共助」の実践例とされ、住民自らが主導し、行政と学校がこれを力強く支援する構成になっています。
    この体制により、行政支援が届くまでの初動期においても、地域全体で避難者を受け入れ、命を守る活動ができるのです。

    第13節 防災単位としての町内会の歴史
    ――変わる地域のカタチと共助のしくみ
    ■ 1. 江戸時代の町人組織と防火体制
    江戸の町は「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、火災の多い都市でした。そこで住民たちは、自分たちの町を守るための仕組みを作っていました。
    ◉ 町内と町火消(まちびけし)
    江戸の町人地(庶民の住む区域)では、「町内」と呼ばれる区域に分かれて暮らしており、それぞれに町名主(まちのなぬし)がいて、秩序を守っていました。火事に備えては、「いろは四十八組」と呼ばれる町火消(まちびけし)が結成され、地域で協力して火を消していたのです。
    ◉ 五人組(ごにんぐみ)
    また、住民5軒で1組になって互いの生活を見守り合う「五人組」もありました。これは今で言えば、災害時に安否確認をするような「近隣関係の仕組み」とも言えるでしょう。
    ■ 2. 明治時代の近代化と町内組織のあいまい化
    明治になると、中央集権の国づくりが進み、江戸時代の町名主制度や町火消は廃止され、近代消防や行政制度に置き換えられました。しかし、地域の住民組織としての「町内」は制度的にはあいまいな存在となり、住民同士の助け合いの仕組みも次第に弱まっていきました。
    ■ 3. 関東大震災で注目された地域の力
    1923年、関東大震災が東京・横浜を襲い、多くの命と家を奪いました。その中で、神田神保町の住民たちが自ら連携して延焼を食い止めたという事例が大きく報道され、「地域の助け合いが人の命を守る」という考え方が再び注目されました。
    ■ 4. 後藤新平の復興政策と町内会の制度化
    震災後、復興を指揮した後藤新平は、「町単位で地域を守り、復興を進める」という方針を掲げました。これをきっかけに、各地で町内会が整備されていきました。これが、今につながる自治会・町内会のルーツです。
    ■ 5. 戦時中の町内会と隣組
    1930年代以降、町内会は政府の方針で全国に広がり、「隣組(となりぐみ)」という組織も導入されました。これは、空襲への備えや物資の配給、住民の監視などを担う戦時色の強い防空組織となりました。町内会は、国民統制の末端組織として利用されていたのです。
    ■ 6. 戦後の解体と再出発
    戦後、GHQ(連合国軍総司令部、マッカーサー)の命令により、町内会と隣組は「非民主的な組織」として解体されました。しかし、地域の暮らしのなかで再び必要とされ、1950年代以降は「任意の地縁組織」として各地で復活していきました。これが現在の自治会・町内会です。
    ■ 7. 町内会の限界と課題
    しかし現在、都市部では町内会の加入率は下がり続けています。高齢化により活動する人も減り、マンション住民の多くが自治会に参加していないという課題もあります。大都市では、すでに町内会を防災の基礎単位とすることに限界があるのです。
    ■ 8. 新たな地区防災のかたちへ
    そこでいま私が提唱しているのが、文教地区単位の新しい防災共助の仕組み」です。
    例えば、公立小学校を拠点とし、地域包括支援センター(高齢者福祉の窓口)と連携し、住民・マンション・私立学校・地域事業者などが協力して防災体制をつくるモデルが考えられます。これは、「学区包括連携型防災福祉共助モデル」であり、都市型の新しい地域防災の形として私は提案します。
    ■ 9. これからの「地区」とは?
    災害は、行政だけではすべてを守れません。かといって、昔のような「ご近所付き合い」も難しい時代です。だからこそ、地域のしくみを未来の社会に合わせてつくり直すことが必要です。
    防災とは、過去を学び、今を知り、未来をつくることでもあるのです。

    第14節 マンションの防災
    ―集住時代の「自助」と「共助」地域との連携を考える―
    日本の都市に住む人々の多くは、いまやマンション(集合住宅)に暮らしています。たとえば、私がかつて校長を務めていた横浜市の小学校では、児童の半数以上がマンション住民でした。都市部では、マンションが「住まいの標準」となっているといっても過言ではありません。
    ■ マンション防災の出発点――阪神・淡路大震災の衝撃
    1995年の阪神・淡路大震災では、多くのマンションが被災しました。特に旧耐震基準(1981年以前)の建物や、適切に管理されていなかった建物では、全壊・半壊が多数発生し、大きな課題として浮かび上がりました。それは、戸建て住宅と異なり、「共同で所有し、共同で管理する」という法制度のもとで成立しているマンション特有の事情が背景にあります。
    戦後、日本で急速に広がったマンションは、区分所有法やマンション管理適正化法などの法律に基づいて「管理組合」が建物の維持管理や防災の責任を担うというしくみです。しかし、管理不全や住民の高齢化・意識の乖離が進む中で、防災面での脆弱性が深刻化してきました。
    筆者は、1994年に開設した新築マンションに入居。初代理事長となっており、1995年の阪神淡路大震災で被害を受けたマンションの困窮を知る中で、マンション防災を推進。以来、30年以上にわたり、防災委員会を運営してきました。
    ■ 住民の意識と地域との分断
    災害時において、マンション住民の課題は物理的なものだけではありません。避難所への殺到や、地域との連携の希薄さも問題視されています。例えば、自宅が比較的無事であるにもかかわらず、多数のマンション住民が避難所に避難することで、地域全体の防災力に影響を与えるケースもあります。
    ■ タワーマンションの浸水の教訓
    2019年の台風19号(令和元年東日本台風)では、川崎市・溝の口にあるタワーマンションで内水氾濫による地下設備の水没が発生し、長期停電とエレベーター停止によって住民の生活が著しく困難となりました。このケースでは、近代的設備を持つマンションでの防災の課題が社会的に議論されるきっかけとなりました。
    ■ 行政の制度整備とこれからの方向性
    このような背景を受けて、東京都は2022年度より、管理不全の防止と防災強化を目的とした「マンション管理計画認定制度」を開始しました。また、災害時に自宅に「とどまる」選択肢を可能にするための条件を満たす「とどまるマンション認定制度」も導入されつつあります。
    さらに、横浜市では、先駆的に「防災力向上マンション認定制度」を実施しています。この制度では、地区防災計画を上回る防災体制を整えたマンションを認定し、地域と連携した防災体制の構築を促しています。認定要件には、防災訓練や住民全体の安否確認体制、備蓄の整備などが含まれています。
    ■ 「集住社会」の防災力を高めるには
    マンションは一つの「小さな社会」です。地震や台風などの災害において、建物の強さだけでなく、住民同士の助け合いや地域とのつながりが不可欠です。特にこれからの防災政策では、「マンション=地域の一員」として捉える発想が求められています。
    防災庁が創設される今こそ、マンション防災を全国規模で制度化し、「防災力認定制度」や「地区防災マニュアルとの接続」を強化することが重要です。都市部でマンションに住む多くの人々が、「いざという時、誰とどう動くのか」を考えられるような制度と教育が必要です。
    参考文献・引用
    国土交通省「マンション管理計画認定制度ハンドブック」2022年
    東京都都市整備局「とどまるマンションガイドライン」2023年
    横浜市建築局「防災力向上マンション認定制度」2024年
    内閣府「阪神・淡路大震災の教訓と今後の耐震対策」
    朝日新聞デジタル「タワマンに内水氾濫 台風19号で被災した溝の口の記録」2019年

    第15節 事業所職員として災害に向き合う
    ― 自分の命、他人の命、そして社会を守る力 ―
    私達は家にいるときは、家庭の一員であり、その地区の一員です。また、社会人として勤務しているときは、その事業所の一員として、消防法のもとに火災、地震に対応し、顧客、通所者への責任と、事業所がある地区の安全へ貢献する責任があるのではないでしょうか。
    ■ 職業人として、災害と向き合うとき
    東日本大震災が発生したのは、2011年3月11日(金)午後2時46分。
     多くの人が学校や職場、商業施設などで日常の業務や活動をしている時間帯でした。東京都心でも震度5強の揺れが観測され、公共交通が麻痺し、多くの帰宅困難者が発生しました。
    災害は、日常の延長線上にある非日常です。
     つまり、私たちは日頃の立場――生徒として、顧客として、あるいは職員として災害に直面することになります。
    職種や役職によって、果たすべき責務も異なります。
     日頃からそれを意識し、想定しておくことが命を守る鍵になるのです。
    ■ 一職員としての災害対応責任
    たとえば、あなたがある職場の一員だったとします。
     そのとき災害が発生すれば、ただ「自分が逃げる」だけでは不十分です。消防法では、職場の構成員は火災や災害の拡大を防止する義務を負っています。
    災害時には、あらかじめ定められた自衛消防組織の一員として、次のような活動に従事することが求められます。
    通報(119番、社内放送)
    初期消火(消火器・消火栓の使用)
    避難誘導(顧客・来訪者の誘導)
    救護(負傷者の手当て)
    これらは決して消防隊や管理職だけの責任ではなく、一人ひとりの職員が担うべき「公共の責務」です。

    ■ 顧客を守るか、シャッターを下ろすか――判断が問われた事例
    同じ首都圏で、東日本大震災に対応した二つの事例があります。
    千葉県の東京ディズニーランドでは、施設職員たちがマニュアルに従って迅速にゲストの安全確保を行い、トイレやレストランを一晩開放して宿泊を受け入れました。その姿勢は社会から高く評価されました。
    一方、JR東日本の一部駅では、駅員が構内のシャッターを下ろし、利用客を駅の外に出すという対応が取られました。寒空の下に放り出された利用者の安全は確保されず、社会的に批判を受け、当時の石原東京都知事からも厳しく叱責されました。
    この違いは、「顧客の保護を職員の責務ととらえていたかどうか」の違いにあります。
    東日本大震災(2011年3月11日)発生当時、JR東日本が駅構内から顧客を締め出した対応については、以下のような経緯と背景があります。

    第16節 災害と社会の責任 ―― 公共インフラ・事業所の使命とは
    ◆ 東日本大震災と駅からの締め出し――公共インフラが果たすべき責任
    【実例1】2011年3月11日、東日本大震災が発生した直後、JR東日本をはじめとする首都圏の鉄道各社は、安全確認のために全線運転を停止しました。
    この判断自体は、乗客の命を守るために当然の措置でしたが、その後に起きたある対応が、多くの市民に衝撃を与えることになります。
    それは、駅構内に滞留しようとする人々を、改札の外に締め出したという対応です。
    雨や寒さの中、駅の外に放り出された人々は、徒歩で帰宅する手段もなく、
    駅前や沿道で立ち尽くすほかありませんでした。
    背景・理由
    駅施設の耐震点検・構造物確認が完了していない状態だった
    地震直後は構造物の安全が未確認だったため、駅構内の安全が担保できないとして、一時的に閉鎖。
    余震リスクへの対応
    首都圏では震度5強以上の揺れが続いており、「駅の屋根・照明等の落下物や天井崩落」への懸念もあり、構内に人を留めることを避けた。
    乗客の安全確保に関するマニュアル未整備
    JR東日本を含む多くの交通機関では、「帰宅困難者の駅内滞留」に対する明確な受け入れ体制や基準がなかった。
    東日本大震災以前、こうした事態を想定した計画は不十分であったと、後の国土交通省・内閣府の検証でも指摘された。
    他交通事業者との連携・都の方針も未統一
    東京都が「一斉帰宅抑制」を訴え始めたのは、震災後の数時間が経ってからで、JRなど各社との調整が間に合わず。
    ◆ 石原慎太郎都知事の厳しい批判
    この対応に対し、当時の東京都知事であった石原慎太郎氏は、記者会見の場で次のように強く非難しました。
    「駅から人を追い出すのは非道だ。あれが“安全第一”だというなら、
    安全というものを履き違えている。雨と寒さの中に放り出された市民の命をどう考えるのか。」
    石原氏は、鉄道会社が「構内の安全が確認できていない」という理由で乗客を屋外に出したことについて、それがかえって大勢の人命を危険にさらす行為になっていたと批判しました。
    また、都が以前から提唱していた「帰宅困難者対策」に、
    JRや他の交通事業者が十分に向き合ってこなかったことも問題視しました。
    「都は10年以上前から帰宅困難者の問題を訴えていた。
    民間インフラであっても、災害時には“公の責任”を果たす義務がある。」
    この発言は、単なる感情論ではありません。
    災害時における「企業の社会的責任(CSR)」や、「公共インフラとしての機能と使命」を問い直すものだったのです。
    ◆ 東京都の「一斉帰宅抑制」方針とその後の変化
    東日本大震災の後、東京都は改めて「一斉帰宅抑制」を強く打ち出し、
    企業や学校に対し、3日間程度は従業員・生徒・来訪者を建物内にとどめられる備えを求めました。
    これを受け、JRや東京メトロなどの交通事業者も駅構内に一時滞留スペースや備蓄物資の整備を進めるようになりました。
    同様に、都内の大手企業・大学・病院・商業施設も、「災害時の滞留受け入れ計画」の策定を義務づけられるようになったのです。

    【事例2】東京ディズニーランドは、なぜ「模範的対応」と評価されたのか
    ◆ 「おもてなし」の遊園地が、災害時には「命を守る場所」になった
    2011年3月11日、東日本大震災が発生したそのとき、
    千葉県浦安市の東京ディズニーランドには、約7万人の来園者が滞在していました。
    震度5強の大きな揺れに見舞われた園内では、アトラクションがすべて自動停止し、
    一時的に園内は騒然としました。
    しかし、その後に見られたキャスト(従業員)たちの行動は、まさに防災対応の手本となるものでした。
    ◆ 想定外ではなかった――日頃の訓練が「正しい初動」を生んだ
    東京ディズニーランドでは、「東京ディズニーリゾート地震対策基本計画」に基づき、
    年間180回以上の防災訓練を実施しています。
    それも、単なる避難訓練ではありません。
    震度6の大地震を想定した訓練
    来園者10万人規模の滞留対応
    従業員全員が行動指針を暗記している
    など、「想定外」を想定する訓練が、日常的に行われていました。
    さらに全キャストが共有する行動規範「SCSE」――
    Safety(安全)、Courtesy(礼儀)、Show(演出)、Efficiency(効率)――の中でも、
    「Safety:命を最優先する」という原則が、すべての行動の基本とされています。
    この文化と準備が、いざというときに真価を発揮したのです。
    ◆ 震災当日の対応――現場で何が行われたのか
    震災発生後、東京ディズニーランドでは以下のような行動がとられました。
    アトラクションから来園者を安全な場所へ迅速に避難誘導
    園内に備蓄された非常食・飲料水・毛布・雨具を提供
    店舗の商品も無償提供し、必要な人に分配
    屋外にとどまる来園者に対し、安心を与える声かけ・笑顔・説明
    園内の安全確認が済んだ施設を避難所として開放
    夜間のトイレ・照明・暖房設備の使用確保
    高齢者・妊婦・子どもへの個別対応
    中には、キャストが「安全の妖精」として振る舞い、
    不安そうな子どもや家族に寄り添い続けたというエピソードも多く語られました。
    これらの対応は、決してマニュアルのみによるものではなく、
    「お客様を守る」という信念をもった一人ひとりの判断と行動が支えていたのです。
    ◆ 他の事業所との対比――“閉じた駅”と“開かれたテーマパーク”
    同じ震災当日、JR東日本をはじめとする首都圏の鉄道では、駅施設の安全確認を理由に、
    駅構内から利用者を締め出す対応がとられました。
    それに対し、東京ディズニーランドでは、
    「安全な場所を提供する責任がある」として、避難所としての役割を即時に担ったのです。
    この違いは、「民間企業が災害時にどのように“公的使命”を果たすか」を象徴的に表しています。
    ◆ 社会的影響と評価
    この一連の対応は、震災後すぐにSNSやメディアを通じて広まり、
    「東京ディズニーランドの危機対応は世界に誇れるものだ」として、
    国内外から高く評価されました。
    また、この事例は多くの企業・自治体・教育機関にとって、
    防災対策を見直す契機となり、
    「いざという時に自分たちはどうするのか」という問いを社会全体に投げかけました。
    ◆ まとめ:日常の“おもてなし”は、非常時の“命を守る力”になる
    災害はいつ起こるかわかりません。
    しかし、災害への備えは、「日頃から行動に落とし込まれているか」で決まります。
    東京ディズニーランドの対応は、
    単なる奇跡ではなく、理念・訓練・判断・行動の積み重ねによって成り立っていたのです。
    「安全は最優先、そして行動は“お客様の命のため”」
    ――この考え方は、すべての事業所・施設・学校に共通するものです。
    災害時、あなたの職場・施設は、
    「人を守る場所」として機能する準備ができているでしょうか?
    【参考】
    株式会社オリエンタルランド「東京ディズニーリゾート地震対策基本計画」
    内閣府『帰宅困難者対策の手引き』
    NHK報道特集「ディズニーランド“震災の一夜”に何が」
    経済産業省『企業のBCPと災害対応』事例集より

    第17節 災害と組織の責任
    【実例3】JAL客室乗務員の奇跡の脱出劇――命を守る組織文化と訓練
    ◆ 事故とともに「安全文化」が試された日
    2025年1月2日、羽田空港で発生した日本航空(JAL)516便と海上保安庁機の衝突事故。
    新千歳発のJAL516便(A350型機)が着陸直後、滑走路上にいた海上保安庁の機体と衝突し、炎上しました。
    このとき、JAL機には乗客367人と乗員12人、計379人が搭乗していました。
    機体は火に包まれ、機内照明もアナウンスシステムも失われましたが、
    客室乗務員(CA)たちの冷静で迅速な行動により、全員が約10分で無事脱出を果たしました。
    ◆ アナウンス不能、炎上する機体――そのとき何が行われたのか
    事故発生後、JAL516便の機内は以下のような状況に陥っていました。
    火災と煙が急速に機内へ
    機内照明、アナウンスシステムが機能停止
    一部の非常口が使用不能に
    乗客のパニックと混乱が想定される状況
    こうした中で、客室乗務員たちはメガホンや肉声を使って脱出を指示し、
    火災の拡大が迫る中、的確な判断と統制された動きで全員を非常口から脱出させました。
    しかも、乗客に大きな混乱や暴動的行動が起きなかったことも注目されています。
    それは、案内と行動が「信頼を生むものだった」からです。
    ◆ 背景にある「JALの安全文化」
    この“奇跡の脱出”は、偶然ではありません。
    JALは、1985年の日本航空123便墜落事故という痛ましい経験を機に、
    企業全体で安全文化の構築と再教育に本気で取り組んできました。
    2006年設立の「安全啓発センター」では、123便事故の遺品や記録を展示し、全社員が命の重みを学びます。
    「SCM(Safety・Courtesy・Morality)」を核とした研修制度では、非常時の判断力を磨きます。
    「現地・現物・現人」主義として、現場・資料・証言に基づいて安全を体感的に理解させる訓練が行われています。
    このような日々の積み重ねが、客室乗務員の行動の基盤となり、
    いざという時に命を守る力へと変わったのです。
    ◆ 組織として「命を最優先する」ことの証明
    JALの事例は、「民間企業が防災の最前線で命を守る」ことを証明しました。
    この対応が高く評価されたのは、以下の点においてです。
    危機的状況下でも、「命の優先順位」が全員に共有されていた
    非常時マニュアルに依存しすぎず、「現場判断を尊重する風土」があった
    平時から訓練と学習を繰り返す、「生きた防災文化」が根づいていた
    これはすべての事業所に共通する問いでもあります。
    「災害時に、あなたの組織は“人を守る組織”でいられるか?」
    ◆ 教訓として私たちが学ぶこと
    この事故は、航空安全の技術的問題だけでなく、
    組織の心構えと文化が命を分けることを、私たちに突きつけました。
    たとえ予想外の事態であっても、
    日頃から命の重みを学び、備えている組織には、
    人を導く力があります。
    企業や学校、施設、行政――
    すべての事業体において、
    「安全のための訓練」は、“形式”ではなく“文化”として存在すべきなのです。
    第18節 職場で守れなかった命から学ぶ
    〜東日本大震災と地区防災計画の課題〜
    ◆ 「屋上なら安全」と思い込んだ悲劇
    2011年3月11日、東北地方を襲った東日本大震災では、多くの命が津波によって奪われました。その中には、業務中だった銀行職員や病院職員も含まれていました。
    宮城県女川町にある七十七銀行女川支店では、地震発生直後に職員13人が屋上に避難しました。支店の屋上は地上から約13メートル。これまでの想定では「屋上まで避難すれば助かる」とされていました。ところが、実際に襲来した津波はその高さを大きく上回り、職員12人が犠牲となったのです(1名のみ救出)。
    なぜ、助からなかったのでしょうか。報道や遺族の調査によると、以下のような構造的な課題が浮かび上がってきます。
    安全と信じた屋上が、実は安全ではなかった
    避難先の選択肢が地域内で共有されていなかった
    職場単位での避難判断が、周囲の情報と連携していなかった
    つまり、個別の職場や施設での避難判断が、地域防災との「共通理解」に基づいていなかったということです。
    ◆ 防災塾・だるまの提言:防災地区の一律指定と地区防災計画
    こうした悲劇を繰り返さないために、私たち「防災塾・だるま」では、防災庁創設の動きと並行して、次のような制度改革を提言しています。
    全国一律で防災地区(地理的単位)を指定すること
    公立小中学校の学区など、地域の人が行動単位として共有しやすい枠組みで指定します。
    その防災地区ごとに、地区防災計画を策定・実行すること
    災害対策基本法に基づき、「一定の地域に属する住民・事業所が協議し計画を定める」ことが制度化されています(第42条)。
    しかし現状では、任意かつ不十分な取り組みにとどまっているのが実態です。
    地区防災会議の定例化と訓練を制度化すること
    避難場所、避難のタイミング、避難手段の共通理解を、住民・学校・事業所・医療機関が一緒になって確認する機会を定期的に持つことが求められます。
    ◆ 命を守るためには「共通理解」が必要です
    銀行や病院で起きたような悲劇は、「事業所内だけで完結する避難判断」では防げません。災害は地域全体に及ぶからこそ、個別の判断が「地域全体の計画」と結びついていなければ意味をなさないのです。
    どの施設が、どのタイミングで、どこへ避難するか
    その判断の基準を、地域の誰もが共有しているか
    これが、防災地区と地区防災計画によってはじめて可能になります。私たちは今こそ、制度としての「共助」を実現し、命を守る文化を築く必要があると考えています。
    引用・参考文献
    朝日新聞デジタル「屋上へ避難した息子は津波に 両親が語り継ぐ企業防災」
     https://www.asahi.com/special/10005/TKY201209080609.html
    リスク対策.com「なぜ女川支店では13人のうち12人が亡くなったのか」
     https://www.risktaisaku.com/articles/-/919
    国士舘大学 防災・救急救助総合研究 第10号

    第19節 災害時にも「会社は社会の一員」です~BCPで命と事業と社会を守る~
    ◆ 「非常時も止めない」という責任大地震や大規模風水害が発生したとき、企業や事業所にはふたつの責任が生じます。
    一つは、従業員とその家族の命を守ること。
    もう一つは、事業をできるかぎり早く再開し、社会に対して果たすべき役割を継続することです。
    そのために今、すべての企業や施設に求められているのが、「BCP(Business Continuity Plan)=事業継続計画」です。
    ◆ BCPとは何か?
    BCPとは、災害や感染症、テロ攻撃などの緊急事態が起きたときでも、事業の中断を最小限にとどめ、重要な業務を可能な限り継続させるための計画です。
    🔹【主な目的】
    従業員・利用者の安全確保
    重要な業務の早期再開
    顧客・取引先・社会に対する責任の遂行
    風評被害や信用喪失のリスク低減
    ◆ BCPの理念と法的根拠
    BCPは単なる業務マニュアルではなく、「社会的責任を果たす」ことを目的とする経営の柱です。
    🔹【関連法令・制度】
    災害対策基本法(事業継続に向けた官民連携)
    経済産業省「事業継続ガイドライン(BCM策定指針)」
    国土強靱化基本法(企業の災害対応能力の強化)
    地方自治体によるBCP支援条例(例:東京都防災条例)
    これらは、企業が「事業を通じて社会インフラの一翼を担っている」存在であるという認識に立っています。
    ◆ BCPは「全社的」に考えるもの
    BCPは、経営者だけが考えるものではありません。すべての部署、すべての職員が「自分たちの役割を災害時にどう果たすか」を主体的に考える必要があります。
    【各部署で考えるべきことの例】
    ◆ BCPは「タイムライン化」する
    災害発生直後の数分・数時間・数日間に何をすべきかを時系列で整理することが、BCPの効果を大きく高めます。
    【タイムラインの例】
    この「時間軸で考える視点」が、訓練や意思決定の精度を大きく高めてくれます。
    ◆ 地域とともに生きる会社に
    BCPは「企業のため」だけの計画ではありません。地域社会の一員として、災害時にも社会の役に立つ存在であることを目指すのが、真のBCPです。
    たとえば──
    食料や水の備蓄を地域に提供できるよう体制を整える
    地域の避難所の一時開放を検討する
    高齢者や障がい者の一時受け入れを協議しておく
    社会インフラ(病院・物流など)と連携した支援計画を持つ
    BCPとは「会社を守ること」ではなく、「社会の一員としての責任を果たし続けること」。
    その理念の根底にあるのは、「命と暮らしを守る」意志にほかなりません。
    ◆ まとめ:「事業継続」は「命の継続」でもある
    災害が起きたとき、事業所の判断ひとつが、従業員と顧客の命を左右することがあります。
    だからこそ、「うちの会社は災害時に何を守り、何を続けるのか」を、平時から全員で考えておくことが重要です。
    BCPは防災の最前線です。
    私たちが働く場所を、「命を守る場所」として準備しておくこと。
    それこそが、社会科として学ぶべき防災の本質です。
    第19節 災害時は「すぐ帰らない」が命を守る
    〜東京都の一斉帰宅抑制と私たちの協力〜
    ◆ 「家に帰る」が危険になる日
    2011年3月11日、金曜日の午後2時46分。
    東北地方太平洋沖を震源とする巨大地震が発生しました。地震の揺れは東京都心にも達し、多くの企業や学校、官公庁が緊急避難を行いました。
    このとき、都心では何が起きたのでしょうか?
    それは、交通機関が止まった都市に、人があふれ出すという未曾有の混乱でした。
    電車が止まり、バスが動かず、道路は人の波。多くの人が「とにかく家に帰ろう」と歩き出しました。
    しかし、この行動には大きな問題があります。
    緊急車両の通行を妨げてしまう
    倒壊物、火災、転倒などに巻き込まれる危険がある
    無秩序な帰宅行動が、さらなる二次被害を引き起こす
    「命を守るために帰ろう」と思って取った行動が、命を危険にさらす結果になる。
    それが、大都市での災害の難しさなのです。
    ◆ 「一斉帰宅抑制」という新しい防災ルール
    こうした教訓から、東京都では2013年に「東京都帰宅困難者対策条例」を施行しました。
    この条例では、企業や公共施設に対して、「災害直後に職員や利用者を一斉に帰宅させないようにする」こと、つまり一斉帰宅の抑制を求めています。
    🔹条例の要点:
    発災直後の72時間(3日間)程度は施設内に留める体制をつくる
    備蓄や安否確認の仕組みを整える
    やむを得ず帰宅する場合は、安全を確認してから段階的に行う
    これにより、都市全体の安全と秩序を守ることが最優先されるようになったのです。
    ◆ 家族がすぐに迎えに来られないという現実
    この方針は、都心で働く保護者をもつ家庭にとって、重要な意味をもちます。
    たとえば、東京近郊の小学校や放課後児童クラブでは、次のような事態が起こり得ます。
    保護者が都心から帰宅できない(最長3日程度)
    子どもは学校や施設に「宿泊する」可能性がある
    職員や地域の支援で、安全と生活が確保される
    そのため、学校や施設では「宿泊を前提とした訓練」や、「3日分の水・食料・毛布の備蓄」などが必要とされています。
    保護者の側でも、「すぐに迎えに行けないこと」を前提に、
    連絡手段の確認(災害伝言ダイヤルやSNS)
    子どもとの事前の話し合い
    家庭の防災カードの作成
    などの備えが求められています。
    ◆ いま求められる「帰宅しない勇気」
    災害時、私たちがすぐに帰宅しないことは、
    自分を守ること
    子どもを守ること
    地域と社会全体を守ること
    につながります。
    そして、これは個人の判断ではなく、社会全体のルールとして共有されることが大切です。
    企業も、学校も、自治体も、家庭も、「一斉に帰らない」という方針を理解し、
    それを支える準備をしていくことが、これからの都市防災には不可欠です。
    ◆ まとめ:「動かないこと」が防災になる社会へ
    私たちはこれまで、「災害が起きたらすぐに帰る」「子どもを迎えに行く」という行動を当たり前だと考えてきました。
    でも、東京のような大都市では、むしろ「動かないこと」「迎えに行かないこと」が命を守る行動になることがあるのです。
    だからこそ──
    企業には、一時待機の備蓄と支援体制を
    学校や施設には、宿泊想定と職員訓練を
    家庭には、「離れていても信頼できる」準備を
    私たちは、「帰らない」という新しい防災のかたちを、社会全体で共有し、支え合う時代に生きています。
    一人ひとりの理解と行動が、都市の命を守る力になるのです。
    引用・参考資料
    東京都「帰宅困難者対策条例」概要
     https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/taisaku/torikumi/1001093/index.html
    東京都防災会議「大規模災害時の帰宅困難者対策」
     https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/taisaku/torikumi/1001223.html
    内閣府「災害時における学校の役割と家庭との連携」
    東日本大震災を踏まえた通勤通学時の災害対応報告書
    防災と経済 〜くらし・しごと・社会を守るお金の話〜
    ◆ 災害は「命」だけでなく「経済」も奪う
    地震や台風のあと、ニュースでは「全壊○棟」「死者○人」といった数字が報道されます。
    でも実際には、もっと多くの人が「家を失った」「仕事が止まった」「お金がなくなった」と苦しんでいます。
    災害は、建物や命だけでなく、暮らしと経済を根こそぎ奪ってしまうのです。
    ◆ 災害後の生活を立て直すお金と制度
    災害で家が壊れてしまったとき、多くの人は貯金だけでは足りません。
    そこで国や自治体は、「被災者生活再建支援金」や「災害援護資金」などの制度で、最大300万円までを支援しています。
    また、医療費や税金の免除、電気・ガスの支払い猶予など、被災者を支える制度は多数あります。
    でも、それらを知らないと使えません。
    「制度を知り、相談し、申請すること」が、生活再建の第一歩です。
    ◆ 仕事や産業への影響も深刻です
    災害で道路が壊れたり、電気や水道が止まると、工場やお店は営業できなくなります。
    物流も止まり、全国のスーパーの棚から食品が消えることもあります。
    たとえば、東日本大震災のときには、自動車部品の工場が止まったことで、関西や九州の自動車会社まで止まりました。
    これは「サプライチェーン(供給のつながり)」の影響です。
    災害は、一つの地域だけでなく、日本全体の経済を揺るがすのです。
    ◆ 会社やお店を守るために:BCP(事業継続計画)
    最近では、多くの企業が「災害が起きてもなるべく早く営業を再開する」ための計画を立てています。
    これをBCP(Business Continuity Plan)=事業継続計画といいます。
    社員の安否確認の方法、データのバックアップ、代替拠点の準備など、会社を守るだけでなく、お客さんや地域も守る計画です。
    BCPは「経済の自助」とも言える防災の力です。
    第20節 「経済的な備え」としての防災
    家庭でできる「経済的な備え」としての防災
    3日分の食料と水を家族分備蓄する(目安:1人1日3リットル×3日=9リットル)
    家具の固定、防災グッズの購入、非常持ち出し袋の準備
    地震保険や共済など、「備えあれば憂いなし」の制度活用
    こうした備えにはお金がかかりますが、被災後の出費に比べればずっと安く、安心を買うことができます。
    ◆ 復興にもお金がかかる。でも、支える仕組みがある
    東日本大震災では、国と自治体で総額30兆円以上の復興費用がかかりました。
    このお金は、私たちが納めた税金や、ふるさと納税、義援金などでまかなわれています。
    また、「復興特別所得税」というかたちで、今も私たちは被災地の支援を続けています。
    つまり、災害の復興は“みんなで支え合う”仕組みで進められているのです。
    ◆ 防災と経済を未来につなぐために
    いま、「防災産業」という新しい分野も注目されています。
    災害時用の食品やトイレの開発
    避難所の運営アプリ
    防災教育をする企業やNPO
    防災は、命を守るだけでなく、未来の仕事にもつながる分野です。
    子どもたちが学ぶ防災は、将来、社会全体の防災力を育てる投資でもあるのです。
    ◆ まとめ:経済から防災を考えると、備えの意味が見えてくる
    災害から暮らしを守るには、「備える」「知る」「支え合う」という行動が欠かせません。
    それは、家計や地域、企業や国が、それぞれの立場で責任を持ち、連携することで実現します。
    「防災=経済」という視点を持つことが、
    命を守る社会をつくる“次の一歩”になるのです。

    第21節 防災庁の誕生と、わたしたちの声
    ~現場からの提言~
    ◆ 防災庁、ついに誕生!
    2024年、日本の防災政策は大きな転換点を迎えました。
    石破政権の発足とともに、かねてより石破茂首相が提唱していた「防災庁の創設」が、ついに現実のものとなったのです。
    これまで、防災に関わる仕事は内閣府、国交省、文科省、環境省など、さまざまな省庁に分かれており、大きな災害のたびに「どこが指揮をとるのか」が曖昧になることもありました。
    だからこそ、ひとつの司令塔としての防災庁には、
    「災害が起きる前から、起きたあとまで、切れ目のない防災体制を築く」
    という大きな期待が寄せられています。
    ◆ 防災塾・だるまからの提言
    こうした動きを受け、各地で防災に取り組む人々の中にも、「ようやく!」という声が広がりました。
    そのひとつが、私たち「防災塾・だるま」です。
    災害現場を経験したボランティア、防災教育に携わる教員、行政に提言を重ねてきた実践者たち──。
    私たちは、防災庁の創設に際し、現場で見てきた課題、乗り越えてきた経験、そして未来への提案をひとつにまとめました。
    その柱は、国(公助)のリーダーシップと実効的な支援システム強化と、全国一律防災地区指定(共助)単位明確化によるボトムアップの防災力力アップ、その循環による個人、家庭等の自助力醸成です。
    ◆ 提言1:国のリーダーシップで「公助」を再構築
    「災害対策は自治体まかせ」
    そう言われてきた日本の防災行政に、私たちは疑問を持ち続けてきました。
    提言では、防災庁が国の統括機関として、法律の実施状況を監督し、地方に的確な支援ができる体制づくりを求めました。
    例えば、要支援者の避難支援、学校と地域の連携、耐震化の指導──
    法律はあっても、それを日常で実現できる仕組みが必要なのです。
    ◆ 提言2:「防災地区」の全国一律指定が生み出す防災コミュニティ
    地域の防災力に差があっていいはずがありません。
    私たちは、すべての市町村に「防災地区」の指定を義務化し、
    その地区ごとに、学校・医療機関・住民・消防団・事業者が参加する「地区防災会議」を開き、計画と訓練を行うことを提案しました。
    この計画には、災害リスク・避難行動・役割分担・復興計画までを盛り込み、
    「防災教育」としても学校で活用できる内容にするのです。
    ◆ 提言3:地区防災コミュニティが育てる「自助」
    災害はミクロには、自宅が被害を受ける、人命が失われるなど、家庭や個人のレベルで起きます。防災意識の向上が叫ばれ、避難場所や避難行動、耐震化の備えなどの防災知識の徹底が求められますが、そうした教育は一定地区内に住んでいるか、そこにある事業所で働く人々が共通知識として日常から常識化していることが必要です。地震への備えが空白だった阪神淡路大震災、住民と学校の共通理解が未熟だったことが起こした大川小学校の悲劇や、釜石の悲劇で失われた尊い命の声なき声を生かしたいものです。
    また、自助の柱として、私たちは地盤の弱い地域を優先した耐震化を強く訴えました。
    建物の古さだけでなく、地盤の情報も含めて、見える化して備える社会へ。2000年以前の建物の耐震診断、地盤ハザードマップの高精度化、そして不動産取引時の地盤情報公開──
    「家を買う・住む」という行動に、命を守る視点を組み込むべきだと考えています。
    ◆ 提言4:大規模災害への備えは「人」が鍵
    被災地に駆けつける災害ボランティアや専門家。
    これらの人たちを、自衛隊の予備役のような「特別公務員」として登録し、平時から研修を行うこと。
    さらに、行政・住民・支援団体の橋渡し役となる「防災・復興コーディネーター」を育て、現場に配置すること。
    大規模災害では「物やお金」より先に、「人の連携」が命を左右するのです。
    ◆ 提言5:新しい時代のリスクにどう備えるか
    気候変動による豪雨、インフラの老朽化、感染症、原発リスク…。
    災害の形も、私たちの暮らしも、大きく変わってきました。
    だからこそ、防災庁には、「未来の災害」まで見据えた総合的な政策づくりが求められます。
    省庁を横断し、柔軟に連携しながら、“動ける行政”として機能する新しいかたちを、私たちは応援し続けます。
    ◆ おわりに:「市民の声」が、防災を変える力に
    私たち「防災塾・だるま」は、様々な専門家や地域防災の実践者。災害ボランティア経験者などの集まりです。現場を知っています。苦しんだ人の声を聞いてきました。だからこそ、私たちの提言には「現場のリアル」が詰まっています。
    防災庁は、これまでの制度の限界を乗り越える大きな一歩。でも、それを「本当に人を守る仕組み」にするためには、市民の声、現場の声が必要なのです。

    第5章 保健体育編
    命を守る知識・技能・行動を学ぶ 〜安全・応急・判断の力を育てる〜
    保健体育では、健康の保持と安全な生活、そして身体活動を通じた自己管理能力を育てます。防災教育では、「身を守る行動」「応急手当の技能」「命を守る判断力」を実践的に育てることが目的です。
    🔹 保健体育における防災教育の3つの目標
    1.災害時に自分と他者の命を守る行動を学ぶ
    地震、津波、火災、暴風など様々な災害時に、安全な姿勢や避難行動、危険回避の方法を身につけます。学校や家庭での避難訓練における行動理解が重要です。
    2.応急手当や救命処置の基礎を身につける
    けがをした人への止血・固定・搬送、AEDの使い方、心肺蘇生など、命をつなぐ技能と判断を養います。学校安全計画や防災訓練と連動した体験型学習が効果的です。
    3.心と体の備えを意識し、災害に強い生活習慣を育てる
    睡眠、食事、運動など日常の健康習慣が災害時の体力・判断力・回復力につながることを理解し、ストレス対処や心のケアにも触れていきます。
    防災は「知識」だけでなく、「体で覚える力」「命を守る勇気」を育てる実践教育です。保健体育は、防災教育の根幹を支える教科のひとつです。

第1節 日常的な災害への知識と対応 雷・竜巻から身を守る
● 雷のリスクと行動の判断基準
雷は、落雷による感電、火災、構造物破壊などの重大な災害を引き起こす可能性があります。特に屋外でのスポーツ活動や校外学習中は、雷への即応が命を守るうえで極めて重要です。
気象庁の「雷ナウキャスト」や天気予報アプリなどを活用することで、雷の接近をリアルタイムに把握できます。指導者や教員はこれらのツールを活用して、活動の可否を判断することが求められます。
● 判断の目安:「雷が鳴ったら、そこも危険」
雷鳴が聞こえる距離はおおよそ10〜15kmです。たとえ空が晴れていても、雷鳴が聞こえた時点で「すでに危険圏内」にいると考えるべきです。雷鳴が1回でも聞こえたら、速やかに屋内や車内など安全な場所に避難してください。
学校現場での判断ポイント:
雷注意報または雷ナウキャストにより警戒エリア内に入った場合、原則として屋外活動を中止する。
雷鳴が聞こえたら即時中断・避難を指示する。
体育授業・部活動では、開始前に天候・予報を確認し、天候の変化に応じて活動を柔軟に判断する。
● 安全な避難と危険な場所
避難先として適しているのは、鉄筋コンクリート造の建物、または金属車体に覆われた自動車内です。一方で、以下のような場所は危険です:
樹木の下や単独で高い場所
グラウンド中央部や金属製のフェンス付近
水辺、プール、山頂、建設中の建物など
● 姿勢を低く、安全確保を
避難が間に合わない場合は、金属類を身体から外し、しゃがんで両足をそろえ、地面に手をつけず頭を低く保つ姿勢をとります。グループでいる場合も、互いに距離を取りましょう。
● 学校・地域での備え
落雷事例や回避策を授業で共有する。
雷対策マニュアルを整備し、定期的に見直す。
保護者とも雷時対応を共有し、下校指導にも反映する。
● 下校途中の児童への防災教育
雷が発生しているときに児童が下校中である場合、その安全を守るためには事前の教育と地域との連携が不可欠です。
児童には「雷が鳴ったらすぐに近くの安全な建物に避難する」ことを繰り返し指導する。
地域の避難先として協力が得られる公共施設や商業施設をあらかじめ確認しておき、児童に共有しておく。
学校は気象情報を確認し、雷の恐れがある場合は下校時間の調整や、保護者による引き取りを検討する。
児童に配布する防災カードや連絡網に、「雷発生時の緊急避難先」として明記する。
「自分の身を守る行動」を事前に考えておくことが、雷からの命を守る大切な備えです。
落雷事例や回避策を授業で共有する。
雷対策マニュアルを整備し、定期的に見直す。
保護者とも雷時対応を共有し、下校指導にも反映する。
雷から身を守るためには、科学的根拠に基づいた「判断」と「行動」が不可欠です。学校やスポーツ指導現場では、安全を最優先にしたルールづくりと平時からの確認が命を守る鍵となります。
竜巻から身を守る
● 竜巻の特徴と発生の兆候
竜巻は、積乱雲の発達に伴って発生する強力な上昇気流と回転の組み合わせによって生じる局地的な突風現象です。建物の倒壊、車両の転倒、飛来物によるけがなど、非常に危険な災害です。竜巻は発生から被害までの時間が非常に短いため、早期の情報収集と素早い避難が鍵となります。
竜巻の前兆には次のようなものがあります:
空が急に暗くなる、緑がかった色になる
急激に気温が下がる
雹(ひょう)が降る、大粒の雨が降る
ゴーという異様な音がする
● 情報収集と「竜巻注意情報」
気象庁は、竜巻の発生可能性が高まると「竜巻注意情報」を発表します。スマートフォンの防災アプリや気象庁のサイトで情報をこまめに確認し、学校や地域でも職員が情報に基づき迅速に避難を指示できる体制が求められます。
● 命を守る避難行動
竜巻を視認したり、前兆を感じたら、直ちに屋内に避難する
頑丈な建物の窓から離れ、なるべく1階の窓のない部屋に移動する
扉や窓を閉め、カーテンを閉め、飛散を防ぐ
屋外では物陰に伏せ、頭部を保護する(ただし建物内避難が原則)
● 児童生徒への防災教育
授業で竜巻の映像や気象情報を用い、発生の仕組みや危険性を学ぶ
竜巻注意情報が発表された場合の学校対応(屋内待機や部活動中止)を共通認識にしておく
自宅や通学路での避難場所を事前に話し合っておく
「見たことのない雲」「黒い壁のような雲」「雹が降る」などの気象現象に注意を向けられるように指導する
竜巻も雷と同様、命を守るためには「気象に敏感になること」「すぐに行動できること」が求められます。家庭や学校、地域が一体となって対応できるよう、日ごろからの教育と連携が重要です。
引用・参考文献(追加)
気象庁「雷から身を守るには」https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kurashi/inazuma.html
気象庁「竜巻等の突風から身を守るには」https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/toppuu/kaisetsu.html
気象庁「雷ナウキャスト」「竜巻注意情報」サービスページ

第2節 もしも、ケガをしたら?
~いざという時に自分や人を守る「応急処置のキホン」~
地震のときも、普段の生活の中でも、ケガや体のトラブルは突然やってきます。
そのとき、パニックにならずに「まずどうするか」を知っておくことは、命や健康を守る防災力の第一歩です。
ここでは、日常で起きやすい5つの場面を取り上げ、それぞれの対処法をやさしく説明します。
◆ ① 切り傷ができた!
◉ 状況:
包丁で指を切ったり、地震後にガラス片で足を切ったりすることがあります。
◉ 対応方法:
水でしっかり洗う
 → ばい菌を洗い流します。石けんがあれば使ってOK。
血が出ていたらガーゼでおさえる
 → 清潔な布やティッシュでもOK。しっかり5分ほどおさえると止まりやすくなります。
止血できたら、清潔な絆創膏やガーゼで覆う
 → 家にある消毒液を軽く使ってもいいですが、やりすぎはNG。
※傷が深い、血が止まらないときは、すぐに医療機関へ!
◆ ② 打撲(ぶつけてしまった)
◉ 状況:
机に足をぶつけた、地震で転倒した、ドアに手を挟んだなど。
◉ 対応方法:
まず冷やす!
 → ビニール袋に氷や冷たい水を入れて、20分を目安に冷却。
 → 腫れを抑えるのがポイント!
安静にして様子を見る
 → 痛みがひどい、動かせない、内出血がひどい時は骨折の可能性もあるので、病院へ。
◆ ③ 目にゴミが入った!
◉ 状況:
ほこり、砂、まつげ、ガラスのかけらなどが目に入る。
◉ 対応方法:
こすらない!
 → こすると角膜(目の表面)を傷つけてしまうのでNG!
まぶたをめくって、流水で洗う
 → 水道水でOK。コップに水をためてそっと流すのもおすすめ。
取れないときは、すぐに眼科へ!
※金属片やガラス片などが入ったときは、絶対に自分で取ろうとせず、目を閉じて受診を!
◆ ④ やけどをした!
◉ 状況:
熱い飲み物やガスコンロ、アイロンなどで皮膚がジュッ!
◉ 対応方法:
すぐに冷やす!最低10分!
 → 水道水でやさしく流しっぱなしにして冷やします(氷を直接当てない!)。
服の上からやけどした場合、無理に脱がさない!
 → 服にくっついている場合はそのまま冷やす。
水ぶくれはつぶさない
 → 包帯やガーゼをそっとのせて保護し、病院へ。
※顔や関節部分のやけど、広範囲のやけどは重症の可能性があるので、必ず医療機関へ。
◆ ⑤ 骨折かも?と思ったら
◉ 状況:
転倒、落下、重い物がぶつかったなどで、手足が変な方向に曲がっていたり、腫れて動かせない。
◉ 対応方法:
無理に動かさない!
 → まずは固定。新聞紙や板、タオルなどを使って患部が動かないようにする。
冷やす
 → 痛みや腫れを抑えるために、氷や水で冷却。
すぐに医療機関へ運ぶ
 → 119番通報や周囲の人の助けを借りて、できるだけ動かさずに搬送。
◆ まとめ:「知ってる」だけで命が守れる
応急処置は「完全な治療」ではありません。でも、ケガを悪化させないための第一歩。
パニックにならず、「まずこれをする!」と頭に入れておくだけで、自分や誰かの命を守ることができるのです。
第3節 避難中に気をつけたい「からだの危険」
~命を守る健康管理の基本~
◆ ① 熱中症:暑さで命をおとすことも
◉ どんなときに起きる?
夏の炎天下だけでなく、避難所の蒸し暑さや車中泊でも発生。
水分・塩分不足、風通しの悪さが主な原因。
◉ こんな症状に注意!
めまい・頭痛・顔のほてり
ぐったりする、汗が出ない、吐き気
意識がもうろうとする(危険!)
◉ 対処法:
涼しい場所へ移動(風通しのいい日陰や屋内)
水分と塩分を補給(スポーツドリンク・経口補水液など)
首・脇・足の付け根などを冷やす
※意識がなければすぐに119番。命の危険あり!
◆ ② 低体温症:冬だけじゃない「冷え」のリスク
◉ どんなときに起きる?
雨に濡れた後、寒い避難所で長時間すごす
断水・停電でお風呂や暖房が使えないとき
◉ こんな症状に注意!
手足が冷たく、震える
顔色が悪く、ぼーっとする
やがて震えが止まり、意識が低下していく(重症)
◉ 対処法:
濡れた服を脱がせて乾いたタオル・毛布で保温
温かい飲み物を(意識があるとき)
ゆっくり身体を温める(熱いお湯で急加温しない)
※体温が35℃以下のときは医療機関へ!
◆ ③ 避難所での健康管理:体調を守る生活術
◉ どんなことに注意すればいい?
ストレス・睡眠不足・運動不足
水分や栄養の偏り
高齢者・持病のある人・子どもは特に注意!
◉ 気をつけたいことリスト:
こまめな水分補給(1日1.5Lが目安)
バランスのとれた食事(ビタミン・たんぱく質も意識)
なるべくストレッチや散歩など軽い運動
高血圧・糖尿病などの薬は常備・管理を忘れずに!
※避難所生活では「体調を崩す=命のリスク」になると心得よう!
◆ ④ 衛生と感染症:清潔を保つことが防災につながる
◉ どんなときに危険?
トイレが不十分、手洗いができない環境
水が不足していて清掃や入浴ができないとき
◉ 起こりうる感染症:
インフルエンザ、ノロウイルス、風邪
食中毒、皮膚病、肺炎など
◉ 対処法・予防法:
手洗い・消毒は最重要!(アルコール・ウエットティッシュでOK)
マスクの着用、人との距離を意識
体調が悪い人は早めに別スペースで静養を
共有物(毛布・食器など)はこまめに洗う・分ける
※避難所では「小さな不調」が大きな感染の火種になります!
◆ ⑤ クラッシュ症候群(圧挫症候群):がれきの下から助かったあとに起きる危機
◉ どんなときに起きる?
地震などで長時間がれきの下敷きになったとき(2時間以上が目安)
足や腕などが強く圧迫されたあと、急に力が抜けたり意識が遠のく場合
◉ なぜ危険?
圧迫された筋肉が壊れ、毒素がたまっている
助け出されて血液が流れた瞬間に、毒素が心臓や腎臓に回り、突然死に至ることも!
◉ 対処法:
絶対にすぐ起こしたり、圧迫部位を急に動かさない!
できれば医療チームが来るまでそのままの姿勢で安静に
医療者は点滴をしながら除圧するのが基本対応
※救出されてホッとした後に起こる「もうひとつの命の危険」です。
◆ まとめ:災害後も、健康を守ってこそ“生きのびる”
ケガや感染症だけでなく、熱・冷え・ストレス・隠れた病気が命を脅かすこともある
「ちょっとした体調の変化」に気づくことが、命を守る健康力
医療がすぐに受けられないときは、自分や周りの人が命を守る最後の砦になる
だからこそ、防災とは「生きのびるための知識と判断力」でもあるのです。

第4節 倒壊家屋からの救出活動
命をつなぐ、市民の力と備え
大地震によって建物が倒壊したとき、もっとも重要なのは初動の救出活動です。耐震性の高い建物(特に2000年耐震基準相当)に住むことが第一ですが、経済的事情や建物の老朽化により、現実には災害リスクを抱えたまま暮らす人も少なくありません。そのような中で、市民自身の力が多くの命を救ってきたという事実は、私たちに大切な教訓を与えてくれます。
倒壊建物の死因分析
阪神・淡路大震災では、死者6,434人のうち、建物倒壊による圧死・窒息死が約80%を占めました。その多くが発災直後の15分以内に死亡していたことが、神戸市医師会の検案データなどからわかっています(内閣府防災情報[2005年報告書])。特に胸部・腹部の圧迫による「圧死型窒息」が主な死因です。
さらに、2時間以上挟まれていた人々には、クラッシュ症候群(圧挫症候群)の症状が確認され、これにより腎不全や心停止を引き起こすケースも報告されています。このことからも、初動の救出活動の速さが命を左右することが明らかです(参考:日本災害医学会誌 Vol.16, No.1)。
誰が救ったのか? ―― 市民の救助力
阪神・淡路大震災では、自衛隊・消防・警察による救出よりも、住民・家族・隣人による救出が全体の6割を超えたとされます(内閣府『防災白書』1996年版)。これは、現場にいた人が直後に行動できたことを示しており、隣人や家族の共助こそが最大の命綱であることを教えてくれます。

命を救う三種の神器:バール・ノコギリ・ジャッキ
市民による救出で実際に役立った道具が、いわゆる「三種の神器」です。
バール:扉のこじ開けや瓦礫の移動、隙間の確保などに利用される。
ノコギリ:木造家屋の倒壊部分を切断して空間を確保する。
ジャッキ:倒壊家屋の柱を持ち上げ、人が通れる隙間をつくる。
特に自動車に搭載されているパンタグラフ型ジャッキでも1.5トンほどの重量を持ち上げることが可能で、木造家屋であれば有効です(東京消防庁「震災対策マニュアル」より)。
救出活動の基本手順(消防庁・防災士会の指導例)
安全確認(余震や倒壊リスクの確認)
状況記録(スマホ等で現場写真を撮影)
役割分担
指示役
作業者(バール・ノコギリ・ジャッキの使用)
救出者
安全確保係(スペーサーの設置)
隙間確保と安全対策:ジャッキとバールで隙間をつくり、スペーサー(木片など)で再倒壊を防止。
救出と搬送:必要に応じて応急処置や病院搬送を迅速に行う。
また、救出者が釘を踏み抜く、落下物により負傷するなどの二次被害も防がなければなりません。安全靴、手袋、ヘルメット、ゴーグルの備蓄と即時使用が必要です。
自治体の備えと市民訓練
多くの自治会防災倉庫には、食料・毛布はあっても三種の神器がないケースが散見されます。道具の備蓄とともに、日頃からの訓練で「触れる」「使ってみる」経験が重要です。
東京防災(東京都防災ブック)や内閣府の「市民向け災害対応ガイドライン」では、こうした救出器具と手順の普及啓発を進めており、小中学校や地域の訓練でも取り上げられるようになっています。
参考文献・資料:
内閣府『防災白書(1996年・2005年・2023年版)』
日本災害医学会誌 Vol.16, No.1「阪神・淡路大震災における死因分析」
東京消防庁『震災対策マニュアル』
東京都『東京防災』
日本防災士会『災害現場における初動対応指導ガイド』
防災科学技術研究所『家具転倒と三種の神器の有効性に関する研究』

4節 地震火災に備える4つのポイント 〜命を守る実践的防災〜
首都直下地震が発生した場合、気象庁や内閣府の想定では、東京23区を中心に数千件規模の火災が同時多発し、避難困難な状態に陥ると予測されています。そのような状況で命を守るために、私たちが日ごろから備えておくべきポイントは次の4つです。
1.初期消火活動の実施と成功が延焼拡大のカギ
発災直後の3〜5分が、火災拡大を防げるかどうかの分かれ道になります。消火器やバケツリレー、スタンドパイプなどによる住民による初期消火の実施率と成功率が、被害の大きさを左右します。地域の防災訓練でこれらの使い方を実地で体験することが重要です。
2.「避難所」と「避難場所」を正しく理解する
火災時に命を守るためには、どこに逃げるべきかを事前に知っておく必要があります。しかし現実には、避難所(滞在施設)と避難場所(一時退避地)を混同しているケースが多く、防災リーダーや行政職員でさえ理解が不十分な場合もあります。地域の指定避難場所を事前に確認し、家族で共有しておきましょう。
3.火を出さない習慣をつける
火災の予防には、出火そのものを防ぐ備えが大切です。感震ブレーカー(地震の揺れを感知して自動的に電気を遮断する装置)の設置や、避難時にブレーカーを落とす習慣づけが効果的です。日ごろから火の元確認の訓練を行いましょう。
4.住まいの安全対策が延焼を防ぐ
地震火災の出火原因には、倒壊した家屋の中での火気事故も多く含まれます。耐震補強、家具の固定、不用品の整理といった日常の整備が、命と財産の両方を守る備えになります。

第5節 災害時の「市民トリアージ」とは?
~たくさんの命を救うための、もうひとつの勇気~

◆ トリアージって、なに?
「トリアージ」とは、災害や事故でけが人が大勢出てしまったときに、どの人から治療をするかを決めることです。
元はフランス語で、「選別」を意味する言葉。
でも決して「命の価値を選ぶ」ものではありません。
トリアージは、
限られた医療の力で、できるだけ多くの命を助けるための判断という、大きな使命をもった行動なのです。
◆ 災害時、なぜトリアージが必要なの?
たとえば、大きな地震が起きて、100人以上のけが人が同時に出たとします。
救急車は3台、医師は1人だけ。
このとき、全員を一斉に治療することはできません。
そのままにしておくと、
本当は助かるはずだった命が、待っているあいだに助けられなくなる
軽傷の人ばかりが治療されて、重症の人が後回しになる
という不公平な事態になってしまいます。
そこで、最初に命の危険度や治療の必要性を見分ける作業=トリアージが必要なのです。
◆ トリアージはどうやって分けるの?
基本的には、「トリアージタグ」という色分けで状態を分けます。
【トリアージ4分類のめやす】
※「黒」は非常につらい判断ですが、助かる可能性がある人を救うためのやむをえない判断です。
◆ 市民でもできる「市民トリアージ」とは?
医師や看護師でなくても、災害時には市民が最初の判断を迫られることがあります。
そのときのために、以下のポイントを知っておくと命が救える可能性が広がります。
◉ 市民トリアージの3つの基本ステップ(START法):
歩けますか?
 → はい:緑(軽症)
 → いいえ:次へ
呼吸はありますか?
 → ない:気道確保しても呼吸しない → 黒(救命困難)
 → 呼吸あり:次へ
意識はありますか?反応しますか?
 → はい(意識あり):黄(重傷)
 → 反応がない、出血がひどい:赤(最優先)
この判断は1人につき30秒以内が目安。
完璧でなくても、助かる命を見逃さないための応急判断として重要です。
◆ トリアージは「見捨てること」じゃない
黒タグは「救えない命」ではなく、いまは救えない状態。
あとで医療支援が整ったら再確認されることもあります。
だからこそ、冷静で迅速な判断が、たくさんの命を守ることにつながるのです。
◆ まとめ:「ひとりを救うために、全員を考える」
トリアージは、医療の知識だけでなく、人としての覚悟と冷静さが試される場面です。
でもそれは、誰かを助けるために、自分ができる最大限の行動でもあります。
命を見きわめる目
命を守ろうとする心
そして、助け合う知恵
それが「市民トリアージ」の基本です。
もしものとき、あなたのその判断が、誰かの命をつなぐことになるかもしれません。
第6節 災害関連死と救命の課題 〜イタリアのSUM構想と日本の教訓〜
災害関連死とは何か
「災害関連死」とは、地震や台風といった災害の直接的な被害による死亡(例:津波や建物倒壊など)ではなく、その後の避難生活、医療の中断、精神的ストレス、持病の悪化などによって生じる死亡を指します。
これは「防ぎえた災害死」とも呼ばれ、適切な対応によって回避可能であったという重大な社会的意味を持ちます【1】。
事例と傾向
東日本大震災では、死者約15,900人に対して、災害関連死は3,784人。これは全体の2割を超える割合でした【2】。
熊本地震でも、死者273人のうち204人が災害関連死とされ、特に高齢者の健康悪化による死亡が多くを占めました【3】。
能登半島地震(2024年)では、直接死と同等かそれ以上の災害関連死が懸念され、今後の分析が求められています。
主な原因
長期避難生活による体力の低下や感染症
医療機関の機能停止による治療の遅延・中断
精神的ストレスと孤独(いわゆる「避難所うつ」)
災害による介護サービスの中断
高齢者や持病を抱える人々は特に脆弱であり、迅速かつ適切な支援が求められます。
イタリアの防災体制:SUMの教訓
イタリアでは、こうした「災害関連死」を未然に防ぐために、SUM(Standardization, Unitization, Mobility)という理念を基盤とした災害対策システムが構築されています【4】。
SUMの内容
Standardization(標準化):避難所の設備や支援物資の規格を統一し、迅速に展開可能にする。
Unitization(ユニット化):あらかじめパッケージされた設備(発電、トイレ、ベッド、炊事など)を準備し、被災地に即搬送。
Mobility(可搬性):地震や洪水などの被災地に迅速に届くよう、設置と移動に適した機材と人材を備える。
これにより、イタリアでは発災後数時間以内に「生活可能な避難環境」を整備できる仕組みが全国的に整っています。特に医療・衛生・給水・食事・プライバシーの確保に重点が置かれており、災害関連死のリスクを大幅に減らす設計です。
日本への適用例
2025年3月、長野県で行われたSUMモデル避難所の実証実験では、発災9時間以内に快適な避難生活環境を提供することに成功しました【5】。この取り組みは、災害関連死を減らす画期的な可能性を示しています。
今後の提言
避難所の快適化とユニバーサルデザインの導入
災害医療チーム(DMAT、JMAT)の即時展開
SUMに基づいた全国標準避難ユニットの導入
自助・共助・公助の融合と住民教育の強化
参考文献
【1】内閣府防災情報「災害関連死とは」
https://www.bousai.go.jp/taisaku/hisaisyagyousei/pdf/honbun.pdf
【2】復興庁「災害関連死に関する報告(東日本大震災)」
https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20220322155746.html
【3】熊本県庁「熊本地震の死因分析と課題」
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/10/8270.html
【4】水谷嘉浩(避難生活学会)、第203回防災まちづくり談義の会 講演レポート「イタリアのSUM型避難所の展開」より

第7節 亡くなった方の尊厳を守り、遺族の心のケアを行う
遺族対応フローチャート 〜尊厳と支援を大切にして〜
阪神・淡路大震災では、学校の体育館に避難民とともに、ご遺体が10日以上置かれていたという悔恨を校長の話として読んだことがあります。東日本大震災でも、ご遺体を学校にいれるかどうかで揉めたなどの話を聞きました。
愛する家族を失った人の喪失感は計り知れません。亡くなった方の尊厳を守り、何よりも遺族の心のケアを行うことは、被災地復興における大切な取り組みとなります。
特に身元確認から遺体引き渡し、そしてその後のサポートまでを、丁寧に行う体制が重要です。
ここでは、災害対応の国際標準(米国DMORTの取り組みなど)を参考に、ご遺体と遺族対応の流れを示します。
【フローチャート】災害時 遺族対応の流れ
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災害発生

遺体の収容と一時安置

検視・検死、身元確認作業開始

【遺族窓口の設置】 ➡︎ 【遺族への第一報】(慎重に)

【生前情報(アンテモルタムデータ)収集】

身元確認(指紋・歯型・DNA照合など)

【身元判明】

遺族への正式通知と説明

【遺族面談・グリーフサポート】

遺体と遺品の引き渡し

【追悼・慰霊支援】 ➡︎ 【長期的な心理・生活支援】
【ご遺体とご家族への対応】

  1. 災害発生・遺体収容
    災害直後、現場から遺体を収容し、仮設モルグなどで一時安置します。
    この段階では、遺体取り違え防止のため、厳格な番号管理が必要です。
  2. 身元確認作業
    遺族に負担をかけないよう、専門チーム(検視官、歯科医、DNA専門家など)が迅速かつ丁寧に身元確認作業を行います。
  3. 遺族への第一報と情報収集
    連絡は、専門訓練を受けた担当者が、慎重かつ配慮をもって行います。
    その後、本人確認のために、生前の医療記録や身体的特徴などの情報提供を依頼します。
  4. 身元判明と遺族面談
    身元が判明したら、遺族に説明し、希望に応じて面談を行います。
    グリーフケア(悲嘆支援)スタッフが同行し、精神的負担を軽減します。
  5. 遺体と遺品の引き渡し
    遺族の立ち会いのもと、本人確認を行いながら、丁寧に引き渡しを進めます。
  6. 追悼・長期支援
    引き渡し後も、必要に応じて追悼式典の支援、心理ケア、生活再建支援などを続けていきます。
    従事者のポイント(サイドメモ用)
    「間違いが許されない」作業であることを理解しよう。
    「亡くなった方を守る」ことも災害対応の一環である。
    「遺族への配慮は、社会の優しさを示すもの」である。
    【参考文献一覧】
    FEMA, DMORT Family Assistance Center Handbook, 2015
    World Health Organization, Management of Dead Bodies After Disasters, 2014
    日本赤十字社, 『災害時こころのケアマニュアル』, 2012
    厚生労働省, 『災害時における死体取扱いマニュアル』, 2020
    日本トラウマティック・ストレス学会, 『災害後のこころのケア指針』, 2018
    International Committee of the Red Cross, Respect for the Dead and Support for the Bereaved, 2015
    Sphere Project, The Sphere Handbook: Humanitarian Charter and Minimum Standards in Humanitarian Response, 2018

    第6章 防災の家庭科
    日常生活に根ざした防災力 〜家庭・衣食住から命を守る〜
    家庭科では、日常生活の基礎である衣・食・住や家族関係、消費生活について学びます。防災教育では、「家庭内で命を守る行動」「備える暮らしの知恵」「災害時に生き抜く生活力」を育てることが目的です。
    🔹 家庭科における防災教育の3つの目標
    1.家庭の中で身を守る知恵と備えを学ぶ
    家具の転倒防止、、災害時のトイレ・照明・情報確保など、家庭における具体的な備えを通じて、いざというときの対応力を養います。
    2.衣食住の工夫で災害時の生活を支える力を育てる
    非常食の備蓄やローリングストック、保温・防寒の工夫、避難生活での衛生管理など、災害時にも生活を維持する力を身につけます
    3.家族との連携と地域との助け合いを考える
    災害時の家族との連絡手段や避難ルールの確認、防災マップの共有、要配慮者への配慮など、家庭単位での防災行動計画(タイムライン)づくりを通じて、共助の大切さも学びます。
    第1節 自宅内での災害による死亡リスク
    地震による自宅内の被害
    ●阪神・淡路大震災(1995年)
    犠牲者の多くは自宅で死亡しており、特に戦前の木造住宅が多く残る地域で死者が集中しました。
    南海トラフ巨大地震の想定
    深夜に発生した場合、多くの人が自宅で就寝中に被災し、家屋倒壊による死者が発生する危険性が高いとされています。

    ●火災による自宅内の被害
    住宅火災による死者数(令和3年)
    住宅火災による死者数は966人で、そのうち65歳以上の高齢者が716人(74.1%)を占めています。

    ●災害関連死における自宅の影響
    熊本地震(2016年)
    災害関連死の約40%が自宅で発生しています。
    これらのデータは、自宅内での安全対策の重要性を示しています。家庭科編では、以下の点を強調することが効果的です。
    耐震対策の推進:家具の固定や耐震補強など、自宅の安全性を高める対策を紹介する。
    火災予防の徹底:火災報知器の設置や消火器の備え、日常の火の取り扱いに注意を促す。
    避難計画の策定:家族で避難経路や避難場所を確認し、定期的に避難訓練を行う。
    これらの取り組みにより、自宅内での災害リスクを軽減し、命を守る行動につなげることができます。
    参考資料:防災情報ポータル+7国土交通省+7消防庁+7
    総務省統計局「地震による被害想定」
    消防庁「令和4年版 消防白書」
    内閣府「南海トラフの巨大地震 建物被害・人的被害の被害想定項目及び手法」
    朝日新聞「熊本地震、災害関連死の40%が自宅で発生」

    第2節 :わが家の安全を見直す

1.私たちの家は、どんな地盤の上に建っている?
家の安全を考えるとき、建物の構造や家具の固定も大切ですが、それと同じくらい「どんな地盤の上に建っているか」を知ることが重要です。
日本は国土の多くが急峻な山地、川沿いの沖積低地、海岸の埋立地、火山地域に広がっており、地盤の性質は場所によって大きく異なります。
川や海の近くの低地には、柔らかい粘土や砂が分厚く堆積していることがあり、地震の揺れが増幅されやすくなります。
斜面や段丘、火山地域では、火山灰や風化した地層による崩壊や地盤の緩みが問題になります。
このような地域では、地震や豪雨の際に、家の倒壊や地盤の液状化、がけ崩れ、浸水といった複合的な災害が起こる可能性があります。
2.わが家の土地の「過去の災害履歴」を知ろう
地震や津波は「いつか来るもの」ではなく、「繰り返し起きている自然現象」です。特に地震災害には、数十年から数百年の周期で繰り返される特徴があります。
関東地方では、1923年の大正関東地震(M7.9)の前に、1703年の元禄地震(M8.2)が発生しており、同様の震源域で周期的に巨大地震が起きています。
阪神・淡路大震災(1995年)の震源に近い地域では、1596年の慶長伏見地震(M7.5)が記録されています。
南海トラフ沿いでは、約90〜150年周期で巨大地震(宝永地震、安政南海地震、昭和南海地震など)が繰り返されています。
このような歴史を知ることは、これからの災害を「未来の出来事」ではなく「時間の問題」としてとらえる助けになります。

  1. 地盤と地震の被害の関係
    地盤の種類によって、同じ規模の地震でも被害が大きく変わります。以下のような特徴があります。
    ● 柔らかい地盤(沖積低地・埋立地など)
    揺れが強く長く続く傾向があり、震度が1〜2程度増幅されることもあります(防災科学技術研究所などの解析)。
    阪神・淡路大震災(1995年)では、長田区などの沖積低地で建物倒壊が集中し、6000人以上が犠牲になりました。
    ● 砂質地盤(埋立地、旧河道など)
    地震動により液状化現象が発生しやすく、道路の隆起・沈下、マンホールの浮上、基礎の損傷が見られます。
    2011年の東日本大震災では、千葉県浦安市などの埋立地で広範囲に液状化が発生しました。
    ● 火山灰土・ローム層(台地・内陸火山地域など)
    一見安定して見えるが、地震波の揺れを増幅しやすい特性があります。
    熊本地震(2016年)では、益城町の台地で新耐震基準の住宅にも倒壊被害が集中しました。
    ● 能登半島地震(2024年)の例
    高齢化と耐震化の遅れた地域で、脆弱な地盤と古い住宅が組み合わさり、被害が広がりました。
  2. ハザードマップを活用しよう
    自治体では、地域ごとの地震の揺れやすさ、液状化の可能性、火災延焼リスクなどをまとめた「地震防災マップ」「地盤分類図」「液状化マップ」などを公表しています。
    これらは市区町村のホームページや国土地理院の「ハザードマップポータルサイト」でも簡単に閲覧できます。
    【チェック項目例】
    ☐ 自分の家がどんな地形・地質の上に建っているか
    ☐ 液状化・浸水・火災のリスクがある地域かどうか
    ☐ 過去にその地域でどんな災害が起きたか
    家族で一緒に調べ、話し合い、対策を考えることが「命を守る家庭科」の第一歩です。
    【参考資料】
    内閣府防災「わが家の防災チェック」
    国土地理院「ハザードマップポータルサイト」
    気象庁「過去の地震情報」
    防災科学技術研究所「地震ハザードステーション(J-SHIS)」
    文部科学省「学校における防災教育の手引き」

    第3節 地震防災の基本は「耐震化」

    耐震化は「命を守る最初の砦」
    2024年の能登半島地震では、多くの住宅が倒壊し、多くの方が亡くなりました。現地を視察した際、特に以下のような特徴が見られました。
    地盤が砂地や柔らかい層の場所では、地震動が増幅され、建物の倒壊が多発。
    地震による液状化現象(地面が泥のように流動化)で地盤が不安定になり、建物が傾く被害も多数。
    耐震性の低い木造住宅や古い建物が、集中して倒壊していた。
    この構造は、1995年の阪神・淡路大震災でも全く同じでした。
  3. 新耐震基準でも過信は禁物?
    日本では1981年に建築基準法が改正され、新耐震基準が導入されました。この基準では「震度6強〜7の大地震でも倒壊しない構造」が求められましたが、以下の課題があります。
    熊本地震(2016年)では、1981年以降の「新耐震基準」で建てられた家屋の中にも倒壊が見られました。
    能登半島地震(2024年)でも、同様に1981年以降の建物であっても、地盤の悪さや施工の問題で倒壊するケースがありました。
    つまり、新耐震=絶対安全ではなく、地盤や設計、施工品質などの複合要因によって被害リスクが残るのです。
  4. 耐震基準の違いと比較
    以下は、住宅の耐震性を左右する建築基準の違いを表にまとめたものです。
    現在、多くの自治体では、2000年以前の建物を耐震診断・改修の助成対象としています。
  5. 身の丈に合った「3段階の耐震対策」
    専門家は、家庭の予算や立地に応じて、次のように段階的な耐震対策(松・竹・梅)を提案しています。
    ◆ 松:建て替えによる「200年耐震」
    最新の耐震等級3(住宅性能表示制度)に対応。災害拠点並みの強さ。
    費用は最も高いが、長期的には最も安全。
    ◆ 竹:2000年基準に近づける耐震改修
    耐力壁の追加(構造用合板、筋交い+金具固定)
    柱・梁の補強、基礎の補強(アンカーボルト追加など)
    自治体の助成金対象になることが多い。
    ◆ 梅:低価格耐震・シェルター設置など
    名古屋大学などが開発した、100万円以下の簡易耐震補強(筋交い+壁補強)
    四国や中部地方などの自治体で普及中。
    費用を抑えつつ、命を守る最低限の安全を確保。
    居室に耐震シェルター(ベッド型、部屋内フレーム型)を設置する方法も有効。
  6. 耐震化は「家族のいのちを守る」選択です
    耐震化は、目に見えない備えかもしれません。しかし、地震はいつか必ず起こる自然の仕組みであり、そのときに家族の命を守るためには、「地盤」と「耐震性」をセットで考える必要があります。
    地震が来る前に、「わが家の構造と地盤のリスクを知り、できる範囲の耐震化を進める」。これこそが、防災の家庭科で一番伝えたい知恵です。
    【参考資料】
    国土交通省「既存住宅の耐震診断・改修の手引き」
    内閣府「住宅の耐震化に関する支援制度」
    建築研究所「耐震改修の実務手法と事例」
    名古屋大学減災連携研究センター「低価格耐震化技術の普及」
    各自治体の住宅耐震改修助成制度(例:横浜市・神戸市・高知県など)
    第4節 「第二の砦」は安全な部屋にする!家具固定
    地震による人的被害は、建物の倒壊に加えて、室内の家具の転倒や落下によるものが少なくありません。特に、耐震性の低い家屋においては、建物自体の揺れが大きくなり、家具の固定がされていないことで、その危険性がさらに増大します。
    ■ 阪神・淡路大震災での教訓
    1995年の阪神・淡路大震災では、多くの人が就寝中に襲われ、タンスや本棚の下敷きとなって命を落としました。消防庁による調査では、地震による負傷原因の第1位が「家具の転倒・落下」であり、続いて「割れたガラスや食器による負傷」が第2位に報告されています【消防庁『阪神・淡路大震災の被害状況等に関する報告書』】。
    ■ 家具の固定方法の選択肢
    家庭内の安全を確保するためには、家具の配置と固定が極めて重要です。次のような対策が推奨されています。
    整理・処分
     背の高い家具はなるべく廃棄し、背の低い家具にすることで、転倒リスクを下げる。
    壁面収納へのリフォーム
     壁に沿った造作家具は重心が安定し、倒れにくいため、安全性が高い。
    金具による固定
     L字金具などで家具と壁をネジでしっかりと固定する方法。最も強固だが、壁に穴を開ける必要がある。
    突っ張り棒・ストッパー式の併用
     突っ張り棒で家具の上部を天井に固定し、家具の下部にはストッパー(くさび型)をかませて前傾姿勢を防ぐ方法。東京消防庁の熊本地震現地調査によれば、この併用方法を実施していた家庭では家具の転倒事例が確認されておらず、高い効果が報告されています【東京消防庁『平成28年熊本地震に係る調査報告書』】。
    家具の配置換え
     就寝場所や居住スペースの近くに、背の高い家具を配置しない。倒れても被害が及ばないよう動線を確保する。
    ■ 賃貸住宅でもできる対策
    突っ張り棒やストッパーは壁や床に穴を開けることなく設置できるため、賃貸住宅にお住まいの方にも適した方法です。また、家具の下に滑り止めマットを敷くだけでも、地震の際の滑動をある程度防ぐことができます。
    地震が発生しても、安全な部屋であれば大きなケガを防ぐことができます。建物の耐震化に加えて、室内環境の安全化=家具固定は、防災の「最後の砦」とも言える大切な備えです。
    「住替え」「生前整理」という防災対策
    高齢者が耐震性の低い、さらに火災延焼、津波、風水害が想定される地域に住み続けること、さらにその家の中は所狭しと家具や荷物で溢れている。そこに地震や風水害が起きれば、悲惨な結果となることは目に見えています。
    ご高齢になっても、人生をともに過ごした我が家に住み続けるということは自然のことです。
    しかし、別の選択肢があります。それは「生前整理」と「住替え」です。
    私は両親が住む家にそれを実行しました。
    第5節 地震が起きても「あしたにじ」
    “動いて守る”防災行動~
    ◆ はじめに:ただ机の下に入るだけで、本当に命は守れるの?
    これまで「ダンゴムシのポーズ(頭を守ってじっとする)」が学校でも広まってきました。
    でも、重い家具が倒れてくる場所や、ブロック塀のそばでそれをするとかえって危険です。
    気象庁の防災ページでも、
    「まず安全な場所へ移動する」ことが第一と明記されています。
    そこで私たちが提案するのが、監修の「“あ・し・た・に・じ”」行動マニュアルです。
    「その場でじっとする」のではなく、状況に応じて“動いて命を守る”行動を学びましょう。
    「あ・し・た・に・じ」ってなに?
    地震が起きたとき、家庭で命を守るために大切な6つの行動の頭文字です。
    【あ】あんぜんスペースに ひなん!
    家の中に「物が落ちてこない・倒れてこない・動いてこない」安全スペースをつくっておこう!
    テーブルの下=安全とは限らない。固定していない家具のそばはとても危険。
    「ろうか」「部屋の角」など安全な場所を、家族で確認しておく。
    緊急地震速報や揺れを感じたら、まず安全スペースに移動する!
    【し】しょきしょうか(初期消火)
    「ひけしの原則(避難・消す・知らせる)」を家族で練習しよう!
    台所では火から離れるのが先。震度5相当でガスは自動停止します。
    コンセントは抜く!ブレーカーは落とす!通電火災を防ごう。
    火が「目の高さ」を超えたら消火はせずに避難!
    【た】たすけあい
    「きんじょ=近助」こそ命を守る力。安否確認訓練に参加しよう!
    「声をかける」「ドアをたたく」だけでも大切な支援。
    「バール・のこぎり・ジャッキ」は命を救う「三種の神器」
    応急手当・搬送訓練で、家族や地域を守る力をつけよう。
    【に】にげる
    津波が来る場所ではとにかく早く高台へ!
    火災の延焼が想定される地域では、あらかじめ避難場所を確認しておく。
    自宅が安全なら、むやみに外に出たり移動したりせず、「その場で待つ」選択肢も大切。
    【じ】じたく避難がいちばん
    家が無事なら「自宅避難」が最も安心・安全!
    次の「た・か・の・す」の備えが大切!
    ◆ まとめ:命を守るのは、「しゃがむこと」じゃなく「考えて動くこと」
    ・地震の瞬間、状況を見て安全スペースへ移動する力が必要です。
    家庭には「避難所」とちがう危険や対処法がある。子どもにも伝わるルールが必要。
    「ダンゴムシのポーズ」ではなく、「あ・し・た・に・じ」の行動で、命を守る防災を始めましょう!

    第4節 「ひ・け・し」と「に・ぼ・し」で火事から命を守ろう
    火事が起きたら、どんな順番で行動すればいいか、知っていますか?
    大人も子どもも、火事から命を守るために大切なのが、「ひ・け・し」と「に・ぼ・し」の合言葉です。これは、消防法や建築基準法などに基づいた、命を守る行動の基本です。
  7. 「ひ・け・し」ってなに?
    「ひ」=避難・誘導
    火災のとき、まず大事なのは命を守るために逃げることです。
    煙が出ていたり、火が見えたら、すぐに周囲に声をかけて逃げましょう。迷っている暇はありません。子どもや高齢者、体の不自由な人を見かけたら、声をかけながら一緒に避難を。
    「け」=消す(初期消火)
    もし、火が小さくて自分で消せそうなときは、消火器や水、バケツなどで初期消火します。ただし、天井まで火が達していたら、すぐに避難が最優先です。
    【ポイント】
    消火器の使い方は、普段から訓練しておくと安心。
    「ピンを抜く、ホースを火に向ける、レバーを握る」が基本です。
    「し」=知らせる(通報)
    火事を見つけたら、すぐに119番通報します。住所や場所、何が燃えているかを落ち着いて伝えることが大切。誰かが通報している場合でも、「通報した?」と確認を。
  8. 「に・ぼ・し」ってなに?
    「ひ・け・し」はその場での行動、「に・ぼ・し」は日ごろからの備えです。
    「に」=二方向避難
    逃げ道が一方向しかないと、逃げ遅れの原因になります。家や学校、職場では、ふだんから「別のルート」も確認しておきましょう。玄関だけでなく、ベランダや非常階段なども要チェック!
    「ぼ」=防火区画
    建物には火の広がりを防ぐ工夫(防火区画)があります。たとえば、防火シャッターや耐火ドアなど。これらがある場所を知っておくことで、逃げ道や安全な待避場所がわかります。
    【家庭でも】
    台所の近くに燃えにくい壁材を使う
    火のそばに可燃物を置かない などが「家庭版防火区画」です。
    「し」=死ぬことがある煙
    火そのものより煙の方が命にかかわることもあります。煙の中には一酸化炭素や有毒ガスが含まれていて、吸い込むと意識を失い、命の危険があります。煙が来たら、口と鼻をハンカチや服で覆い、低い姿勢で避難を。
  9. 家族でできる「火災対策」
    消火器の場所と使い方を確認する
    台所やストーブ周りの点検(ガス漏れ・可燃物チェック)
    寝る前、外出前には火の元を確認する
    家族で避難ルートを話し合う
    防火シャッター・ドアの場所を把握しておく
    定期的に「火事を想定した避難訓練」をする
    おわりに
    火災は、突然起こります。でも、「ひ・け・し」と「に・ぼ・し」の基本を知っていれば、いざというときもあわてずに行動できます。
    火を使うのは毎日のこと。だからこそ、火の危険から命を守る学びは、家庭科の一番大切な授業です。
    「家庭」は小さな防災拠点。今できることから、家族みんなで始めていきましょう。
    第5節 命を守る防災の家庭科 風水害編「は・た・す」で備える!
    台風や大雨で川があふれたり、土砂くずれが起きたりするニュースを見たことはありますか?
    もし、自分の家の近くでそんなことが起きたら…あなたと家族は、どう行動しますか?
    家族みんなで「命を守る行動」を考える方法が、これ!
    【は】=ハザードマップ
    まずは、自分の家が「どんな危険がある場所にあるか」を知ることから始めましょう。
    🌧 ハザードマップ とは
    洪水(こうずい)、土砂災害、高潮(たかしお)などの「災害が起きたときに、どこが危ないのか」が地図になっているものです。
    🏡 どう使うの?
    家の場所が地図のどこにあるか調べてみよう。
    家のまわりが「浸水(しんすい)」や「土砂災害」の色で塗られていないか見てみよう。
    危ない場所があるなら、どこに逃げる?どうやって行く?を話し合おう。
    【た】=タイムライン(防災行動計画)
    次に大事なのは、「いつ、何をするか」を決めておくことです。
    ⏰ タイムライン って?
    「雨がふりはじめたら…」「警報が出たら…」「避難指示が出たら…」といった、災害の進み方に合わせて、自分たちがどう行動するかを決めておく表や計画のことです。
    👨‍👩‍👧‍👦 家族で作ろう!わが家のタイムライン
    おじいちゃんが足が悪い?小さい子がいる? → 早めに避難が必要な家族は「警戒レベル3」くらいで行動開始!
    夜間や大雨で外が危険になる前に → 明るいうちに避難完了!
    【す】=スイッチ(避難スイッチ)
    「今、避難しよう!」と行動するには、勇気と決断がいります。
    🧠 避難スイッチを押せるようになるには?
    「まだ大丈夫」と思わず、「早め早め」の行動を心がけよう。
    家族で「警戒レベル3で避難開始しようね」と決めておこう。
    実際に避難する練習(訓練)をしておくと、スムーズに動けるよ。
    ★まとめ★
    「は・た・す」で命を守ろう!
    「まだ起きてないから大丈夫」じゃなくて、「いつかくるかも」にそなえるのが、本当の防災です。
    家族で話し合って、命を守る準備をはじめましょう!

    第6節 食べながら備える!「ローリングストック」ってなあに?
    「防災のために非常食をそろえましょう」ってよく言うけど…
    「ずっと置きっぱなしで、気がついたら賞味期限切れ!」なんてことありませんか?
    そんなときに役立つのが――
    ローリングストック!
    🌟ローリングストックって?
    簡単に言うと、
    食べものや日用品を「少し多めに買って」「ふだん使いながら」「使った分だけ買い足す」方法のこと!
    つまり…
    食べる(ふだんのごはんで使う)
    半分ほどなくなったら買い足す
    また食べる
    これをくり返す(=ローリング)ことで、
     いつも家に「新しい備え」がある状態になるのです!
    🥫どんなものをローリングストックにするの?
    ローリングストックにおすすめのものは…
    レトルトカレー・パスタソース
    缶詰(さば、ツナ、果物など)
    インスタント味噌汁・スープ
    お米・乾麺(うどん、そばなど)
    おかし・飲み物
    水(2Lのペットボトルや500mlのもの)
    ポイントは「ふだんからよく食べるもの」にすること!
    そうすればムダにもならないし、家族みんなが安心して食べられます。
    💡ローリングストックの3つのコツ!
    ①:ふだん使いできるものを選ぶ
    → 災害用の特別なものじゃなくて、いつものごはんに使えるものにしよう。
    ②:「多めに買っておく」ことを習慣に
    → いつもより2〜3個多く買っておくと、いざという時に安心!
    ③:「使ったら補充!」を忘れずに
    → 台所に「使ったらメモ!」ルールを作っておくと◎
    ✅チェックリストで見てみよう!
    🔄さいごに
    ローリングストックは、「非常食を特別にそろえる」よりもずっと気軽で、毎日の生活の中でできる「続けられる防災」です。
    家族で楽しみながら、「今週は非常食でパスタにしよう!」なんて
    おいしく食べて、しっかり備える。
    それが「命を守る防災の家庭科」なのです!
    ・自治会の訓練に参加しよう
    ・マンションで共助の輪を
    第6節 帰宅困難時の家族の連絡方法
    大きな地震や災害が起きたとき、交通機関が止まって家に帰れなくなること(帰宅困難)があります。
    そんなとき、家族の無事を確認しあう方法を、あらかじめ決めておくことがとても大切です。
    ここでは、いざというときに役立つ連絡手段について紹介します。
    1.災害用伝言ダイヤル(171)
    「いない(171)」という番号を使うサービスです。
    電話回線が混雑して直接つながらないとき、自分の無事やメッセージを録音して残すことができます。
    家族はこの番号に電話をかけ、録音された声を聞いて安否を確認することができます。
    🔵 使い方例:
    ① 171にダイヤル → ② 自分の電話番号を入力 → ③ メッセージ録音・再生
    2.三角連絡法
    災害が起きた直後は、被災地から直接家族に電話することが難しい場合があります。
    そんなときは、被災地以外に住んでいる親戚や知人に連絡を取る方法が有効です。
    自分の安否や現在地を第三者に伝え、その人から他の家族に知らせてもらいます。
    これを「三角連絡法」といいます。
    🔵 ポイント
    ・事前に「連絡を頼む人」を家族で決めておくこと
    ・その人の電話番号・LINE・メールなどを控えておくこと
    3.SNSサービスの活用
    災害時には、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使った連絡もとても有効です。
    特に次のようなサービスが活用できます。
    LINEの「安否確認」機能
    Facebookの「災害時情報センター」
    X(旧Twitter)の災害情報発信
    災害用掲示板(docomo・au・SoftBankが運営)
    ただし、デマや間違った情報が流れることもあるので、
    公式アカウント(行政・消防・気象庁)の情報を見るように注意しましょう。
    4.空き家を示す貼り紙は危険!
    災害後、家に「無事です」「避難中です」などの紙を貼りたくなるかもしれません。
    しかし、これは空き家であることを泥棒に知らせることになり、
    空き巣や火事場泥棒を招いてしまう危険性があります。

    第7節 あなたの家の「地籍」は大丈夫?
    〜災害対応の見えない落とし穴〜
    ■ 地籍ってなに?
    「地籍(ちせき)」とは、土地一筆ごとの情報(場所・面積・使い方・持ち主)を記録したものです。いわば「土地の戸籍」とも呼ばれ、登記所や役所にある地図や書類で管理されています。
    たとえば、あなたの家がどこまでの土地に建っていて、誰の名義なのか、それが地籍に記録されています。
    ■ なぜ地籍が防災と関係あるの?
    災害が起きたとき、「この土地は誰のものか」がわからないと、次のようなことが起こります:
    土砂崩れの原因となった土地の所有者がわからず、復旧工事ができない
    倒壊した家の解体や復興のために必要な用地買収が進まない
    仮設住宅や防災倉庫を建てたいのに、用地の権利関係が不明で時間がかかる
    地図やハザードマップと現地の土地の境界がずれているため、避難区域の判断を誤る
    つまり、地籍の不整備は、命を守る行動の妨げになる可能性があるのです。
    ■ 所有者不明土地の問題とは?
    最近、全国の土地の約2割が「所有者がわからない状態」だとされています。特に山間部や高齢化が進む地域では、相続登記がされず、誰のものか分からない土地が放置されています。
    このような土地では、次のような防災対策が進みません:
    河川のかさ上げや堤防整備
    がけ崩れ防止工事
    避難路や防災拠点の整備
    ■ 地籍が未整備なまちに暮らしていると…?
    被災後に再建しようとしても、「あなたの家の土地の境界が不明瞭で再建許可が下りない」「近隣との境界トラブルになる」といったリスクがあります。
    ■ 家庭でできるチェックポイント
    ✅ 自宅の土地の登記簿を確認したことはありますか?
    ✅ 地積(面積)や地目(宅地・田など)が実際と一致していますか?
    ✅ 相続したままになっている土地はありませんか?
    ✅ ハザードマップと地籍図を重ねてリスクを把握していますか?
    ■ 地域と家族で備えるために
    家族で地籍を確認し、必要があれば法務局で登記簿を取得してみましょう。
    相続が済んでいない土地があれば、地元の司法書士や行政窓口に相談しましょう。
    自治体の「地籍調査」や「所有者不明土地対策」に協力することも、地域の防災力向上につながります。
    ■ まとめ
    「地籍がわかること」は、災害時の命綱。
    あなたの家の土地の情報がしっかり整っていることが、いざというときに家族を守る第一歩です。
    “あなたの家はどこからどこまで?”“誰のもの?”——それがはっきりしていることが、安心・安全な暮らしにつながります。
    第8節 地震後の建物の安全を見極める「応急危険度判定」
    ◆ 応急危険度判定とは?
    地震が発生した後、建物が倒壊したり、壁や屋根の一部が落下したりするなどの二次災害を防ぐために、建物の安全性を迅速に評価する調査です。この判定により、建物の使用可否が判断され、住民の安全確保に役立ちます。
    ◆ 判定の目的
    余震による建物の倒壊や部材の落下などの二次災害を防止する。
    建物の使用可否を明確にし、住民や通行人の安全を確保する。
    復旧・復興計画の基礎資料として活用する。
    ◆ 判定の方法
    実施体制:都道府県が認定した「応急危険度判定士」が、被災自治体の要請を受けて実施します。
    調査方法:主に外観の目視調査を行い、必要に応じて簡易な計器を使用します。
    判定結果の表示:建物の出入口などの見やすい場所に、以下のステッカーを貼付します。
    危険(赤):建物に立ち入ることは非常に危険です。
    要注意(黄):建物に立ち入る際は十分注意してください。
    調査済(緑):建物の使用は可能です。
    これらのステッカーにより、建物の安全性が一目で分かるようになります。
    ◆ 判定の流れ
    判定士の参集:被災自治体の要請により、判定士が指定の場所に集合します。
    ガイダンスの受講:判定方法や調査票の記入方法などの説明を受けます。
    調査の実施:2人1組で建物の外観を調査し、必要に応じて内観調査も行います。
    結果の記録と報告:調査結果を記録し、判定ステッカーを貼付した後、実施本部に報告します。
    ◆ 家庭でできる備え
    建物の耐震化:自宅の耐震診断を受け、必要に応じて補強工事を行いましょう。
    避難経路の確認:家族で避難経路を確認し、避難訓練を行っておきましょう。
    非常用品の備蓄:食料や水、懐中電灯、携帯ラジオなどの非常用品を備えておきましょう。
    引用・参考資料一覧
    北海道建築士会「応急危険度判定マニュアル(技術編)」
    国土交通省「建設技術移転指針策定調査(応急危険度判定)報告書」
    日本建設業連合会「地震被災後の建築物の判

第9節 家が壊れたとき、どうすればいいの?
~被災証明から再建・補修・住み替えまでの道しるべ~
◆ Step1 まずは「被災証明書」をもらう
被災証明書(り災証明書)は、災害で住まいや家財にどれだけ被害を受けたかを、自治体が調査して証明する公的な書類です。
🔹【なぜ必要?】
・保険金請求の手続き
・義援金、見舞金、支援制度の申請
・住宅再建補助や税の減免など
🔹【どうやって申請する?】
市区町村の窓口で申請(多くは災害対策本部や役所)
被害状況を申告(写真や動画があると有利)
 災害直後の片付けていない状態、水が引いていない状態など撮影
調査員が現地を確認し、判定される
数日~数週間で証明書が交付される
🔹【判定区分の例】
全壊:住めないほどの被害
大規模半壊:修理費が多額で、住むのが困難
半壊:一定期間の修理が必要
一部損壊:軽微な損傷(支援対象外もある)
◆ Step2 家を「どうするか」を家族で相談する
被災証明が出たら、次に「住まいをどうするか」の選択です。代表的な選択肢は次の3つです。
✅ A:修理して住み続ける
損傷が軽い場合(半壊・一部損壊など)
火災保険・地震保険が支払われる場合が多い
公費による修繕支援(所得制限あり)が受けられることも
✅ B:建て直す・再建する
全壊または再建費用が修理より安い場合
災害公営住宅や再建支援制度を利用できる
住宅ローンの免除・猶予、税制優遇の対象となることも
✅ C:住み替える(引っ越し・移住)
高齢者や単身世帯など、修繕や再建が困難な場合
公営住宅や借り上げ住宅(みなし仮設)への入居
地方移住・親族宅への転居も選択肢に
◆ Step3 生活再建の制度を活用する
被害の程度や世帯状況に応じて、以下のような支援が受けられる場合があります。
◆ Step4 仮住まいの間のくらしを整える
仮設住宅(プレハブ)や借り上げ住宅(空き家など)に入居
必要な生活用品は行政・支援団体から提供されることも
隣人や自治会とのつながりを大切にし、心身のケアも意識しましょう
◆ Step5 再建後も防災の視点を大切に
被災経験はつらいものですが、次に備えるチャンスにもなります。
地盤やハザードマップを確認し、安全な立地か再考する
耐震・耐火性能の高い住宅設計を選ぶ
家財・家具の転倒防止、火災保険・地震保険の見直し
地域や自治体とつながる「共助」の意識を持つ
まとめ:家を失ったときこそ「制度」を知り「選択肢」を持つ
家が被災することは、心にも経済にも大きな負担です。
でも、国や自治体には、暮らしを立て直すための支援制度が整っています。
被災証明を起点に、修理・再建・住み替えという道を「知っておくこと」こそが、
命とくらしを守る家庭科の学びです。
引用・参考文献一覧
内閣府 防災情報のページ「被災者生活再建支援制度」
 https://www.bousai.go.jp/taisaku/seikatsusaiken/
総務省消防庁「応急修理制度について」
 https://www.fdma.go.jp/
国土交通省「住宅の被災状況判定・応急修理制度ガイドライン」
 https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/
東京都「住まいの再建の手引き」
 https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2022/12/22/04.html
日本赤十字社・各都道府県「災害義援金・見舞金情報」
 https://www.jrc.or.jp/contribute/help/

第10節 生活再建のための専門家相談
〜被災後、ひとりで悩まないために〜
◆ はじめに
災害は、一瞬で私たちの住まいや暮らしを奪ってしまいます。
家が壊れ、仕事を失い、家族の心や体にも深い傷を残すことがあります。
そんなとき、被災した人が「ひとりで頑張る」のではなく、専門家に相談することはとても大切です。
防災塾・だるまの「防災まちづくり談義の会」でも、被災後の支援の中心には、弁護士、建築士、ソーシャルワーカーなどの“士業”や専門家の存在が不可欠だという意見が繰り返し紹介されています。
◆ 相談することは「弱さ」ではありません
災害の後、どうやって家を直すか、どんな支援が受けられるのか、法律や制度のことは難しくて、ひとりで調べるのは大変です。
そんなとき、法律や建築、福祉のプロに相談することは、「自分の命と生活を守る知恵ある行動」です。
◆ どんな専門家が、どんなときに力になってくれるの?
◯ 弁護士・司法書士
被災者の法的な不安をやわらげ、生活再建のための制度や手続きをサポートしてくれます。
罹災証明書や支援金の申請方法
ローンや借金の返済、相続などの問題
賃貸住宅の契約や権利関係のトラブル など
各地の弁護士会では、「災害法律相談ダイヤル」などを設け、無料で相談できる体制をとっています。
◯ 建築士
壊れた家をどう修理するか、安全に住み続けられるかを、専門知識で見てくれます。
家の傾きやひび割れの調査
修理費用や耐震補強のアドバイス
新築・建て直しの設計サポート など
応急危険度判定や、仮設住宅の設計・点検でも活躍しています。
◯ ソーシャルワーカー・福祉専門職
避難所や仮設住宅などでの暮らしや、心の不安、支援制度の案内など、生活全体の相談にのってくれます。
高齢者や障がい者の支援
就労・学習支援、子どものケア
孤立防止のための地域ネットワークづくり など
市役所や社会福祉協議会に相談窓口があります。
◆ 「支援の制度」は、知っていて初めて活用できます
災害後には、「被災者生活再建支援法」によって支援金が支給されたり、税金や保険の軽減措置が受けられたりします。
しかし、これらの制度は「知っていないと、手続きできない」という問題があります。
専門家に相談すれば、自分がどんな制度を使えるのかを教えてくれ、申請方法までサポートしてくれます。
つまり、制度と自分の“橋渡し”をしてくれる存在なのです。
◆ 家庭科で学ぶ「相談する力」
防災は「準備」と「判断」が大切です。
そして「困ったら助けを求める」ことも、生きていくうえで大事なスキルです。
家庭科では、生活を支える知識と行動を学びます。
その一つとして、「困ったときに誰に相談するか」「どうやって支援を受けるか」を知ることは、自分や家族の命を守る生活力の一部です。

第8章 防災の⾳楽
響き合い、支え合う防災の心 〜音と命をつなぐ学び〜
音楽科では、表現を通じて感性を育て、他者との協調や共感を深めることが重視されています。防災教育においても、「いのちの尊さを感じる心」「仲間と支え合う力」「情報と表現をつなぐ力」を音楽で育むことができます。
🔹 音楽における防災教育の3つの目標
1.音楽を通して命の大切さや共感の心を育てる
震災の体験から生まれた歌や、いのち・希望をテーマとした楽曲を聴き、歌い、感じることで、祖国、郷土を愛する、災害を乗り越えた人々の想いに共感し、命を尊ぶ心を育てます。
2.防災や地域を愛する気持ち伝える表現活動を行う
国歌、自治体の歌(例:横浜市歌)を合奏、合唱することにより国やふるさとを愛する心情、教訓を未来に活かす心情を聴く人々に伝え、共有しようとする。
3.仲間とともに活動し、協働と助け合いの力を養う
合奏や合唱を通じて、協調・呼吸・相互理解の大切さを実感し、災害時における共助の姿勢へとつなげていきます。防災啓発イベントでの演奏なども地域と連携した学びになります。
音楽は、心と心をつなぎ、人と人を支える力を持っています。音を通じて「いのちを感じ、助け合う」力を育てることは、防災教育における音楽科の大きな役割です。

第1節 国歌『君が代』
“さざれ石”に秘められた悠久の時間と日本列島の誕生
第一節  和歌としての『君が代』──詠み人知らずの願いと地学的真実
『君が代』は、古今和歌集(905年)に「賀歌(がか)」として収録されている、詠み人知らずの和歌です。
君が代は 千代に八千代に
さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

この和歌は、国家や天皇の長寿を願う祝賀の歌として伝えられてきましたが、誰が詠んだかも、正確な成立時期も不明です。にもかかわらず、1000年以上もの間、日本人に親しまれてきたのは、それが単なる政治的賛美ではなく、「命」や「時」を超える祈りとして、自然とともにある日本の感性に深く根ざしていたからではないでしょうか。
■ めでたい歌として歌い継がれた江戸時代
江戸時代になると『君が代』は、婚礼などのめでたい席で歌われる祝言歌として広く普及します。「長寿と繁栄を祈る歌」として定着していきました。
この時代、『君が代』はまだ正式な「国歌」ではありませんでしたが、日本人の生活の中で自然と尊ばれる歌となっていたのです。
■ 明治の世、西洋音楽と融合して「国歌」へ
明治時代、日本が近代国家として歩み始める中で、「西洋諸国のように国家を象徴する国歌を持つ必要がある」との考えが高まりました。
そして、1869年(明治2年)、イギリス軍楽隊の指導のために来日していたジョン・ウィリアム・フェントンが、その第一歩を提案します。
1880年(明治13年)に「君が代」の旋律として正式採用され、日本の国歌として広く演奏されるようになりました。
そして、1999年(平成11年)、国旗国歌法によって正式に法制化され、現在に至ります。
■ さざれ石に込められた地質の真実
さざれ石とは、岐阜県揖斐川町で産出される石灰質角礫岩で、もともとは伊吹山の石灰岩が風化し、小石として運ばれたものが、石灰分を含む地下水によって再結晶化し、一つの巌(いわお)となったものです。
驚くべきはその“元の岩石”の来歴です。
伊吹山の石灰岩には、古生代ペルム紀(約2億5,000万年前)のフズリナやウミユリなどの化石が含まれており、これは赤道付近の温暖な海に広がっていたサンゴ礁の名残だとされています。
このサンゴ礁は、プレートテクトニクスによって北上し、ジュラ紀にはユーラシア大陸に付加され、日本列島の一部となりました。このプレートは、現在の太平洋プレートの祖先であるイザナギプレートと呼ばれています。
つまり、「さざれ石」は、南の海にいたサンゴ礁がプレートに乗って2億年以上の時間を旅し、日本列島の地にたどり着いた証拠であり、日本列島そのものの誕生を象徴する存在なのです。日本列島の地質の9割はこうしてプレートによって運ばれてきた「付加体」からなるのです。さざれ石はそれを象徴する存在です。
■ プレートとともに生きる国の歌
『君が代』の背景にある「さざれ石」の成り立ちを知るとき、私はこの歌が単なる“お祝いの歌”ではなく、自然と共にに歩み続ける列島の宿命を背負った歌でもあることに気づきました。
日本列島は、プレートの運動が生み出した奇跡の地形であると同時に、地震・津波・火山などの災害が避けられない土地でもあります。
「千代に八千代に 巌となりて 苔のむすまで」──この歌には、自然と共に生き抜こうとする日本人の祈りが込められているのではないでしょうか。
■ 科学と歌、そして防災の心
国家『君が代』を歌うとき、私たちは「悠久の時」を感じています。
それは、2億年以上の地質の旅を経て生まれた国土に立っているという、科学的な視点と心の感性が交差する瞬間なのです。
そして同時に、その国土がもたらす豊かさと災害のリスクを受け入れ、備え、守ることの大切さもまた、歌の背後にあるといえるでしょう。
“さざれ石の巌”とは、時間と自然と人の知恵が織りなす、日本の防災の原点なのです。

第2節 『花は咲く』──震災から生まれた祈りと再生の歌
2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲い、2万人以上の尊い命と多くのふるさとが失われました。その深い悲しみと喪失感の中から、未来へ向かうために生まれた歌が、復興支援ソング『花は咲く』です。NHK東日本大震災プロジェクトの一環として制作され、今では多くの人に親しまれるようになりました。
■ 歌詞に込められた想い
作詞を手掛けたのは、宮城県仙台市出身の映画監督・岩井俊二氏です。彼はこの歌を「震災で亡くなった方の目線で作りました」と明言しています 。
そのため、「わたしは なつかしい あの街を思い出す」「叶えたい夢もあった」という一節一節が、命を失った人々の未練や願いを表現しています。
さらに、「花は花は花は咲く いつか生まれる君に」というサビの部分は、未来に希望を託すメッセージとして、被災地を超えて多くの人々の心に響いています。
■ 作曲者の願い
作曲を担当したのは、アニメ音楽などでも知られる作曲家・菅野よう子氏です。彼女は次のように語っています。
「この曲が“詠み人知らず”になって、百年後も人々の中に残っていてくれたら嬉しい」
つまり、『花は咲く』が特定の災害のための一時的な応援歌ではなく、時代や出来事を超えて、生きる力を伝える普遍的な楽曲であることを願って作られたのです。
■ さまざまな人が歌い継ぐ復興の歌
2012年3月20日に発表されたこの曲は、当初、岩手・宮城・福島出身の著名人34名による歌唱で広く知られるようになりました。以降、NHK紅白歌合戦や、学校行事、卒業式、地域の追悼式典など、さまざまな場面で人々が歌い継いでいます。
2021年にはアニメキャラによるバージョン「花は咲く アニメスター・バージョン」も制作され、さらに若い世代へとメッセージが広がりました 。
■ 防災教育の視点からこの歌を考える
『花は咲く』の歌詞は、一見すると悲しみの中にある優しさや静けさを伝えていますが、その背景にあるのは「命の大切さ」「記憶を風化させない意志」「生きている者が未来へつなぐ責任」というテーマです。
この歌を学ぶことは、防災教育においても、被災者への共感とともに、命の尊さを改めて心に刻む機会となります。歌詞の背景や制作意図を知ることで、ただ歌うだけでなく、災害の記憶を語り継ぐという新たな意義を見出せるでしょう。
【引用・参考文献】
Wikipedia『花は咲く』ページ(2024年4月時点):
「震災で亡くなった方の目線で書いた」──岩井俊二の言葉として紹介
菅野よう子インタビュー(NHK復興支援プロジェクト):
https://www.nhk.or.jp/ashita/contents/theme015/index.html
「詠み人知らずになって百年後も残る歌にしたい」
NHK『花は咲く アニメスター・バージョン』紹介ページ:
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=29021

第3節 明日への祈りを歌にのせて
―「あすという日が」に込められた復興のメッセージ―

東日本大震災が発生した2011年3月。多くの命が一瞬で奪われ、家族やふるさとを失った人々は、深い悲しみの中に取り残されました。そんな混乱と喪失のさなかで、静かに、そして力強く人々の心に響いた歌がありました。
それが、「あすという日が」です。
この楽曲は、震災よりも前の2005年に誕生しました。作詞は山本瓔子氏、作曲は八木澤教司氏。もともとは平和といのちの大切さを伝えるための合唱曲として生まれたこの歌は、震災後、避難所や仮設住宅、そして復興イベントや追悼式典で数多く歌われるようになりました。
■ 歌詞全文(※著作権表記に基づき掲載許可が必要な場合があります)
あすという日が くることを
あたりまえと思っていた
けれどそれは しあわせと
いまごろ気づく あすという日が
あすという日が くることを
いのりに変えて 願った人
たくさんの涙を こえて
生まれた笑顔 あすという日が
あすという日が くることを
あすという日が くることを
あすという日が くることを
しんじて うたう
■ 楽譜・合唱編成情報
編成:同声二部合唱(女声または児童)、または混声三部・四部合唱版もあり
出版:ブレーン株式会社(吹奏楽・合唱譜を扱う出版社)
楽譜入手先:ブレーン株式会社公式サイト(https://www.brain-shop.net/)など
難易度:小学校高学年〜中学生向け。やさしい旋律と平易な言葉で構成され、音楽の授業でも扱いやすい。
■ 実際に歌われた事例
宮城県石巻市の避難所:震災直後、電気も通らない体育館の中で、子どもたちがこの歌を口ずさみ始め、大人たちも自然に声を合わせたというエピソードが残っています。
いわき市や南三陸町の仮設住宅:ボランティアの合唱団が被災者と共に歌い、涙を流す場面も多く報道されました。
2012年3月11日 東日本大震災一周年追悼式(東京):小学生合唱団による歌唱が、遺族や参列者の心に深く響きました。
学校現場:卒業式や学習発表会でこの曲を取り上げる小中学校が全国に広がり、「命」「明日」「希望」という普遍的なテーマを音楽を通して学ぶ機会となっています。
■ 山本瓔子先生とのご縁
この「あすという日が」の作詞者である山本瓔子先生は、私がかつて校長を務めていた横浜市立北綱島小学校の校歌の作詞者でもあります。在職中、先生を学校にお招きしてお会いした際には、言葉の力をとても大切にされている姿勢と、子どもたちへの深い愛情が印象的でした。穏やかなお人柄の奥に、詩に宿る祈りのような感性を感じ取り、今でも強く心に残っています。
■ 音楽の力で命を守る
「あすという日が」は、防災の現場で声高に指示を出すような曲ではありません。しかし、それゆえに、人々の心の奥深くに染み入り、命の大切さを優しく、確かに伝える歌となっています。音楽には、人を励まし、つなぎ、癒す力があります。
そしてそれは、防災の根底にある「人を想う力」そのものなのです。

第9章 防災の図⼯
図工における防災教育の3つの目標
1.災害の記憶や命を守る気持ちを形にする力を育てる
防災ポスターや安全マップ、津波や地震の体験をもとにした絵画など、自分の中の思いや記憶を形にして表現することで、防災を「自分ごと」として考える力を育てます。
2.安心・安全なまちづくりを想像し、表現する
「こんな町だったら安全だ」「こうすれば災害時も安心だ」といった発想を絵や模型で自由に表現し、子どもなりの防災デザイン力を育てます。未来の防災都市を考えるきっかけにもなります。
3.仲間と協働して防災を伝える作品づくりを学ぶ
共同制作や地域の掲示に向けた防災ポスターづくりを通じて、他者と協働して災害への思いを社会に伝える力を育みます。展示活動は地域とのつながりを深める機会にもなります。
「見る・感じる・表す」ことで育つ命への感受性。図工は、防災を“行動”だけでなく“心”から支える力を養う教科です。
・絵画から感じ取る災害の実態
弘前市役所稲むらの火の像

  • モニュメントと震災記憶の可視化
  • 地震発生時の八木熊次郎(彩霞) 大正12 (1923)年9月 八木彩霞画『関東地方大震災画録』 横浜開港資料館保管
    地震発生時の八木熊次郎(彩霞)
    大正12(1923)年9月1日 / 『関東地方大震災画録』より(所蔵:横浜開港資料館)
    この絵は、横浜・元街小学校の教員であり画家でもあった八木熊次郎(雅号:八木彩霞)が、自らの体験をもとに描いたものです。大正12年9月1日――関東大震災のその日、八木は始業式を終えた後、散髪を済ませ、そのお店で食事をとっていたそのとき、突然の激しい揺れに襲われました。
    画面には、崩れゆく町、煙を上げる家屋、逃げまどう人々の姿が克明に描かれています。これは単なる記録画ではなく、「子どもたちの命を守りたい」という教員としての思いと、災害の記憶を後世に伝えようとする使命感が込められた防災教育の貴重な教材でもあります。
    高島山から見た横浜の大火災 大正12(1923)年9月 八木彩霞画 『関東地方大震災画録』 横浜開港資料館保管
    高島山から見た横浜の大火災
    大正12(1923)年9月 関東大震災 / 八木彩霞画『関東地方大震災画録』より(所蔵:横浜開港資料館)
    この絵は、大正12年9月1日に発生した関東大震災直後の横浜市街の様子を、高島山(現在の高島町付近)から俯瞰して描いたものです。描いたのは当時の画家・八木彩霞で、火災によって街全体が黒煙に包まれ、建物が次々と焼け落ちていく様子が迫真の筆致で表現されています。
    関東大震災では、横浜の街の大部分が焼失し、多くの命が失われました。この絵は、被災者や目撃者の記憶、そして実際の火災被害を元に描かれた貴重な記録画であり、防災教育においては「地震による二次災害(火災)の恐ろしさ」を視覚的に伝える教材として高い価値を持ちます。
    絵の中では、赤く染まる空、折れ曲がった電柱、逃げ惑う人々の姿が見てとれ、自然災害の脅威と都市の脆弱性、そして人間の命のはかなさを感じさせます。私たちはこの絵を通して、「過去に何があったか」を知ると同時に、「これから何を備えるべきか」を考えなければなりません。
    鉄人28号モニュメント — 復興の象徴をかたちに
    この巨大な「鉄人28号」のモニュメントは、1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区に建てられました。高さ15.3メートル、重さ50トンのこの像は、地元出身の漫画家・横山光輝氏の作品から着想を得たもので、被災地の希望と再生のシンボルです。
    復興に向けた住民の想いと努力、そして地域の絆をかたちにしたこの作品は、単なるアートではなく、防災や命の大切さを学ぶきっかけにもなります。作品の背後には、「街を元気にしたい」「忘れないでほしい」という人々の願いが込められています。

第10章 外国語
世界の言葉で学ぶ防災の力 〜伝える・つながる・助け合う〜
外国語科(主に英語)では、言語を通じたコミュニケーション力を育て、異文化理解や協働の態度を養うことが求められています。防災教育では、「命を守るための情報を英語で理解・伝える」「外国人との共助意識を育てる」「世界の災害を学び、比較する力」を養うことができます。
🔹 外国語における防災教育の3つの目標
1.災害時に使える基本的な英語表現を身につける
避難誘導や安否確認、応急処置、警報の理解など、緊急時に命を守るための基本的な英語表現(例:”Evacuate now!” “Are you okay?” “Fire! Call 119.”)を実践的に学びます。
2.外国人住民との共助を意識し、多言語支援の視点を持つ
地域に住む外国人との防災共助の必要性を知り、言語の壁を越える姿勢ややさしい英語表現、翻訳アプリの活用などを通して、多文化共生の視点を育てます。
3.世界の災害や防災文化について英語で学び、比較する
海外の大災害(例:ハリケーン・カトリーナ、スマトラ沖地震など)を英語教材として取り上げ、日本との違いや国際的な連携の重要性を考える学びにつなげます。
🤝
第11章 特別活動編
行動につなぐ防災教育 〜体験・協働・実践力を育てる〜
特別活動では、学級活動・児童会(生徒会)活動・学校行事などを通して、望ましい人間関係や社会性、自主性を育てることが目標とされています。防災教育においては、「行動を伴う体験」「集団での判断と協力」「地域とのつながり」を大切にしながら、実践的な力を育てる場となります。
🔹 特別活動における防災教育の3つの目標
1.避難訓練・安全点検を通じて命を守る行動を体験する
地震、火災、風水害などを想定した定期的な避難訓練や安全指導を通じて、身体で覚える行動習慣を身につけます。自分で判断し、周囲と協力しながら命を守る行動を実践的に学びます。
2.学校行事や学級活動で防災をテーマに取り組む
防災マップの作成、防災集会の企画、防災スローガンの募集など、児童・生徒が主体的に取り組む活動を通じて、防災を「自分たちの課題」として捉える態度を育てます。
3.地域との連携を深め、共助の意識を育てる
地域防災訓練や地域行事への参加、高齢者施設との交流などを通じて、地域の一員としての責任と共助の姿勢を実感的に学びます。学校と地域が一体となって防災を支える姿勢が育まれます。
特別活動は、教科で学んだ知識を「行動」に変える重要な場です。防災教育においても、体験を通じて命を守る行動力を養う実践の場として、大きな役割を担っています。
「おかしも」だけでは防災力は育たない

多くの学校で火災時の避難訓練といえば、児童・生徒に「お・か・し・も」、つまり「おさない・かけない・しゃべらない・もどらない」を徹底させることが中心になっています。もちろん、この基本動作とマナーを守ることは混乱や二次被害を防ぐために重要です。しかし、それだけで本当に命が守れるのでしょうか。
ある学校での避難訓練の現場では、生徒が少し声を出したことに対し、指導者が「やり直し!」と大声で叱責する姿が見られました。訓練の主旨が「静かに逃げること」だけになってしまっていたのです。後の研究会で助言者はこう指摘しました。
 「やり直すべきは、生徒ではなく職員の皆さんです」。
避難誘導は行われていましたが、「通報」も「初期消火」も「救護」も、職員は誰ひとり実施していなかったのです。
 これが、現実の日本の多くの学校における防災訓練の姿です。
■ 教育の成果が試されるのは、学校の外の火災である
こうした教育の下で育った子どもたちは、数年後には社会人となり、親となり、地域の一員として生活していきます。そのとき、職場で、家庭で、駅で、あるいは電車の中で火災に遭遇したらどうするでしょうか。
 「おかしも」しか教わっていなければ、「しゃべらない」ことだけを守って立ちすくむしかないのです。
火災防災訓練の目的は、「火から逃げる練習」ではなく、「命を守る力を育てる教育」です。
 そのためには、火災発生から避難完了までの全過程を職員が主体となって実演・実践する必要があります。
■ 学校の火災訓練は、職員の自衛消防訓練である
消防法では、学校も含む建築物において自衛消防組織(職員による初期対応組織)の設置と訓練が義務づけられています。つまり、学校の火災訓練の本質は、職員の組織的対応力の強化にあります。
以下のように、学校の火災訓練は再構築されるべきです。

■ 校長講話の「伝え方」が未来を変える
訓練後の校長講話では、「おかしもが守れてえらかったね」と締めるだけでなく、職員が通報・初期消火・避難誘導の自衛消防組織として実働していた具体的行動を、児童にわかりやすく紹介することが大切です。
年に数回は、児童・生徒の前で職員が消火器を使った初期消火や、屋内消火栓の訓練を実演する場面を設けることで、将来「火災に対応できる大人」を育てる第一歩になります。

■ 教育委員会・校長の責務としての点検と公開
すべての学校は、次のことを防災計画・消防計画・職員会議協議資料に明記し、実践し、毎年点検・改善する責務があります。
火災訓練は「職員自衛消防組織の訓練」であること
自衛消防組織が訓練で活動することを明示
児童には「命を守る判断と行動力」を育てる防災教育とすること
こうした教育こそが、子どもたちの未来を守り、地域を守る人材を育てる礎となります。

■「本物の防災教育」は職員の行動から始まる
火災は、いつ、どこで起こるかわかりません。災害時に最前線にいるのは、いつの時代も「その場に居合わせた人たち」です。
学校が火災から子どもたちを守るのはもちろんのこと、将来、子どもたちが誰かの命を守る人になるために、今、教育として何を見せるか・何を伝えるかが問われています。

第3節 首都圏の学校に求められる「現実に備えた引き取り訓練」
― 東京都の一斉帰宅抑制方針をふまえた防災計画の再構築 ―

■ 「訓練は現実のために」…はずだったのに?
多くの学校で実施されている引き取り訓練。そこでは、「午後2時に保護者が安全に学校へ迎えに来て、子どもを引き取る」という想定のもと、整然とした訓練が行われています。
一見すると模範的な防災訓練に見えるこの風景。しかし、この想定そのものが、現実の災害時とは大きく乖離していることに、どれだけの教育関係者が気づいているでしょうか。
■ 「都内勤務の保護者が来られる訓練」は非現実的である
たとえば、東京都心で震度6弱以上の首都直下地震が起こった場合、
 都内在勤者は、一斉帰宅抑制方針に基づき、原則としてその場に留まることが求められます。
東京都は、災害発生から24時間は帰宅困難者が移動せず、消防・救急・物資輸送を妨げないよう強く要請しており、企業や公共施設もこれに協力しています。
つまり、横浜・川崎・千葉・埼玉など、首都圏に隣接する通勤圏の学校では、「保護者がすぐに迎えに来ること」を前提にしてはならないのです。
■ 引き取り訓練の見直しは「首都圏全体の協力」である
東京都が一斉帰宅抑制を行うのは、東京のためだけではありません。
 それは、首都圏全体の命と社会機能を守るための“都市防災の基本政策”です。
したがって、神奈川・千葉・埼玉の学校は、この方針を理解し、協力し、対応する防災計画を立てなければなりません。
■ 首都圏の学校防災計画が果たすべき役割
通勤圏にある学校が、東京都の方針と連携した防災対応を行うためには、次のような観点から防災計画と訓練の見直しが必要です。
🔹 ①「迎えに来ない保護者」を前提とした児童生徒の長時間保護体制の確立
備蓄(24時間滞在)体制
校内避難スペースの分散運用
トイレ、水、アレルギー対応などの実務体制
🔹 ② 家庭との情報共有体制の強化
保護者連絡先と引き取り代理人情報の正確な管理
学校HP、メール、掲示板等による通信障害下でも届く安否情報の工夫
「引き取りに来ないことも想定しておいてください」という説明の明記
🔹 ③ 地域との共助体制の明文化
学校と自治会、防災拠点、地域ボランティアとの協定化
地域内一時避難者との空間共有ルールの設定
■ 訓練も「来ない訓練」「泊まる訓練」に変えるべき
現状の引き取り訓練は、保護者が時間通りに来る前提で「行事化」してしまっているケースが多くあります。
 しかし、首都直下地震のような災害では、その前提そのものが破綻します。
これからの引き取り訓練は以下のように変わるべきです。
■ 子どもを守ることは、都市機能を守ること
保護者が帰宅を自粛できるのは、学校が確実に子どもを守ってくれるという信頼があるからこそです。
学校は単に教育を行う場ではなく、災害時には地域の「命のセーフティネット」になります。
だからこそ、東京都の方針と連携し、子どもたちを守ることで都市を守るという視点が、今後の学校防災計画には不可欠なのです。

■ 学校を拠点とした防災教育の新たな地平
子どもたちの命を守る力を育てるためには、災害時にただ避難できるだけでなく、日常から地域とつながり合い、支え合う力が不可欠です。とくに近年、地域コミュニティの希薄化が進む中で、学校という日常の生活拠点を中核にした「地域とともにある防災教育」の重要性が高まっています。
こうした課題にいち早く向き合い、具体的な制度設計と教育実践を通して「学区単位の防災地区構築」を実現したのが、横浜市立太尾小学校と北綱島小学校の事例です。

■ 太尾小学校の実践:「学区が一体となる防災文化の育成」
横浜市立太尾小学校(鷲山校長在任2014〜2015年度)では、児童の半数以上がマンション住民でありながら、多くのマンションが自治会に未加入という課題を抱えていました。その結果、地域行事や防災訓練に参加できない児童とそうでない児童の間に乖離が生まれ、地域全体の防災力にも影響を及ぼしていたのです。
この状況を打破するため、学校運営協議会会長と鷲山校長を中心に、地域の自治会、PTA、「お父さんの会」、学校職員が一体となって協議を重ねました。そして2015年、「自治会・マンション連携防災会議」を開催し、すべてのマンション代表者が初めて一堂に会する歴史的な転機が訪れます。
以降、地域全体での一斉初期対応訓練が毎年実施され、児童・保護者・職員・地域住民約2,000人規模が参加する「防災Day」が学校と連動して実現しました。授業ではSDGsやESDと連動した防災学習が展開され、「ふるさと太尾震災時行動マニュアル」は8000戸に配布され、学校HPにも公開。これは実質的な「地区防災計画」として全国的に注目されています。
さらに、太尾小の学校運営協議会では、学校経営PDCAサイクルと連携した地域・保護者協働型の防災教育が制度化され、総務大臣賞(防災まちづくり大賞)を受賞しました。

■ 北綱島小学校の実践:「授業と地域訓練の一体化モデル」
もう一つの実践校、横浜市立北綱島小学校(鷲山校長在任2010〜2013年度)では、「授業参観+地域防災訓練」の同時開催という画期的なスタイルを導入しました。
児童・保護者・地域住民が一体となって、学年ごとに設けられた初期消火訓練、毛布搬送、ジャッキアップ、応急手当、風水害対応などの年間プログラムを6年間にわたり系統的に学ぶという仕組みです。このモデルは「きたつな安全防災プログラム」としてカリキュラム化され、地域防災拠点委員会が作成した風水害対応マニュアルは「地区タイムライン」として全戸に配布されました【外部論文†https://www.jsnds.org/ssk/ssk_40_2_000_1.pdf】。
この実践により、子どもたちは最上級生になると「防災リーダー」としての自覚を持ち、地域での避難誘導や救護活動にも主体的に関わるようになります。2018年度には「地域学校協働活動」により文部科学大臣表彰を受賞し、2024年度には文科省有識者会議に報告されました。

■ 提言:全国一律「学区単位の地区防災計画」構想へ
太尾小・北綱島小の事例は、「学区=生活圏」という自然な単位で、防災の共助体制を築くことの可能性を示しました。このアプローチは、地域区分の壁を越え、「学校を中心とした共助圏づくり」という観点から、防災政策に新たな一石を投じるものです。
したがって、今後は全国の学区を「地区防災計画の基本単位」として法制度上明記し、策定・運用を義務化する制度改革が必要です。この制度は以下のようなメリットを持ちます。
児童・保護者・地域住民・学校職員が共通の「命を守るマニュアル」を持つ
授業と訓練が融合し、地域に防災文化が根づく
教育と地域づくりが一体となり、持続可能な地域防災社会が形成される
防災立国を実現するには、地域が主役となり、学校がその核として機能する「命を守る教育」の制度化が不可欠です。これらの実践が示すように、それは“可能”ではなく、“すでに実現している”モデルとして、いま全国に広げていくべき時を迎えているのです。
この文章を基に、冊子・政策提言書・スライド教材としても編集可能です。必要に応じて次の展開をご提案できますので、お気軽にお知らせください。

第12章 総合的な学習の時間
総合的な学習の時間編:問いを立て、未来をつくる防災学習 〜課題探究で命と社会を守る力を〜
「総合的な学習の時間」では、教科等の枠を越えて、児童生徒が自ら課題を見つけ、主体的に学び、他者と協働しながら解決を目指す力を育てます。防災というテーマは、地域、環境、国際、福祉、科学、持続可能性などさまざまな分野に関わる複合的な学習領域として極めて有効です。
🔹 総合的な学習における防災教育の3つの目標
1.地域や歴史から課題を見つけ、防災を自分ごととして探究する
地域の災害史、避難体制、防災施設、過去の被災体験者の声などから課題を発見し、「なぜこの地域では火災が起きやすいのか」「避難所は足りているか」など、問いを立てて学びを深める。
2.多様な資料や教科を横断し、防災の課題を多角的に分析する
地図、統計、防災マップ、インタビューなどを活用し、理科・社会・家庭科・保健などと連携した探究活動を行うことで、現実の課題解決に必要な視点を広げる。
3.学んだ成果を表現し、社会に向けて発信・提案する
防災新聞、プレゼン、地域報告会、マニュアル作成、防災標語・絵本・映像制作など、多様なアウトプット手法で、自らの考えを社会に伝え、命を守る文化を創造していく力を育てる。
「命を守る防災」は、子どもたちが未来をつくる力を育む総合的な学びの格好のテーマです。知識を越えて、行動と社会変革へとつなぐ探究的防災学習が、これからの時代に必要とされています。
「奇跡」は偶然ではない
~子どもたちが自ら命を守った、防災教育の実践~

2011年3月11日、午後2時46分。
大地が激しく揺れ、黒い波が町を飲み込もうとしていた――。
岩手県釜石市、鵜住居(うのすまい)地区。
そこにある釜石東中学校と鵜住居小学校の校舎には、子どもたちの命がありました。
あの日、彼らは逃げました。叫び、走り、助け合いながら、高台へ駆け上がりました。
誰かに命令されたのではありません。
教師が指示を出す前に、中学生たちは自主的に避難を始めていたのです。
その姿を見て、小学生たちも後に続きました。
そして、津波が到達する前に、全員が無事に避難を完了したのです。
写真を見ると、中学生は小学生の背を押しているし、みんなかけているし、先生に、「ここはやばい!もっとたかいところに」としゃべったそうです。
「おかしも」を守っていませんが、この子達は全員津波からの避難と生存を果たしました。
それは「奇跡」と呼ばれました。
けれど、本当にそれは奇跡だったのでしょうか?
◆ 命を守る力は、学びで育つ
釜石の奇跡には、確かな理由がありました。
それは、震災前から学校と地域が一体となって積み上げてきた、防災教育の力です。
2008年、釜石東中学校では、総合的な学習の時間に「EAST-レスキュー」という名の防災プログラムをスタートさせました。
「自分の命は自分で守る」「助けられる人から助ける人へ」
そして、「防災の文化を次世代へ伝える」
――この3つの柱を、生徒たちは3年間かけて学び、身につけていったのです。
◆ 津波は歴史が教えてくれる
生徒たちは、明治・昭和・チリ地震など、過去の津波の歴史を地域の古文書や語り部から学びました。
学校の壁には、かつての津波の到達点を示す巨大な矢印が掲げられました。
実物の高さを見ることで、「津波はここまで来るんだ」と実感するのです。
教師が校庭で軽トラックを走らせ、「津波が来たぞー!」と叫ぶ中、生徒たちは全力で逃げる訓練もしました。
時速36キロ。津波のスピードは、思ったよりも速い。
「ランドセルを背負っていたら逃げられない」――子どもたちは自ら体で学びました。
◆ 防災リーダーとして伝える
3年生になると、生徒たちは自ら防災劇を作り、ビデオにまとめました。
題して「てんでんこレンジャー」。
津波が来たら「てんでんばらばらにでも、各自が命を守る行動をとる」――
そんな伝承を、劇と笑いと涙で伝えます。
この映像は地域の家庭で視聴され、他校や他県にも広がっていきました。
生徒たちは単なる受け手ではなく、「伝え手=語り部」となったのです。
そして、あの日。
地震の揺れが収まった瞬間、誰かが叫びました。
「高台へ逃げよう!」
訓練のとおり、荷物は持たない。点呼もとらない。まずは命。
中学生たちが率先して走り、小学生たちがついてくる。
地域の人もその背中に引き寄せられるように、逃げ始めました。
誰一人、立ち止まらなかった。
それはまさに、「自らの判断で命を守る」力を育んできた結果でした。
◆ 教訓:防災教育は“人を変える”
釜石の奇跡は、偶然ではありません。
日常の教育の積み重ね、地域との信頼、子どもたちの主体性が結びついて生まれた、“必然の結果”なのです。
私たちはこの実践から学ばなければなりません。
防災教育とは、「知識を教えること」ではなく、「行動できる力を育てること」です。
そしてそれは、国語でも、理科でも、体育でもなく、総合的な学習の時間だからこそ、地域とつながり、人とつながる教育として成立したのです。
命を守るために、学校は何ができるのか。
その問いに、釜石の子どもたちは、すでに答えを出してくれているのです。
用文献一覧(釜石の防災教育に関する章)
大平 勇(2012)『震災を生き抜いた子どもたちが学んだ津波の歴史と防災:地域に学ぶ教育実践の記録・釜石東中学校(1)』
文部科学省(2013)『実践的な防災教育の手引き』https://anzenkyouiku.mext.go.jp/
文部科学省(2012)『学校防災のための参考資料』https://anzenkyouiku.mext.go.jp/mextshiryou/data/saigai03.pdf
森本 晋也(2021)『自ら考え行動するための防災教育 ―釜石の実践をふまえて―』日本教育新聞インタビュー
【防災教育カリキュラム例】(小・中・高 対応)
🔶 小学校(高学年向け)年間カリキュラム例
🔷 中学校(全学年共通モデル)
🔶 高等学校(「地理総合」+特別活動を中心)
📌 共通の教育視点
🔸 主体性・協働性:「自分が守る」から「人も守る」へ
🔸 地域密着型学習:地域資源と連携、防災士・消防・自治体と協働
🔸 教科横断:社会×理科×家庭×体育の融合で深い学びを実現
🔸 家庭との連携:防災マップ・非常用持出品・避難経路の家庭学習

第22章 防災の道徳
道徳編:いのちを思い、いのちを守るこころ 〜防災を通じた人間性の育成〜
道徳科では、自他の生命を尊重し、思いやり、公共の精神を育てることが基本的な目標とされています。防災を道徳で扱うことで、災害と向き合う人々の姿から「いのちの尊さ」「共助の大切さ」「正しい判断と勇気」について深く学ぶことができます。
🔹 道徳における防災教育の3つの目標
1.災害時の行動や人々の姿から、命の尊さと他者への思いやりを学ぶ
「自分の命と他人の命、どちらも守るにはどうしたらよいか」を考えることを通じて、命を尊重し、協力し合う価値観を育てます。避難誘導をした教員や、救助活動にあたった市民の事例などを教材に取り上げます。
2.災害に対する責任ある行動と勇気を考える
「火事か避難か」「助けるか、自分が逃げるか」など、葛藤を伴う場面における正しい判断とは何かを考え、命を守るための道徳的判断力を育てます。
3.共助・公助の心を深め、防災社会の一員としての自覚を持つ
地域や学校での防災活動に参加する意義や、自分の行動が周囲の命にも影響することを理解し、「自分のためだけでなく、誰かのためにも行動する」姿勢を育てます。
防災は、人の「こころ」が試される場面でもあります。道徳で防災を学ぶことは、子どもたちが将来、命の危機に直面したときに「正しく、強く、やさしく」行動するための土台をつくる学びとなります。

第1節 「自助・共助・公助」の心 上杉鷹山に学ぶ防災の精神
今、私たちは「防災」を考えるとき、しばしば次の三つの言葉に出会います。
「自助・共助・公助」
この言葉は、災害時に命を守る行動の基本的な考え方として、国や自治体の防災計画、学校教育、地域の防災訓練など、さまざまな場面で使われています。
けれど、こうした大切な言葉がどこから来たのか、知っている人は少ないかもしれません。
実はこの言葉のもととなった考え方は、江戸時代の米沢藩藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)の言葉に由来しています。
■ 破綻した藩を立て直した若き藩主
上杉鷹山が米沢藩の藩主となったのは、彼がわずか17歳のとき。
当時の米沢藩は、度重なる戦や贅沢な支出のせいで財政が破綻寸前の状態でした。藩の借金は膨れ上がり、武士も民も苦しんでいたのです。
そんななか、若き鷹山は改革に立ち上がります。彼はまず、自分自身が質素倹約の生活を実践し、無駄を省きました。さらに、特権を持っていた武士にも農業を奨励し、農民とともに汗を流すよう求めました。
■「自助・互助・扶助」の理念
このとき鷹山が示した政治理念が、現在の「自助・共助・公助」にあたるものでした。
当時の言葉では、こうです。
「自助・互助・扶助」
自助:自分自身の力で生きる努力をする。農民であれば、自ら働き、工夫して暮らしを立てる。
互助:隣人どうしが助け合う。村落の中で水や道を分かち合い、共同で災害に備える。
扶助:藩政(今でいう行政)が、困っている人々を支援する。藩主として、民のために最善を尽くす。
鷹山はこの三つの力が互いに支え合い、循環する社会こそが、災害や飢饉などの困難を乗り越える基盤になると考えました。
■ 天明の大飢饉を乗り越えて
1780年代、東北地方を中心に大きな被害をもたらした天明の大飢饉が発生します。多くの藩が食糧不足に苦しむ中、米沢藩では備蓄と助け合いの体制が整っていたため、比較的被害を小さく抑えることができたと伝えられています。
このとき、鷹山は自ら米を倉から放出して配り、農民を見捨てることはありませんでした。また、村落では互助の精神に基づいて炊き出しや助け合いが自然に行われたといいます。
■ 「自助・共助・公助」を防災の魂に
現代の日本では、「公助」は国や自治体の支援を指し、「共助」は地域や隣人との助け合い、「自助」は自分自身の備えを意味します。
この言葉は決して新しいものではなく、上杉鷹山の治世において既に形づくられていた社会の知恵なのです。
私たちも、災害に備えるだけでなく、困難な時代をどう生きるかを考えるとき、この鷹山の知恵に学ぶことができます。
―上杉鷹山の精神と道徳の四つの観点から考える―
「防災は特別なことではなく、日常の生き方の中にある。」
この本では何度もそのように述べてきましたが、そのことを最もよく表しているのが、江戸時代の名君・上杉鷹山(ようざん)が示した「自助・共助・扶助(現代の公助)」という考え方です。
鷹山は、財政が破綻した米沢藩を立て直し、天明の大飢饉のような災害の危機にも、人と人、組織と社会が支え合うしくみを築くことで乗り越えました。その基盤となったのが、一人ひとりの生き方に向き合った政治哲学=道徳的実践でした。
■ 「自助・共助・公助」は、現代の道徳教育の4観点と重なる
現在の学校教育において、道徳の学習は4つの観点に基づいて行われています。
主として自分に関すること(例:誠実、節度、向上心)    自助
主として他者に関すること(例:思いやり、礼儀、協力)   共助
主として社会に関すること(例:公共心、法やきまり、勤労) 公助
主として自然や崇高なものに関すること(例:自然愛護、生命尊重、先人の知恵)
この4つは、それぞれが自助・共助・公助の考え方と美しく対応しています。
■ 防災は、道徳の実践でもある
例えば、非常食を備える、家具を固定するという行動は、「自助=自分を守る力」。
地域の高齢者を気にかける、「避難所で静かに過ごす」という行動は、「共助=他人を思う力」。
行政が整備するハザードマップを確認したり、防災訓練に参加したりするのは、「公助=社会に協力する力」。
そして、「自然の恵みがあるからこそ災害も起きる」ということを学び、先人たちの知恵や犠牲の上に今があると知ることもまた、大切な道徳の学びです。

災害に向き合い、未来を守る心 〜二宮尊徳の生き方に学ぶ〜
江戸時代後期、農村の復興に力を尽くした人物に二宮尊徳(にのみや そんとく)がいます。貧しい農家に生まれながら、勤勉と努力、そして利他の心をもって多くの困窮した村々を立て直しました。その生涯には、自然災害と向き合い、人々の命と暮らしを守ろうとした強い意志が込められています。
🔹 災害と飢饉に立ち向かった青年期
幼い頃に洪水で田畑を失い、家計を支えるために働きながら学問を続けた尊徳は、自然の厳しさと共に生きる大切さを体で学びました。荒れた土地を耕し、村を復興させることで「自助・共助・公助」の原点ともいえる思想を育てていきます。
🔹「積小為大」と「報徳」の精神
尊徳の教えに「積小為大(小さな努力を積み重ねることが大きな成果になる)」があります。これは防災にも通じる考え方です。日々の備え、近隣への声かけ、避難路の確認…すべてが命を守る力になります。また「報徳」とは、受けた恩に報いること。災害時に助け合う心もまた、尊徳の精神そのものです。
🔹 村を守る防災リーダーとしての姿
各地の飢饉や水害に対して、尊徳はため池の整備や堤防の修築、農地の再開発に取り組みました。その姿は、まさに防災まちづくりの先駆けでした。彼は災害のあとに「どうやって立ち直るか」に力を注ぎ、復興だけでなく「次に備える村づくり」を目指しました。
🔹 全国の小学校に像が建てられた理由
二宮尊徳の像は、薪を背負いながら本を読む姿で全国の多くの小学校に建てられています。これは、彼の勤勉さ・向学心・誠実さ・忍耐力・そして困難に立ち向かう精神を、次の世代の子どもたちに伝えるためです。また、地域の再建と災害への備えに尽力した姿勢は、「防災道徳の原点」として、現代にも生きています。
二宮尊徳の生き方は、「人のために尽くすこと」「日常から備えること」「困難から逃げずに向き合うこと」の大切さを教えてくれます。道徳としての防災教育は、こうした生き方を知ることで、命と地域を守る心を育てていくことができます。

第2節 渋沢栄一の関東大震災後の復興支援
震災発生直後、83歳の渋沢は、政府の支援が行き届かない分野での支援を目的として、経済人や医師らと共に「大震災善後会」を設立しました。この組織は、被災者の収容、炊き出し、災害情報板の設置、臨時病院の確保など、多岐にわたる支援活動を展開しました。国内外から集まった義援金や物資は約7000万円(現在の約2100億円に相当)に達し、渋沢は海外の経済人にも支援を呼びかけました。
帝都復興審議会での役割
政府が設置した帝都復興審議会のメンバーとして、渋沢は東京の再建計画に関与しました。彼は、東京を単に元の状態に戻すのではなく、将来の発展を見据えた都市計画を提案しました。具体的には、京浜運河の開削、横浜の自由港化、東京築港、港湾へのアクセス向上のための大型道路建設などを提案し、東京を国際ビジネスの中心となる商業都市へと再構築する意欲を示しました。
「論語と算盤」の理念の実践
渋沢は、「道徳のない経済は罪悪であり、経済のない道徳は寝言である」と述べ、道徳と経済の両立の重要性を説きました。彼の復興支援活動は、この理念を実践したものであり、利他の精神に基づく経済活動が社会の再建に寄与することを示しました。彼の行動は、現代の防災政策や企業の社会的責任(CSR)の基礎としても重要な教訓となります。

第3節 地震災害から命を守るために生きた人 〜今村明恒博士の生涯〜
日本の地震学の礎を築いた今村明恒(いまむら あきつね)博士は、「命を守ることの大切さ」を科学と教育の両面から追い求めた人物です。災害によって多くの命が奪われる時代にあって、博士は生涯をかけて防災の必要性を説き続けました。
🔹 関東大震災と「今村・大森論争」
今村博士は、1923年の関東大震災の前から「首都直下型地震の危険性」を警告していました。当時、東京帝国大学の同僚であり日本の地震学のもう一人の礎である大森房吉博士と、「地震の予測は可能か否か」を巡って激しく意見を交わしました。これが有名な「今村・大森論争」です。結果として、震災は博士の予測通りに起こり、地震予知と減災への社会的関心が急激に高まりました。
🔹 各地を巡る講演活動
関東大震災以降、今村博士は全国を巡って市民向けの講演を行いました。難しい地震学の理論を、子どもや一般の人々にも伝わる言葉で話し、「命を守る行動」の大切さを各地で語りました。博士の講演は「地震で死なない社会をつくるための語りかけ」として、多くの人に感銘を与えました。
🔹 防災教育への情熱と「稲むらの火」
博士は津波避難を描いた民話「稲むらの火」の教育的価値に着目し、学校教育に積極的に取り入れるよう働きかけました。「村人を救った早期避難の知恵」は、防災道徳の教材として全国に広まり、今日に至るまで活用されています。
🔹 東南海地震に備える観測活動
戦後も博士は地震の予測と観測体制の整備に力を尽くしました。1944年の東南海地震に備えた地殻変動の前兆観測や、沿岸部の隆起・沈降に関する研究は、現在の地震防災科学の基礎となりました。
🔹 晩年と後世へのメッセージ
晩年の博士は、科学だけでなく「心の備え」も重要だと繰り返し語りました。人は災害の瞬間、知識だけでは動けない。大切なのは「日ごろからの心構え」と「助け合いの精神」だと。

第3節 被災地で問われる「人権」という道徳
~避難所は、すべての人にとって安心できる場所か~
◆ 災害が起きた時、「誰かの命」が後回しになっていないか

大地震や水害などの災害が発生すると、人々は自宅を離れ、避難所で共同生活を送ることになります。そこには、男女、年齢、家族構成、国籍、障がいの有無など、さまざまな立場の人が集まります。
私たちは「困った時はお互いさま」と言いますが、実際の避難生活では、一部の人の声がかき消されてしまうことがあるのです。
たとえば、以下のような事例が報告されています。
女性が安心して着替えたり、授乳できる場所がない
生理用品や下着が足りず、恥ずかしさから申し出られない
男女の雑魚寝で不安を感じるが、言い出せない
DVの加害者と同じ避難所にいなければならず、苦しみが続く
障がいや外国語の壁で、必要な支援が届かない
避難所は本来、「命を守る」ための場所です。けれども、配慮や準備が足りなければ、誰かが「我慢する場所」になってしまいます。
◆ 人権問題は「災害時に突然起こる」のではない
被災地で起こる人権の問題は、実は災害前から社会にあった問題が、災害によって表面化したものです。
日常からあった男女差別の意識
家庭内で続いていた暴力(DV)
性的少数者や外国人に対する無理解
高齢者や障がい者へのサポートの不十分さ
災害が起きると、生活の場が一気に不自由になり、これまで見えなかった「脆さ」が現れます。災害は社会の弱さを映す鏡でもあるのです。
◆ 「配慮ある避難所」をつくるために必要なこと
では、誰もが安心できる避難所をつくるには、どうしたらよいのでしょうか?
答えの一つは、「さまざまな立場の人の声を、運営に反映させること」です。
たとえば──
女性が避難所の運営に参加する
子育て世代、高齢者、障がいのある人の視点を活かす
性的マイノリティへの配慮をマニュアルに明記する
プライバシーを守る間仕切りや専用スペースを確保する
生理用品、下着、ケア用品などの備蓄を充実させる
こうした取り組みがあるだけで、避難所の雰囲気は変わります。避難者が「ここにいていいんだ」と思える場所になります。
◆ 「ボランティア任せ」「自治体任せ」にしない仕組みを
実際には、避難所の運営が被災した自治体や、無償のボランティアの力だけに頼らざるを得ない現状もあります。
そこで近年提案されているのが、被災地以外からの専門チームの派遣です。
たとえば「TKB48」という考え方があります。これは発災から48時間以内に、
T:清潔なトイレ
K:温かいキッチン(炊き出し)
B:身体にやさしいベッド
を確保しようという取り組みです。
さらに、これらを含む避難所セット(テント、照明、簡易トイレなど)を「ユニット化」し、専門訓練を受けたチームとともに迅速に現地に届ける仕組みも考案されています(SUM基準)。
これを実現するには、防災庁のような司令塔機能をもつ国家的な組織が、装備や人材を整備・訓練し、非常時に全国から投入する体制が必要です。
◆ 「誰も取り残さない」ために、私たちができること
人権を守る防災とは、特別なことではありません。たとえば、次のような行動が大切です。
地域の避難所の運営に、女性や多様な人が関われるようにする
学校・職場で、DVや性被害に関する理解を深める
避難訓練で、「通報」「誘導」「配慮」などの観点も学ぶ
自治体の避難所マニュアルに、人権の視点があるか確認する
そして何より、「災害時だから仕方ない」と思わず、
平時から人を思いやること、弱い立場に心を向けることが、防災の第一歩なのです。
◆ 人の命を守るとは、その人の尊厳を守ること
避難所の課題は、ただの環境問題ではありません。
それは、「誰を大切にするか」「どの声を聞くか」という、社会の姿勢そのものです。
だからこそ、防災を「技術」や「制度」だけにしないで、人の尊厳を守る“道徳”として捉えることが必要なのです。
災害は誰にでも起こりえます。
その時、あなたの周りの避難所が「すべての人にやさしい場所」であるように、
今日からできることを考えていきませんか。
引用文献・参考資料一覧
内閣府男女共同参画局・防災担当(2021)
 「女性の視点に立った防災・復興の取組促進について」
 (令和3年6月11日付 事務連絡)
 https://www.gender.go.jp/kaigi/kihon/taiwa/pdf/r030611_bousai.pdf
甲斐市(2022)
 「女性の視点を取り入れた避難所運営の取り組み」
 https://www.city.kai.yamanashi.jp/soshiki/shimin/bousai/1/1/3888.html
内閣府(2022)
 「避難所における性的マイノリティへの配慮に関する取組指針」
 https://www.gender.go.jp/research/lgbt_shien.html
防災教育推進協会 会報 No.135(2019)
 池田恵子「男女共同参画の視点による避難所運営」
一般社団法人避難所・避難生活学会(2023)
 「SUM基準とTKB48の提言」資料より


第4節 防災はゴミ拾いから
―大谷翔平の行動に学ぶ、日常に根ざした防災の心―
「一つは、ゴミを拾うこと。」
これは、メジャーリーガー・大谷翔平選手が日々実践している心がけのひとつです。
野球のスーパースターである彼が、ごく当たり前のように落ちているゴミを拾う。その姿勢を聞いたとき、私は心が洗われるような気持ちになりました。そしてふと思ったのです。この習慣こそが、実は「防災の原点」なのではないかと。
ゴミひとつが、災害の引き金になることもある
道にゴミが落ちている――ただそれだけのことかもしれません。けれど、そこを通る人は皆、その光景に少なからず心を曇らせます。
たとえば通学路に犬の糞があったら?
子どもが踏んでしまえば、それはその子にとって忘れられない「災難」となるでしょう。
また、路上のゴミが車両や自転車の運転を妨げれば、交通事故に発展する危険もあります。それが大きな破片であれば命に関わることさえあるのです。
小さな行動が、社会を守る
私自身も、マンション内やその周辺に落ちているゴミは気づいたら拾うようにしています。愛犬との散歩中であれば、糞処理用の袋を持っているので、自分の犬のものだけでなく、他の犬の落とし物も回収できます。
運転中に大きなゴミや危険物を見つけたら、ハンズフリー通話で110番に連絡します。
「事故ではありませんが、〇〇高速上り線〇〇キロポスト第三者線に危険物があります」と正確な位置と状態を伝えることで、未然に事故を防ぐことができるのです。
防災は、「日常の暮らし方」に宿る
災害は突然にやってきます。
でも、「防災」は毎日の行動の中にこそ、息づかせることができます。
人と人とのつながりを大切にする。
自分のことだけでなく、まわりの人を思いやる。
困っている人がいたら助ける。
落ちているゴミを見過ごさない。
それが回りまわって、自分の命を守ることにつながるのです。
まさに「情けは人のためならず」――
人にした親切や思いやりは、めぐりめぐって自分の安全にもつながるのです。
子どもたちにも伝えたい「生き方としての防災」
私は、こうした生き方を自分でも続けたいと思っていますし、子どもたちにも伝えていきたい。
防災とは、非常時に何か特別なことをするだけではなく、ふだんの暮らしの中で、人としてどうあるかを問い直すことでもあるのです。
だからこそ、防災は「ゴミ拾い」から始まるのです。

第5節 自然との共生・人との共生
自然の成り立ちと地域社会のしくみを理解し、「いずれ起こる災害」を前提に、日常のふるまい・地域参加・避難行動を主体的に選択できる心構えと実践力を育てます。
1 自然との共生:大地を知り、受け入れ、備えて生きます
(1)郷土の風景を生み出したプレートの動き
日本列島は複数のプレートがせめぎ合う「動く大地」に位置しています。山地・谷・火山・温泉などの恵みは、同時に地震・噴火・津波などのリスクと表裏一体です。自分が暮らす地域の地形・地質を“成り立ち”から学び、恵みと危険を同時に見通す視点をもちます。
(2)活断層や火山を知る
活断層帯の位置、主要火山の活動履歴・影響圏、津波・地震の想定震源域を把握します。怖がるためではなく、距離の取り方、土地利用、建物性能(耐震・制振・免震)やライフラインの脆弱箇所の把握など、具体的な「安全の設計」へ結びつけます。
(3)流水が形づくる谷・平野と災害リスク
扇状地・氾濫原・三角州・旧河道は暮らしやすい一方で、洪水や内水氾濫、地盤の弱さ、液状化などのリスクが高い地域です。標高差、排水経路、土砂移動の方向を地図と現地で確認し、雨型(線状降水帯・台風・雪解け)ごとの危険の出方を理解します。
(4)災害履歴の学習と「いずれ起こる」の受容
地域の地震・津波・噴火・水害・土砂災害の履歴を、年表・石碑・古地図・古写真から学びます。「いつか必ず起こる」を前提にすることはあきらめではありません。恐れを知識と行動に変えるための出発点と捉えます。
(5)生活基盤と行動の整備
・家の耐震化、家具固定、感震ブレーカーの導入、3日以上の水・食料・衛生用品の備蓄(在宅避難も想定)を行います。
・指定緊急避難場所(まず命を守る場所)と指定避難所(生活の場)を複線的に確認します。
・家族の「マイ・タイムライン」(警戒レベルや気象情報に応じた時系列行動計画)を作成し、要配慮者(乳幼児・高齢者・障がいのある人・ペット等)への配慮を織り込みます。
・地震・水害・火山など災害種別ごとに、「高く逃げる/遠く離れる/屋内にとどまる」などの逃げ方を使い分けます。
2 人との共生:地域の一員として、支え合いを日常化します
(1)コミュニティの一員として生きる
近隣、自治会・町内会、マンション管理組合、学校・PTA、地域包括支援センターなど、身近な共同体に所属し、役割と連絡網を共有します。「自助→共助→公助」の連動は、顔の見える関係から始まります。
(2)あいさつと日常のルールを守る
あいさつは最小の安否確認であり、支援を頼み・差し出す関係の土台になります。ごみ出しや自転車置き場、側溝清掃など地区ルールの遵守は、平時の秩序だけでなく、排水機能・避難動線の確保など有事の安全にも直結します。
(3)ハザードマップと地域防災計画に関心をもつ
自宅・学校・職場を中心に、洪水・土砂・津波・地震(揺れやすさ・液状化)・火山降灰などのマップを読み解きます。地域防災計画や地区防災計画の位置づけ、地域防災拠点(学校等)の役割、避難情報(警戒レベル)を理解し、更新時期・連絡先を把握します。
(4)地区防災訓練に参加
年1回以上、受付・安否確認・要配慮者支援・備蓄配布・多言語対応・情報班などの役割を体験します。訓練は「形」ではなく「関係と段取り」をつくる場であり、平時に弱いところを見つけて修正する機会です。小さな参加でも、地域のレジリエンス(回復力)に確実に寄与します。
まとめ:自然にも人にも敬意を払い、約束を守る
プレートがつくった郷土の地形と災害履歴を知り、「いずれ起こる」を受け入れて備えること。地域の一員としてあいさつを交わし、ルールを守り、地図と計画を読み、訓練で役割を試すこと。
この二つの「共生」を日常に根づかせることが、命を守る防災の出発点であり、防災立国の持続可能性を支える道徳だと考えます。

第6節 「為せば成る」
終章まとめ:命を守るために、日々の「生き方」を育む
上杉鷹山の「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉は、防災にも深く通じます。防災とは、災害による被害を最小限に抑えるための、具体的な「システムづくり」であり、理想を語るだけでは何も変わりません。誰が、何を、いつまでに行うのか——組織とタイムラインを明確にし、実行することが求められます。
そのためには、国の中枢に防災庁を設け、日頃から関係省庁が連携し、防災法令の整備と実現を主導する体制が必要です。災害時には、同一企画・規格の支援物資と人員が速やかに現場に届くシステムが求められます。そのもとで、各自治体が地域の各課と連携し、地区ごとの防災力向上を支援します。
そして、各地区では、住民・学校・公共施設・事業所などが協力し、「地区防災会議」を開催して「地区防災計画」を策定し、年に一度以上の「地区総合防災訓練」を実施する必要があります。
このような取り組みの積み重ねによって、真の防災教育が日本の標準となります。命を守る「防災立国」は、まさに『為せば成る』の精神で築かれるべきものです。防災庁の創設を契機に、国のトップから地域、そして一人ひとりの市民までが「為して成す」社会を築いていきましょう。

あとがき
1995年の阪神・淡路大震災の年、私は小学校で理科を担当していました。しかし、地学に関する知識はほとんどありませんでした。「この地域で大地震が起こるとは思っていなかった」という被災者の声に触れ、強い危機感を覚えました。当時は教育委員会のビデオ教材制作にも関わっていたため、地学の学習映像づくりと授業研究に本格的に取り組み始めました。制作の過程で最も学んだのは、実は私自身でした。多くの教材を作成し、研究会での実践普及に努めた結果、横浜市の学校で地学の授業が以前より活発に行われるようになったことは、一定の成果があったと感じています。
2011年の東日本大震災の際には、私は校長1年目でした。自らの防災対応がまだ十分でなかったこと、大川小学校の痛ましい津波被害の報に接したことが重なり、地学的知識だけでは命は守れないという現実を改めて突きつけられました。正しい防災行動への共通理解、そして学校・地域・保護者が平時から連携していることの重要性に気づきました。
その後、地域の皆様、保護者、職員、そして子どもたちと力を合わせて「防災まちづくり」を進めることができました。この取り組みは、私が学校を離れた後も着実に継承・発展しています。私が防災を「自然との共生」「人との共生」と位置づけるのは、こうした現場での経験に根ざしています。
一方で、若い先生方を支援するなかで痛感するのは、防災について「あまり教えられていない」という事実です。例えば、防災教育の原点の一つともいえる「稲村の火」の物語を知らないという声も珍しくありません。本来、防災立国を目指す私たちにとっては、世代や地域を超えて共有されるべき「常識」のはずです。
教員養成課程では、防災・安全について学ぶことが求められていますが、その学びを支える標準的なテキストが不足しているのではないか。その危惧が、本書の執筆動機でもあります。書は、国語、算数…といった、皆さまになじみのある小学校の教科に対応した構成としました。自然や人と共生する社会を実現するには、教科横断的な叡智の構築が必要だと考えるからです。あわせて、本書『命を守る防災の教科書』は最新知見を踏まえつつ、学校現場と地域社会でそのまま使えるように構成しました。知識で終わらせず、「行動につながる」教材であることに最大限こだわっています。
防災は科目名ではなく、自然や人への向き合い方の実践です。自然の成り立ちを知り(自然との共生)、人と支え合う仕組みを育て(人との共生)、それを日常のまちづくりとルールと訓練に落とし込む。この循環が命を守ります。本書が、学校・地域・家庭・職場をつなぐ共通言語となり、防災立国に住むすべての人々の具体的な行動を後押しできれば幸いです。

「防災塾・だるま」から防災庁創設への市民提言

防災塾・だるまHP:bosaijuku-daruma.com に公開の提言モデル

令和7年(2025年)6月

令和7年6月24日

内閣官房 防災庁設置準備室
室長 阪田 渉 様

防 災 塾 ・ だ る ま
塾 長 鷲山 龍太郎
名誉塾長 荏 本 孝 久

「防災塾・だるま」から防災庁創設への市民提言

令和7年(2025年)5月15日定例会合意案(以後微修正) 防災塾・だるま

はじめに

防災塾・だるまは、地域防災の専門家やボランティアで構成された市民団体です。私たちは防災庁の創設を強く支持し、大きな期待を寄せています。本提言は、防災庁設置準備室が開設された2024年11月で200回に達した本会の防災学習会(防災まちづくり談義の会)を総括し、その後、会員提言アンケート、提言集会、さらなる学習会を経て2025年5月に共通理解化したものです。
この提言は内閣府の方針とアドバイザー会議の意見と参照しつつ整理した重要な観点をまとめたものです。防災庁設置準備室での慎重な検討をお願い申し上げます。

提 言

  1. 「公助」の観点から
    (1)「防災関連法令の不整合」の法的整理と遵守監督
    防災庁は、国家的な災害対応の中枢機関として、全ての防災活動を調整し、迅速な対応を行う。平常時には、防災関連法令間の乖離(例:消防法と水防法/災害対策基本法と国土強靭化法/消防法と学校保健安全法等々)を解消し、整合を図る法整備を推進する。これに基づき、法令に示された目標(例:地区防災計画、要援護者支援、耐震化、学校と地域の連携など)が、教育普及、遵守、実現されるように、各省庁を統括し監督する。
    (2)政府、自治体(地域)、地区が一丸となった災害対応能力の確立
    総力による災害対応能力を高め、事前準備を強化するとともに、自治体任せ、防災において法的責務のない任意団体である自治会等に依存しすぎている現状を見直し、政府、自治体(地域)、地区が一丸となった官民が連携した実効性ある防災システムを構築する。
    (3)災害ボランティアや各種専門家を「特別公務員」として制度化
    有事に備え、災害対応に対応できる専門的な人材を育成し、必要に応じて動員できる体制を構築する。(自衛隊の予備役のように)事前登録と研修を制度化し、報酬の支給を含む制度の創設を図る。災害時には被災地以外の人員による救援活動が展開される体制を作る。
    (4)SUM基準による即時被災地支援
    スフィア基準やTKB48(48時間以内のトイレ・キッチン・ベッド)を実現するために、イタリア式避難所の要となるSUM(同一企画・ユニット化・モビリティ)基準を基に、即時被災地支援システムを全国ネットで実現する。
    (5)復興行政における市民参画による高度な調整
    防災庁は、地域での関係者間の調整機能を強化し、自治体や関係機関、市民参画による復旧・復興を見据えた防災計画を整備する。
    (6)「防災・復興コーディネーター」の育成・配置
    事前防災から復旧・復興に至るまで、行政、住民、関係機関の合意形成を支援する「防災・復興コーディネーター」を育成し、各地に配置する。
  2. 「共助」の観点から
    (1)「防災地区」全国一律指定
    全国の自治体に対し、「防災地区」の指定を義務づけるため、災害対策基本法を改正する。
    (2)「地区防災計画」策定と「地区防災会議」開催
    各防災地区において、行政、学校、住民、事業所、医療機関、消防団などが参加する「地区防災会議」を行政主導で年1回以上開催し、標準項目に基づいた「地区防災計画」を策定する。計画には、災害リスク、避難行動、復旧・復興、役割分担、専門家活用、各主体・行政の責務などを明記する。
    (3)「地区防災マニュアル・地区防災マップ」の策定
    地区ごとの防災計画に基づいた防災教育の一環として、「地区防災マニュアル」および「地区防災マップ」を策定するものとする。これらは、全国統一基準に従い策定されるものであり、AI等の技術を活用した策定支援システムの導入を提案する。
    (4)地区総合防災訓練の実施
    地区防災計画・マニュアルに基づいて住民と関係団体が参加する地区総合防災訓練を行う。学校は特別活動として防災教育に参加する。
    (5)実効的な避難行動と要援護者支援
    災害関連死を予防するため、地区防災計画の中に要援護者支援を規定し、行政主導で個人情報保護法に配慮した標準的支援体制を確立。避難支援体制の実効性を高める。
    (6)「ふるさと防災団体」の指定と公的支援
    市民活動や防災教育の普及を促進する地域で実際に活動する団体への経済的支援を法制化する。
  3. 「自助」の観点から(高齢化社会に対応した公助の自助支援)
    (1)地盤による建物倒壊リスクの「見える化」と耐震化推進
    地盤ハザードマップの高精度化により、地盤情報と建物倒壊リスクの「見える化」を進める。
    (2)「常時微動」を使用した地盤調査やボーリング調査データの共有により、詳細な地盤調査と優先的な耐震化推進
    地盤が脆弱な地域や要支援者世帯を優先対象とし、住宅の耐震化を強力に推進する。
    (3)2000年以前の建築物の耐震診断と低価格耐震工事の推進
    2000年以前に建てられた建築物の耐震診断と、地盤条件に基づく優先的な耐震化を明確にすることにより、一部地方で実績がある低価格耐震化、地盤改良、家具転倒防止・整理などの対策を優先順に推進する。
  4. 「新しい災害課題」の観点から
    (1)省庁横断的なインフラ強化と復旧
    上下水道等老朽化したインフラ、ITを含む新インフラに対して省庁横断的な調整を強化し、災害時の被害を最小化する。
    (2)人為的要因を含む災害リスクへの対応
    感染症や原子力災害など人為的要因に備えた対策を強化し、事業所の地区防災会議への地区防災計画の策定に参画することを明確化する。
    (3)「国際園芸博覧会(EXPO2027)」跡地等の防災目的活用
    横浜市旭区・瀬谷区にわたる広大な敷地を活かし、体験型屋外訓練広場を常設化し、さらに、防災庁を中心とした自衛隊・警察・消防・自治体・地域住民による連携訓練の拠点にする。

防災塾・だるまHP:bosaijuku-daruma.com に公開の提言モデル

参考例【災害対策基本法の一部を改正する法律案(防災塾・だるま提言反映版)】

【提案理由】現代社会は複雑でグローバル化が進む中、南海トラフ地震や首都直下地震など大規模災害の懸念があります。従来の災害対応には限界があり、人命と財産を守るためには柔軟な対応と人材育成が不可欠です。1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災でも災害対応の遅れが見られました。事前復興計画の準備の不十分さや住民との合意形成も課題となっています。防災庁設置の機会に災害対応力がある仕組みづくりが期待されます。
 
本法案は、防災塾・だるまからの提言を受け、次の4点を柱とするものである。

  1. 公助の強化として、防災庁的組織の新設による統括機能、防災法令整合と遵守監督体制の構築
  2. 共助の強化として、全国一律に防災地区を指定し、地区防災計画・教育・訓練を法制化
  3. 自助の促進として、脆弱地盤等における住宅の耐震化支援と情報公開義務
  4. 新たな災害課題への対応として、専門人材制度とコーディネーターの配置、インフラ調整の強化等

災害対策基本法(昭和三十六年法律第二百二十三号)の一部を次のように改正する提案

第一条の次に次の一条を加える。
(防災行政の基本理念)
第一条の二
国は災害対応の中枢機関として防災庁を設置し、防災に関する各種法令を整理統合し、それぞれの現場の人々が明確かつ統一された指針のもとに、最適な防災計画を作成して防災活動に取り組めるように努めるものとする。

第五条を次のように改める。
(国の責務)
国は、防災に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、防災庁を中心として関係法令の整理統合を行うことにより行政機関を統括し、地方公共団体、民間団体、住民との連携を図る。また、平時においては法令遵守の監督及び実効性ある防災体制の整備を行わなければならない。

第八条の三として次の条を加える。
(防災法令遵守監督制度)
第八条の三
1 防災庁に「防災法令統合推進室」を設置する。
2 推進室は次に掲げる事務を行う。
 一 防災関連法規の乖離や不整合を現場の実情に対応して整理し、改定案を作成する。
 二 地方公共団体等における法令遵守状況(地区防災計画制度、要援護者支援等)の評価 
三 全国防災実施状況報告書の年次作成及び公表
(消防法、災害対策基本法、災害救助法、建築基準法、耐震改修促進法、学校保健安全法等)

第四十二条の次に次の条を加える。
(防災地区及び地区防災計画)
第四十二条の二
1 市町村は、文教学区等を基本とした「防災地区」を指定し、防災地区ごとに「地区防災計画」を策定しなければならない。
2 国は、防災地区の指定に関する基準を定め、必要な技術支援及び交付金配分を行う。
3 地区防災会議を年1回以上開催し、災害リスク、避難、役割分担、支援体制等を計画に明記する。

第四十二条の三として次の条を加える。
(防災教育及び防災訓練)
第四十二条の三
1 市町村は、地区防災計画に基づき、住民・学校・事業所を対象とした「地区防災マニュアル」及び「防災マップ」を作成する。
2 住民等による地区総合防災訓練を年1回以上実施し、学校教育における防災教育の充実を図る。
3 市町村は、防災活動を行う団体を「ふるさと防災団体」として指定し、財政的支援を行うことができる。

第五十条の二として次の条を加える。
(住宅等の耐震化支援)
第五十条の二
1 国及び地方公共団体は、地盤の脆弱な地域及び高齢者・障害者世帯に対し、耐震診断及び改修を優先的に実施するための制度を整備する。
2 2000年以前に建設された建築物については、耐震診断の義務化を図る。
3 地盤情報及び耐震基準に関する情報公開を義務づけ、不動産取引時の明示を求める。

第五十三条の二として次の条を加える。
(専門人材の育成と任用)
第五十三条の二
1 国は、災害ボランティア及び災害対応に従事する専門家を「防災特別公務員」として登録および研修を義務づける制度を整備する。
2 復旧・復興を円滑に行うため、「防災・復興コーディネーター」を育成・配置する。

附則
この法律は、公布の日から施行する。ただし、第四十二条の二及び第四十二条の三の規定は公布の日から一年以内に施行するものとする。

「防災塾・だるま」について

組織概要
「防災塾・だるま」は、市民、研究者、大学、企業、行政など多様な主体のネットワークにより地域防災力の向上を目指す団体です。「災害の教訓を生かし、七転び八起き」の理念のもと、2006年に結成されました。
防災講演会「防災まちづくり談義の会」(2024年には200回超)を中心に、「定例会」による情報共有、神奈川大学と連携したエクステンション講座、被災地視察会、他機関との連携支援など、多様な活動を推進しています。

目的
本会は、あらゆる防災活動を通じて会員の防災力向上を図るとともに、防災に関する情報共有ネットワークを構築し、地域社会の防災まちづくりに貢献することを目的としています。

組織情報
名称:「防災塾・だるま」
種別:任意団体
創設:2006年
活動拠点:主に神奈川県 横浜市内
会員数:約80名(神奈川県・東京都在住者中心)
会員構成:
一般市民
地域防災実践者(自治会、避難所運営)
災害ボランティア
研究者・専門家(建築士・弁護士・福祉士等)
行政経験者、市会議員 など
創設者(名誉塾長):荏 本 孝 久(神奈川大学名誉教授)
代 表(塾  長):鷲山 龍太郎(防災士・元横浜市立小学校長)
連絡先
HP: bosijuku-druma.com (連絡フォームがあります)

本会には、地域防災の実践者、災害ボランティア、研究者、様々な専門家がおりますので、ヒアリング期間に必要があれば、ぜひ体験や思い、提案をご聴取いただければ幸甚です。

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