東日本大震災の教訓

 

大川小学校の犠牲は子ども・職員だけではない 地域の人の死亡率は70%

児童74人、職員10人が犠牲になった石巻市立大川小学校に行くと、災害と命という問題に向き合い、慎んで未来への防災を考えるざるを得ない。

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2018年8月。この日はたまたま裏山の除草がされており、よく議論される裏山への道が見えていた。素敵な校舎を描いた遊具に「未来を拓く」の言葉。


裏山に逃げれば、84名の児童と職員の未来はひらかれたはずであると議論される。
なぜ、裏山に逃げなかったのか?

2018年の高等裁判所判決主文に書かれていることは考えさせられる。

学校の「危機管理マニュアル」作成義務について
仙台高等裁判所判決主文から)

C1校長 は,大川小の実情に応じた危機管理マニュアルを作成する責任者とし てその作成義務を有していたものであり,

D教頭は,C1校長を助け, 校務を整理すべき職務を有する立場で大川小における危機管理マニュ アルを作成すべき義務を有していたものであり,

E教務主任は,C1 校長の監督を受け,教育計画の立案について連絡調整及び指導,助言 に当たる職務を有する立場で大川小における危機管理マニュアルを作 成すべき義務を有していた。 

学校の津波安全性についての行政の対応仙台高等裁判所判決主文から)

平成23年2月頃,C1校長は,大川小に来校した河北総合支所 の職員との間で,同年6月に予定されていた河北地区の総合防災訓 練の打合せを行った(この打合せには,D教頭及びE教務主任も参 加していたものと推認される。)。

その打合せの中で,C1校長 は,同支所職員に対し,児童を校庭に避難させた後の避難先(第三 次避難先)はどう考えているのかを尋ねたところ,同支所職員は, その後の避難先は考えていないと答えた。

そこで,C1校長は,同 支所職員に対し,堤防から津波が漏れたり越したりしてくるような ことはないのかと尋ねたところ,同支所職員は,津波は堤防を越さ ないんですと答えた。そこで,C1校長は更に,どうしてですかと 同支所職員に尋ねたところ,同支所職員は,計算上津波は越してこ ないことになっていると答えた(乙31・3頁,当審証人C1・1 7頁~19頁)。

また,河北総合支所の職員との上記打合せが終了 した後,C1校長,D教頭及びE教務主任の話合いの中で,万一大川小に津波が来た場合の第三次避難場所をどうするかが話題に上っ た。そのときは校舎の二階に逃げるか裏山に逃げるかという話が出 たが,結局,第三次避難場所をどこにするかの結論は出なかった (乙31・3頁,原審証人C1・8頁~9頁)。 (仙台高等裁判所判決主文)  

なぜ、裏山に逃げなかったのか?仙台高等裁判所判決主文から)

とりわけ,E教務主任は,二次避難開始直後の早い段 階から裏山への三次避難を提案していたが,強い余震が連続し,山鳴りがする中で,児童を裏山へ登らせるのは危険であるという意見を述べる教職 員もあり,協議はまとまらなかった。

もっとも,D教頭は,本件広報12 により宮城県に大津波警報が発令され,避難が呼び掛けられていたこと や,児童を引き取りに来た保護者などからも,「津波が来るから裏山に逃 げて。」などと助言されるなどしたことから,「裏の山は崩れるんですか。」,「子供達を登らせたいんだけど。」,「無理がありますか。」などと釜谷 地区の住民の意見を聴いた上,

釜谷地区の区長に対し,「山に上がらせて くれ。」と言って裏山に三次避難することを打診した。しかし,区長から は,「ここまで来るはずがないから大丈夫」,「三角地帯に行こう。」と の発言があり,裏山に避難することを反対されたため,D教頭は,児童を 裏山に三次避難させることを諦め,次善の策として,大川小の校庭よりも 高台にある三角地帯への三次避難を決断した 。 (仙台高等裁判所判決主文 P131)

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大川小学校裏山 児童の避難が困難とは思えなかったが…。

未来の防災に向けての考察

 判決についての論評をする立場ではないが、この主文に書かれたことを事実として、災害を克服できる地域社会と学校について考察することはできる。

 元校長の一人として、大川小学校が特別に防災体制ができていなかった学校とは思えない。むしろ、日本のほとんどの学校、そして地域社会は似たような状態にあると思う。つまり

・学校の危機管理マニュアルの確立や共有が十分でできていない。
・行政側もハザードマップがあれば、それに基づいた見解しか言いようがない。
・「区長が裏山への避難を反対した。」とある。災害リスクと避難行動についての。学校と地域の共通理解ができていなかった。

大川小地区で、学校と地域社会がやっておけばよかったことはなんだろう?

日本の学校と地域社会が似たような状況にあるとすれば、災害を克服するためにやるべきことはなんだろう?

私はその問いの答えを求めて、職員、地域の皆様、保護者の皆様、子どもたちと追究してきた。

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謝辞 東北大学教授 佐藤健先生には、被災地の視察をご案内いただき、貴重なご示唆をいただきました。感謝申し上げます。

未来防災NET 2024